西村健『激震』発売記念エッセイ③「窓を開けよう、コロナだし。」

文字数 1,663文字

戦後五十年の節目であった一九九五年は、一月に阪神淡路大震災、三月に地下鉄サリン事件が起きた異様な年でした。八〇年代末にバブル経済が崩壊しながらも雑誌の売上げは好調であったこの時期に、ヴィジュアル月刊誌のフリー記者として真実を求めて奔走し時代と向き合った主人公と同様の経験を持つ著者が、年末にはWindows95が販売されてネット時代に突入するという怒濤の一年をリアルに描き切ります。現代に至る日本の有り様を考える上でこの年がいかに重要だったかが実感される力作長編、発売中です。
書き手:西村健

1965年福岡県生まれ。東京大学工学部卒業。労働省(現・厚生労働省)に入省後、フリーライターになる。1996年に『ビンゴ』で作家デビュー。その後、ノンフィクションやエンタテインメント小説を次々と発表し、2021年で作家生活25周年を迎える。2005年『劫火』、2010年『残火』で日本冒険小説協会大賞を受賞。2011年、地元の炭鉱の町大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で(第30回)日本冒険小説協会大賞、(翌年、同作で第33回)吉川英治文学新人賞、(2014年)『ヤマの疾風』で(第16回)大藪春彦賞を受賞する。著書に『光陰の刃』、『バスを待つ男』、『目撃』、「博多探偵ゆげ福」シリーズなど。

窓を開けよう、コロナだし。


時代は1995年に設定しよう。次は雑誌編集部を舞台にした作品はどうかと提案された際、即座に決めていた。


阪神・淡路大震災。オウム真理教による一連の事件……。年頭から未曾有の災厄が続く中、雑誌の売り上げは史上最高を更新し続けた年である。雑誌は事件とスキャンダルで売れる。原則の実証だった。私自身は両事件で現地取材には行かなかったが、雑誌屋の一人として空気は吸っていたつもりである。あの時代を一記者の目でえぐる、という内容ならば読み応えはある筈だと確信があった。


確かに激動の一年だったが、大事件はあの時きりだったわけではもちろんない。海外ではアメリカ同時多発テロが起こったし、国内では東日本大震災が発生した。揺れ動く時代を見据えるのに、あの一年を捉え直すのは意味があるのではないか。そんな風にまとめれば小説になるだろうと思っていた。


ところが執筆もいよいよ終盤というところになって、新型コロナウィルスが世界を席巻した。同時多発テロのような過去の事件ではない。現在進行形の事象を作中に取り入れる必要に迫られた。本章は1995年の話だが前後を、現在を描く序章と終章とで挟むという構成を採っていたためだ。終章はまだだったが序章は既に書いていたので、新型コロナの話題を入れて大幅に書き直さなければならなかった。おまけに現在進行形なので、今後どうなるかも定かではない。多少の将来予測を交えながらも、何とか脱稿した。


結果としては予想外のコロナ効果もあった。


1995年は大事件が続き、戦後の秩序が破壊された年だがそればかりではない。最後には、ウィンドゥズ95ブームというものが持ち上がった。これをきっかけとして我が国ではインターネットが市民権を得た。「ネット元年」と言われる所以である。破壊の後に全く新しい時代の幕が開いたのだ。返す返すも節目の年だった、と感じずにはいられない。


通販。リモートワーク。映像やゲームの配信。今般コロナ禍で引き篭もりを強いられる中、ネットの重要性を改めて認識させられた。この流れはコロナが収束しても終わることはあるまい。新しい生活様式が始まるのだ。そのきっかけとなった元年もまた、1995年……


激動を乗り切り、今後を見通すためにはあの一年を振り返るべきだろう。小説としてうまい落とし所に持って行くことができた。


今となってはコロナ禍もまた、本作を書き上げるための運命だったのではないか。単なる自意識過剰に過ぎないがふと、そんな風に妄想に耽っている自分がいる。


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