西村健『激震』発売記念エッセイ③「窓を開けよう、コロナだし。」
文字数 1,663文字
1965年福岡県生まれ。東京大学工学部卒業。労働省(現・厚生労働省)に入省後、フリーライターになる。1996年に『ビンゴ』で作家デビュー。その後、ノンフィクションやエンタテインメント小説を次々と発表し、2021年で作家生活25周年を迎える。2005年『劫火』、2010年『残火』で日本冒険小説協会大賞を受賞。2011年、地元の炭鉱の町大牟田を舞台にした『地の底のヤマ』で(第30回)日本冒険小説協会大賞、(翌年、同作で第33回)吉川英治文学新人賞、(2014年)『ヤマの疾風』で(第16回)大藪春彦賞を受賞する。著書に『光陰の刃』、『バスを待つ男』、『目撃』、「博多探偵ゆげ福」シリーズなど。
窓を開けよう、コロナだし。
時代は1995年に設定しよう。次は雑誌編集部を舞台にした作品はどうかと提案された際、即座に決めていた。
阪神・淡路大震災。オウム真理教による一連の事件……。年頭から未曾有の災厄が続く中、雑誌の売り上げは史上最高を更新し続けた年である。雑誌は事件とスキャンダルで売れる。原則の実証だった。私自身は両事件で現地取材には行かなかったが、雑誌屋の一人として空気は吸っていたつもりである。あの時代を一記者の目でえぐる、という内容ならば読み応えはある筈だと確信があった。
確かに激動の一年だったが、大事件はあの時きりだったわけではもちろんない。海外ではアメリカ同時多発テロが起こったし、国内では東日本大震災が発生した。揺れ動く時代を見据えるのに、あの一年を捉え直すのは意味があるのではないか。そんな風にまとめれば小説になるだろうと思っていた。
ところが執筆もいよいよ終盤というところになって、新型コロナウィルスが世界を席巻した。同時多発テロのような過去の事件ではない。現在進行形の事象を作中に取り入れる必要に迫られた。本章は1995年の話だが前後を、現在を描く序章と終章とで挟むという構成を採っていたためだ。終章はまだだったが序章は既に書いていたので、新型コロナの話題を入れて大幅に書き直さなければならなかった。おまけに現在進行形なので、今後どうなるかも定かではない。多少の将来予測を交えながらも、何とか脱稿した。
結果としては予想外のコロナ効果もあった。
1995年は大事件が続き、戦後の秩序が破壊された年だがそればかりではない。最後には、ウィンドゥズ95ブームというものが持ち上がった。これをきっかけとして我が国ではインターネットが市民権を得た。「ネット元年」と言われる所以である。破壊の後に全く新しい時代の幕が開いたのだ。返す返すも節目の年だった、と感じずにはいられない。
通販。リモートワーク。映像やゲームの配信。今般コロナ禍で引き篭もりを強いられる中、ネットの重要性を改めて認識させられた。この流れはコロナが収束しても終わることはあるまい。新しい生活様式が始まるのだ。そのきっかけとなった元年もまた、1995年……
激動を乗り切り、今後を見通すためにはあの一年を振り返るべきだろう。小説としてうまい落とし所に持って行くことができた。
今となってはコロナ禍もまた、本作を書き上げるための運命だったのではないか。単なる自意識過剰に過ぎないがふと、そんな風に妄想に耽っている自分がいる。