『過ぎにし夏、マーズ・ヒルで』E・ハンド/魔法は魔法の形をしていない(千葉)

文字数 1,556文字

次に読む本を教えてくれる書評連載『読書標識』。

木曜更新担当は作家の千葉集さんです。

今回はエリザベス・ハンド『過ぎにし夏、マーズ・ヒルで』について紹介していただきました。

書き手:千葉集

作家。はてなブログ『名馬であれば馬のうち』で映画・小説・漫画・ゲームなどについて記事を書く。創元社noteで小説を不定期連載中。

悲しみとは国なのだ。おそるおそる入っていくか、警告もなしに投げ込まれる場所。一度そこに──形もなくうねる暗黒と、絶望のにおいの中に入ってしまったら、立ち去ることはできない。たとえ立ち去りたくても、ひたすら歩き続けることしかできない。


エリザベス・ハンド、市田泉・訳『過ぎにし夏、マーズ・ヒルで エリザベス・ハンド傑作選』

失われてしまったものや、欠け落ちつつある世界をどう埋め合わせればよいのか。


本中短編集におさめられた四つの物語では、喪失に直面した人々が描かれます。


表題作の「過ぎにし夏、マーズ・ヒル」では、乳がんにおかされた母親を持つ少女や同じく(作品発表当時は死の病とされていた)エイズに罹患した父親を持つ少年が出てきます。中編「イリリア」では、演劇に魅了された十五歳の少女が自らの才能ゆえに愛するものと決定的な別れを経験しなくてはならなくなる。「マコーリーのペレロフォンの初飛行」では航空宇宙博物館に務める中年男たちの元上司が死の床についています。そして、「エコー」ではどうやら世界そのものが死につつある。


かれらはみずからのさびしさにどう対処するのか。エリザベス・ハンドはそこに物語作者としての立場から魔法をひとさじ加えます。


魔法といってもさまざまです。本書はSFのレーベルから出版され、収録作はいずれもネビュラ賞や世界幻想文学大賞といったSF・ファンタジーの分野で権威ある賞を獲得しているものの、ファンタジー的な要素が道具立てとしてもそこまで目立ちません。


ハンドの書く魔法は、世界を隙間を埋めるためのピースとして現れます。希望と言い換えてもいいかもしれません。それは文字通りにファンタスティックな妖精の姿をとることもあれば、失われた古いフィルムの場合もある。老いた犬や過去からの手紙、あるいはおもちゃの劇場であるかもしれません。でも、目に見える希望が救いになるかといえば、そうともかぎらない。その割り切れなさがなんとも愛おしい。


収録作中での出色は「イリリア」。かつて女優だった曾祖母と同じ名前を持つ少女マデラインが、一族で唯一独り身であるおばのケイトに誘われ、演劇の世界へのめり込んでいきます。マデラインにとってのケイトはあたかも魔女の師匠のようです。「魅惑の力(グラマー)――それは文法(グラマー)という言葉と同じ語源を持つの。一種の知識。教養。つまり、教えることができるってこと。身につけることができるの」と教え、マデラインに曾祖母の着ていた服を与えます。そうして、いつのまにやらマデラインは曾祖母のたどった道をなぞっていくのです。その魔法が大事な何かと引き換えであるとは知らず。その魔法が永遠でないとは知らず。


シェイクスピアの『十二夜』を背骨に通し、衣装、鏡、演技、双子、人形といったモチーフを配しつつ、同化や相似の熱情、そして相違のかなしさを精緻な文章で組み上げていく技巧はまさしく一級品。ストーリーテラーとしてのエリザベス・ハンドを本邦で再紹介にあたって、これ以上ない名刺代わりとなっています。

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