好きこそ物の上手なれ/川瀬七緒

文字数 2,310文字

「法医昆虫学捜査官」シリーズで人気の川瀬七緒さんの新シリーズがスタート! 『ヴィンテージガール 仕立屋探偵 桐ヶ谷恭介』は、服飾の知識と美術解剖学によって、主人公の仕立て屋・京介が未解決事件に迫っていくという、全く新しいクライム・ミステリー。物語が生まれるきっかけとなるエピソードを、川瀬さんが語ってくださいます!

   好きこそ物の上手なれ


 私は二十年以上、子ども服のデザイナーとして働いてきた。一般的にデザイナーというと、スタイル画のずらりと並べられているイカした空間で会議をおこなう……みたいな場面を想像する人は多いことだろう。あるときなど、就職情報サイトで「多少絵が描けて洋服が好きならばなれる職業」と大雑把に紹介されているのを見て苦笑いしたことがある。いくらなんでも技術面を無視しすぎた謳い文句なのだが、あながちはずれてもいない出来事を多々経験した。

 私が服飾業界で働いていたころから急激に海外生産が増えていき、そのせいで品質管理がより難しくなる事態が起きていた。まずいちばんの問題は仕様書の通りにモノが上がってこないことだろうか。数値を細かく書き込んでも違うサイズで出来上がるのだが、先方は単に誤差の範疇だと捉えている。デザインの特徴をいくら説明しても、感覚の違いからかまったくの別物が出来上がる。日本の品質規定が特別厳しいこともあって、なかなか意思の疎通が難しかった。

 こういう事情もあり、デザイナーが現地へ赴いて説明することが恒例となっていったのだが、そのとき驚くような人たちに出会うことになった。

 中国でのこと。なぜ仕様書の通りに縫製をしないのか、という問いに、パターンを引き直したからサイズが変わった……という予測もしない答えが返ってきた。縫製工場のアイロン係をしている中年の男性が、見よう見まねでパターンを引き直してしまったそうなのだ。なぜと問うも、こっちのほうがカッコいいという答えで困惑したのだが、確かにデザイン性を最大限に引き出そうとしているように見えなくもなかった。


 彼は服飾学校も出てはいないし、ましてやパターンを引いたこともないという。ミシンでの縫製もしたことがないので、アイロンをかける担当になったようなのだ。けれども以前に整体のようなことをしていた時期があり、「筋肉と骨格の動きを邪魔する服を着ると体に不具合が起きる」と言い切っていた。そして洋服のパターンを考えるのは楽しいと。


 確かに洋服のパターン、いわゆる設計図を引くときは、頭の隅に必ず人体解剖学的な知識を置かなければならない。経験のある人も多いと思うが、多大なストレスを与える服は多く存在し、それはパターンも悪ければたいていの場合デザインも悪い。アイロン担当の彼は、デザインの意図を理解してパターンをよりよくしようと考えたわけだ。もちろん勝手な変更はもってのほかだが、彼はパターンの理屈を何も知らずに感覚だけで製図し、そしてみるみるうちに上達して製品仕入れ時のパタンナーに抜擢されるまでになった。繰り返しになるが、彼に製図の知識はほぼない。


 これは海外に限らず、日本の職人にも似たタイプの人間はたくさんいる。色を見ただけで混色数がわかる人、生地を触っただけで正確な混率を言い当てる人、縫ったミシン目を見ただけで機械のどこに不具合が起きているのかを見抜く老人もいた。やはり彼らは特に専門的な勉強をしておらず、感覚をたよりに仕事を極めてきた職人だ。しかしこれらは決して特殊な能力というわけではなく、みな自分の仕事が好きでたまらないというところからきているように見えた。

 さて、仕立屋探偵である。主人公の桐ケ谷京介は服に残されたシワや「地の目」の歪みなどを見ただけで、その人が経験した暴力や暮らしぶりまでもがわかってしまう。一見すると奇想天外に思えるけれども、おそらく服飾分野にかかわる人間には多少なりともわかるはずだった。実際私は、右腕の腱鞘炎をパタンナーに言い当てられたことがある。痛みでしょっちゅう肘のあたりを触るものだから、そこにおかしなシワが寄っていたためだ。


 日本の凶悪犯罪者の検挙率は高いが、一方で未解決事件は数多い。もし残された遺留品にシワや独特な斜行などが残されていたら。警察や科捜研にとっては価値のない痕跡にすぎないが、実は解決につながる重大な糸口なのかもしれない。桐ケ谷京介は、私の経験から生まれた複数の職人の集合体だ。


 コロナ禍の今、服飾業界全体が非常に苦しい状況だ。過去に出会った彼らもその煽りを受けているのは間違いない。けれども、今の時代に合致するような感覚を編み出しているだろうことを願いつつ、ヴィンテージガールを執筆したしだいである。

川瀬 七緒(カワセ ナナオ)

1970年、福島県生まれ。文化服装学院服装科・デザイン専攻科卒。服飾デザイン会社に就職し、子供服のデザイナーに。デザインのかたわら2007年から小説の創作活動に入り、’11年、『よろずのことに気をつけよ』で第57回江戸川乱歩賞を受賞して作家デビュー。ロングセラーとなった人気の「法医昆虫学捜査官」シリーズには、『147ヘルツの警鐘』(文庫化にあたり『法医昆虫学捜査官』に改題)『シンクロニシティ』『水底の棘』『メビウスの守護者』『潮騒のアニマ』『紅のアンデッド』『スワロウテイルの消失点』の7作がある。そのほかにも『桃ノ木坂互助会』『女學生奇譚』『フォークロアの鍵』『テーラー伊三郎』(文庫化にあたり『革命テーラー』に改題)『賞金稼ぎスリーサム!』『賞金稼ぎスリーサム! 二重拘束のアリア』など多彩な題材のミステリー、エンタメ作品がある。

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