皮を剥いで踊らせ、頭蓋に穴開け。飲まないヤツは射殺!の暴君

文字数 2,436文字

愛する人に贈る、イケメンの生首。

《前秦》苻生(335?~557)

時代は五胡十六国時代。苻生は北朝・前秦の2代皇帝である。


苻生は生まれつき隻眼だった。また、幼いころから粗暴な振る舞いが多く、祖父の苻洪は、そんな苻生のことを忌み嫌っていた。苻洪は事実上の前秦の建国者である。


ある日、その苻洪は、苻生の従者に次のように訊ねた。

「片目の小僧は、片目からだけ涙を流すというが、本当かね?」


隻眼の苻生を貶めたのである。しかし、従者が「そうです」と答えるのを聞くと、苻生は佩刀を抜き、見えない方の目を突いて血を流し「これも涙だ」と言い放ったという。


少年・苻生の悲痛な思いを感じさせる。しかし、苻洪はこれに怒り、苻生を鞭打った。それでも苻生は「刀剣は少しも怖くないが、理不尽な鞭打ちには我慢できない」と反抗し、「奴隷の身に落とすぞ」と脅しても、「石勒も奴隷だったぞ」と言い返した。石勒は後趙の創建者で、奴隷の身から皇帝になった人物である。


苻洪は呆れ、「この子はおかしい。今のうちに殺さないと、一族を滅ぼすぞ」と言ったが、周囲のとりなしで救われたという。


長じて、苻生は膂力に優れ、その武芸は当代随一と言われるほどの勇猛な若者となった。戦では、敵陣への突撃を繰り返して数多の敵将を討つなど、素晴らしい功を上げた。だが、相変わらず粗暴で大酒を飲み、人殺しを好んだという。


皇太子だった兄が戦での矢傷がもとで死に、苻生は皇太子となる。そして、前秦の初代皇帝であった父の苻健が病気で亡くなると、苻生が帝位を継ぐくことになった。20歳ごろのことだ。


父の苻健は死に際し、重臣らを呼んで苻生の政治を助けるよう遺命していた。しかし、苻生はこれらの重臣、そして皇族たちをも次々に殺していく。


ある日、苻生は「大魚が蒲を食べる」という不思議な夢を見た。「蒲」は苻氏の元々の姓である。不吉に感じた苻生は「この夢の中の魚は太師(皇帝の師とされる)の魚遵のことだ」と考えて、魚遵とその7人の子、10人の孫を殺した。迷惑な夢判断だ。


強平という家臣がいた。苻生の母方の叔父である。しかし、この強平が苻生の殺戮を強く諫めると、苻生は激怒して強平の頭頂に鑿(のみ)を打ち込んで頭蓋に穴をあけて殺した。丞相の雷弱児も直言の士であったが、やはり怒り苻生の怒りをかって9人の子、27人の孫とともに殺された。


万事この調子で、苻生は次々に重臣や皇族たちを殺していった。苻生は家臣の接見を受けるとき、常に弓を引きしぼったり、抜刀したりしていた。玉座の左右には、常に「錘(先に重りが付いた鉄棒。メイス)鉗(ペンチ)鋸(のこぎり)鑿」などが常備されていたという。これは怖い。特にペンチ。


ある時、苻生は囚人の頬の皮を剥いだ。そして、その皮が顎にぶら下がっている状態で、ダンスをさせた。その様子を群臣らにも鑑賞させて楽しんだという。


またある時、苻生は別の宮殿に向かう際、見目麗しい男女に出会った。「夫婦か」と尋ねると、兄妹であるという。苻生は二人にその場で交われと命じたが、二人が拒絶したのでこれを殺した


さらにある時、苻生は皇后とともに楼台に上がった。すると、后が眼下を歩く男性を指さして「あの人は誰でしょう?」と言った。その男は賈玄碩という役人で、美しい容貌の持ち主であったという。苻生は即座に賈玄碩の首を斬るように命じ、その生首を后に見せながら「お前が欲しいならあげるよ」と言った。


苻生が自分の容姿に劣等感を抱いていたのは確かのようだ。

苻生は「不足、少、無、缺、傷、残、毀、偏、隻」などの文字の使用を禁じた。苻生の隻眼を想起させたからだ。そして、禁を破ったものは皇族や側近でも容赦せず、足を切断したり、首をノコギリで切るなどの残酷な方法で処刑した。


ある日、苻生は侍医に薬の調合を命じた。その際、「いい人参(薬用の朝鮮人参)と悪い人参の違いはあるのか?」と尋ねた。侍医は「雖小小不具、自可堪用(小小にして具へざると雖も、自ら用に堪ふ可し:小さくて形が悪くても、使い道はあります)」と答えた。この「具へざる」の部分に怒った苻生は、この侍医の目をえぐり出したのち、殺した。


こんな暴君でも自分への評価が気になるものであろうか。

ある日、苻生は側近のものに「皆は朕の治世についてなんと言っているか」と尋ねた。怯えた側近が「聖明なる陛下のおかげで信賞必罰がいきわたり、みな天下泰平を謳歌しております」と答えると「お前は朕に媚びるのか⁉」と怒ってこれを殺した


後日、苻生は別の側近に同じ質問をした。今度の者は前車の轍を踏むまいと「畏れながら陛下の刑罰は厳しすぎます」と答えたが、苻生は「お前は朕を謗るのか⁉」と怒ってこれも殺した。無理ゲーである。


苻生は酒乱であった。宴席に遅れてくるものは殺した。さらに、宴席であまり酒を飲まない者がいるのが許せなかった。そこで、辛牢という家臣に命じて、各々の酒の進み具合を監視させた。


しかし、酔っ払ってくると「なんだ、全然酔わないできちんと座ったままのヤツがいるぞ。もっと酒を飲ませろ」と怒り出し、弓で辛牢を射殺した。これに驚いた群臣たちは慌てて酒をあおる。結果、皆が酔い潰れて衣服を汚し、床に倒れ伏すという惨状。しかし、それを見て苻生は上機嫌で宴席を引き上げていったという。


このような男が皇帝では、自分の命が危ない。苻生の従弟である苻堅(前秦の第3代皇帝)が反乱を起こすと、みなこれに従った。兵士たちが苻生の寝所に乱入すると、苻生はいつものように酔い潰れて眠っていた。やっと目を覚ますと「どうして拝跪しない⁉殺すぞ」と怒鳴りつけたが、兵士たちはヘラヘラと笑うばかりだった


苻生は別室に移され処刑された。その際も酔って正体もない様子であったという。推定享年22歳。

『苻堅と王猛』小前亮/著(祥伝社文庫)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色