第16話 杏奈の意思を変えるために、立浪たちが仕組んだのは

文字数 3,106文字

「やりましたね! これは、決定的な証拠になります。もう、杏奈の証言なんていりませんよ。早く編集部に戻って編集長に報告しましょう!」
「杏奈の証言がなければ無理だ」 
 立浪は、冷静な口調で言った。
「え? どうしてですか!? この音声があれば、柏木の本性を世間に晒せますよ!」
「忘れてないか? これは盗聴した音声だから記事にはできない」
「あ、そっか……そうでしたね」
 相良が、落胆した顔でため息を吐いた。
「それにしても、杏奈って女も相当なタマですね。DVを受けている無力な女だと思っていたら、連ドラの準ヒロインを交換条件に柏木に寝返る……あれ? そもそも、柏木はどうしてそんな交換条件を杏奈に出したんでしょう? まるで、自分のスキャンダル記事が出ることを予測していたみたいじゃないですか」
 相良が考え込む表情になった。
「予測していたのさ」
 音声を聞いて、立浪の脳内に飛び交っていたすべての疑問が氷解した。
「予測していたって、どういうことですか?」
「警戒心の強い柏木なら、杏奈が裏切ったときのことを想定していろいろと仕込んでいたはずだ。仕込みのうちの一つが、野原って劇団の主催者だ。杏奈に女優の仕事を与えてくれと柏木に頼んだって話も、元彼のDVの話も、恐らく作り話だ。もしものときは、そういうふうに証言してくれと事前に柏木から頼まれていたんだろう。見返りは金かもしれないし、劇団生のキャスティングかもしれない。どっちにしろ柏木は、野原が喜んで全面協力するだけの魅力的な餌(えさ)をたっぷりと与えていたのさ。つまり、口裏合わせする時間なんて必要なかったんだよ。柏木は政治家の答弁みたいに、質問を想定したシナリオを予(あらかじ)め用意していたってわけだ。杏奈のDV以外にも叩けば埃(ほこり)がほかにも出てきそうだから、別のシナリオも何本か用意してあるだろうな。敵ながら、あっぱれな奴だ」
立浪は、肩を竦(すく)めて見せた。
皮肉ではなく、本心だった。
用意周到な性格も、ここまで徹底すればもはや芸術だ。
「なるほど……ある意味、恐ろしい奴ですね。でも、杏奈のほうはなぜ急に寝返ったのか謎が解けません。まさか、俺を裏切ったら準ヒロインを用意してやるから腹癒せにやったと前言撤回しろよ、なんて事前に言うわけないですよね?」
 相良が疑問に思うのは、尤(もっと)もだった。
「多分、LINEだ」
「LINE?」
相良が怪訝そうに繰り返した。
「ああ。杏奈を車に呼ぶときに、柏木はLINEを使った。恐らく、そのときに来クールの連ドラの準ヒロインのキャスティングを約束するということと、口裏合わせの文面をコピペしたものを送ったんだろう」
 立浪は、導き出した答えを口にした。
 杏奈が本当に柏木に叱られた腹癒せで彼に濡れ衣を着せたのでなければ、翻意(ほんい)した理由はそれしか考えられなかった。
「それって、一か八の賭けじゃないですか」
相良が、呆(あき)れた口調で言った。
「確信があったんだろう。杏奈に準ヒロインの餌を与えれば、自分に寝返るってな。俺らにミスがあったとすれば、杏奈の野心を見抜けなかったことだ」
「すみません。それは、僕の責任です」
 相良がうなだれた。
「俺も会ってるんだから、同罪だよ。それより、『ルージュ』のセイラって女は杏奈と仲がいいのか?」
立浪は話題を変えた。
「はい。今回のDVのことも、最初はセイラに相談していましたから」
「彼女に、杏奈を呼び出して貰ってくれ。できるだけ早く。なんなら、今日でもいい」
「呼び出して、どうするんですか?」
「翻意を翻意させる」
「ボイスレコーダーで脅(おど)すんですね! でも、杏奈はドラマの準ヒロインを餌に僕達に噓を吐いただけですから、音声内容を暴露されてダメージが大きい柏木にDVを認めさせて記事にしたほうがよくないですか!? 抱かれたいナンバーワン俳優、柏木保、交際女性をDVしていたことを懺悔(ざんげ)! このタイトルは、インパクト大ですよ!」
 相良が声を弾(はず)ませ、自画自賛した。
「逆だ」
「え?」
「ダメージが大きいのは柏木だが、記事にしてインパクトが大きいのは杏奈の告白記事のほうだ。不倫スキャンダルを起こした芸能人をニュースにした情報番組で、すぐに認めて謝罪会見を開いたケースとシラを切り通して逃れようとするケースでは、後者のほうが圧倒的に長期間視聴率を稼げる。日本人は、噓を吐く人間を叩(たた)くことに快感を覚える生き物だ。週刊誌も同じだ。本人の懺悔記事は一週で鮮度を失う。だが、交際女性の告白記事なら何週間も鮮度を失わない。柏木はあの性格だから、必死に言い訳するだろう。言い訳すればするほど、情報番組が柏木を追いかけ『スラッシュ』の部数も伸びる」
立浪は淡々とした口調で説明した。
対照的に、心の中では逆襲の炎が燃え盛っていた。
柏木の気取り澄ました仮面を引き剝がし、醜(みにく)い素顔を世間に……思考を止めた。
醜い素顔――自分も同じだ。
「たしかに杏奈を悲劇のヒロインにしたほうが、柏木への反発が高まり『スラッシュ』は売れますね。問題は、杏奈が僕達に協力するかどうかですね。あんなにしたたかで欲深い女だとは思っていませんでしたし……なによりさっきも言いましたが、柏木との会話を暴露されても杏奈にとっては致命的ダメージじゃないですよね?」
相良が、不安げな表情を立浪に向けた。
「杏奈が無欲な女ならな。したたかで欲深く、売れるということへの野心に満ちている女だからこそ、こっちにとっては好都合なのさ」
「どういう意味ですか?」
相良の顔を支配していた不安が、好奇の色に変わった。
「その話はあとだ。まずは、セイラに電話してくれ」
 立浪は相良に命じると、アルファードを発進させた。

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「あの白い建物だと思います」
 代官山(だいかんやま)の住宅街に建つ白いログハウスふうの建物を、相良が指差した。
「もっと、話しやすい店はなかったのか?」
立浪は、不満の言葉を口にした。
 路地裏の代官山のケーキ専門店……杏奈を追い詰めるには、不似合いな場所だった。
「お茶に誘ったら、杏奈があの店に行きたいと言ったらしいんです。以前、日曜の情報番組で紹介されてから若い女の子の間で人気になったみたいです。へたにほかの店に誘って断られたら、元も子もないじゃないですか。 杏奈を呼び出すのが最優先ですから、我慢してください」
 たしかに、相良の言う通りだ。
 柏木を直撃取材した三日後に、杏奈を誘い出せたのだから上出来だ。
「いまさらだが、セイラは大丈夫なのか? 結果的に、友人を裏切ることになるんだろう?」
立浪が気にしているのは、セイラと杏奈の友情に罅(ひび)が入るかもしれないということではない。
杏奈に同情して寸前のところでセイラが裏切らないかが気がかりなのだ。
 もう、杏奈の二の舞はごめんだった。
「それは、大丈夫です。セイラは杏奈が準ヒロインを餌に柏木に丸め込まれたことを、ひどく心配していました。また、暴力を振るわれるに決まってるって。セイラは、見かけはあんなイケイケな感じですが友達想いの古風な女です」
「わかった。お前を信用するよ」
立浪は言うと、足を踏み出した――通りを渡り、「セボン モンブラン」のドアを開けた。
「いらっしゃい……」
「待ち合わせだ」
 出迎えた女性店員に言うと、立浪は店内に視線を巡らせた。
(第17話につづく)

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