五十嵐様


そうですね、ネットの普及で、多くの人たちが言いたい放題の様相となりましたから、法律を捏(こ)ねる人も出てきそうです。今のところは、「専門家の先生に伺いましょう」が普通のスタンスですけれど……。ただ、「名探偵」と呼ばれるほどの人が登場するかどうかは、いささか怪しい感じがします。


弁護士の仕事はAIに奪われる、と言われて久しいと思いますけれど、あれは英語圏の感覚なのかもしれません。日本でも、法律用語でならばAIに任せられますが、一般の(曖昧な)日本語への翻訳が必要になりそうですし、やはり大衆感情的なものを酌(く)む作業は、まだしばらくは人間の仕事のように感じます(個人的には、無用な作業だとは考えていますが)。


最近の日本の風潮で気になったことで、(またも悪い例かもしれませんが)老人が運転を誤って大事故を起こしてしまった場合などに、その運転手に対するリンチに近いような言動が多く見られました。まずは、自動車の機械としての不備、その次には免許制度の不備を問題にするべきところを、直接加害者個人への攻撃に移る浅はかさは、多少心配になります。こういった事件で過失のある被告人を真正面から弁護することこそ正義ですが、日本の社会では「風当たりが強すぎる」ことでしょう。その風当たりを恐れて、大勢が口をつぐんでしまうようにも見受けられます。


小説(あるいはフィクション)に見られる顕著な傾向の一つに、「悪い奴らには仕返しをしなければならない」という古いテーマがあります。これは日本だけでなく、ハリウッド映画でも顕著です。法治社会の歴史が浅いとはいえ、これもやや不安になるところです。現実がそうだから、読者はその(仇討ちの)幻想に満足する、というエンタテインメントと片づけて良いものか、作家にとっては悩ましいテーマの一つとなりましょう。


作家として生き延びるのは、作家自身の気の持ちようでは、と思います。たとえ作品を書かなくても、私は作家だ、と思い続けられれば、生き延びていることになり、一方、作品を書き続けても、作家として生きた心地がしない人もいるかも(僕はこちらです)。


大事なことは、他者を気にしないことですね。読者の言うことも気にしない方がよろしいかと。褒められても、貶されても、ほとんど同じ、ただの「声」そして「音」だと受け止める。声や音は、騒がしくても、風みたいな「力」ではないので、押されたり引っ張られたりすることはありません。影響を受けているような気がするだけで、前進も後退も、実は自分の力でしているのです。


作品タイトル:【インタビュー・対談】

記事名:森 博嗣 × 五十嵐律人  往復書簡

作者名:メフィスト  mephisto

|その他|連載中|7話|38,361文字

メフィスト賞 , 真下みこと

インタビュー