「リハビリ旅行」第6回・『黒い縁』

文字数 2,599文字

『だいたい本当の奇妙な話』『ちょっと奇妙な怖い話』など、ちょっと不思議で奇妙な日常の謎や、読んだ後にじわじわと怖くなる話で人気の嶺里俊介さんが、treeで書下ろしショートショート連載中!

題して「不気味に怖い奇妙な話」

えっ、これって本当の話なの? それとも──? それは読んでのお楽しみ!

第二弾の「リハビリ旅行にて」は毎週火曜、金曜の週2回掲載!(全7回)


今回は出雲大社への旅で出会った不思議な出来事!

第6回・黒い縁


 10月の初旬。59歳の誕生日を迎えた翌日、私は島根県の出雲市を訪れた。


 出雲市の10月といえば、日本中の神様が集まる神在月なので観光客が多い。週末はどこの宿でも予約でいっぱいになる。

 混雑を避けるため、私は早朝に松江市のホテルを出発し、一畑電車の始発に乗って出雲大社へ向かった。移動すること一時間あまり、今年は猛暑が長引いたため習慣で半袖を着込んだが、朝は冷え込むようになったので半袖ではきつい。


 私は駅前からバスに乗り、稲佐の浜で下りた。

 稲佐の浜は八百万の神々を迎える場所だ。正面に佇む弁天島は人気スポットになっている。訪れる観光客は熟年の夫婦が多い。


 同じバスに乗っていた女性がすぐ横を追い抜いていった。黒地に細い白の縦ストライプが入ったスーツを着ている。しっかりした足取りで、砂浜へと進んでいく。その若々しく力強い動きと後ろ姿に、私はしばし見とれてしまった。


 彼女は案内板には目もくれず、道路から砂浜へと下りていった。周囲を歩くのは熟年の夫婦らしき方々ばかりだ。彼女は否応もなく目立つ。


 黒いスーツを身にまとった若い女性。容姿からして歳は30手前に見える。動きもきびきびしている。そんな彼女がスマホを片手に1人で観光している姿が、どうにも周囲と合わなくて私は興味を引かれた。


 彼女は弁天島の前で屈み込み、砂遊びを始めた。そんな姿が幼い子どものようで微笑ましくもある。しかし彼女がふと上げた顔の表情を見るなり、私は息を呑んだ。


 彼女は泣きじゃくっていた。


 もしかしたら付き合っていた男性と別れたのかもしれない。そういえば出雲は縁結びの出会いの場所だ。訪れる夫婦や男女は多い。


 彼女は長々と手を合わせてなにやら願い事をしていたが、腕で顔を拭うと、踵を返して足早にバス通りへと戻っていった。


 鮮やかだ。キャリアウーマンの失恋という印象を受ける。しかし漆黒のスーツ姿で観光地を1人歩く後ろ姿は、観光客の中に葬儀に参列する弔問客が混じっているようで一種異様なコントラストを醸し出していることは否めない。


 その後も何度か彼女の姿を目にすることになった。主に出雲大社の敷地内である。

 声をかけようかと思ったが、その都度彼女を見失った。


 彼女の足は、そぞろ歩く観光客をかき分けて雑踏に紛れ、次の瞬間には消えてしまうくらいに早かったのである。


 そして私は出雲大社の参拝を終えた。


 一畑電車で出雲大社前駅から川跡駅へ向かい、松江しんじ湖温泉行きへと乗り換える。座席に座り、膨らんだバッグを膝に乗せて一息憑いたら、途端に睡魔が襲ってきた。


 無理もない。展望台を含めて勾配のある道を6時間以上も歩き回ったのだ。スマホの歩数計は2万歩を超えている。現在の私にとっては限界だ。


 しばらく座席でうとうとしていたら車窓に黒いものが舞っていた。走っている電車のすぐ横を飛んでいる。まるで私の顔を覗き込むように離れない。


 虫としては体が大きい方である。最初はカラスアゲハだと思ったくらいだ。しかし電車が駅に近づいて速度が落ちると、虫の種類が露わになった。左右に平行に並ぶ、細長い4枚の翅。そのシルエットは間違いなくトンボだ。

 赤トンボ、いわゆるアキアカネより大型だ。オニヤンマとまではいかずとも、シオカラトンボくらいはある。しかし蝶のように見分けがつかないほどトンボは翅を乱雑に舞わせて飛ぶことが出来るのだろうか。


 単に電車の車体に沿った乱気流に弄ばれていただけかもしれないが、なぜそこまでこの電車に執着しているのか。


 電車が駅を発車すると、黒いトンボは翅を畳み、足を窓枠にひっかけて必死にしがみついた。体を竦め、強い向かい風もなんのそのといった体である。


まるで黒いストーカーじゃないか。また黒だ。


 午前中は黒いスーツの女性だった。どうも今日は黒いものに縁がある。

 だが黒いトンボなんて珍しい。これは本当にトンボなのか。シルエットからしてカゲロウにも似ているが、4枚の翅を平行にして跳ぶ姿はまさしくトンボだ。スマホを取り出してネットで『黒いトンボ』で調べてみたら、『ハグロトンボ』と出た。こいつだ。


 それにしても、まとわりついてくる黒い存在といえば死に神を連想してしまう。なんとも縁起が悪い。


 はたして、いつまでこの黒いトンボはついてくるのだろうかと訝しんでいたら、一畑口駅に着いた。

 この駅で一畑電車はスイッチバックする。運転手は先頭車両から最後尾の運転席へ移り、進行方向が前後逆になる。

 リレーのバトンタッチみたいだなあと思っていたら、窓枠にしがみついていた漆黒のトンボが離れていった。実に呆気ない退場だった。


 終着駅の松江しんじ湖温泉駅から夕闇に包まれた道をホテルまで歩く。

 今日は黒いものに縁がある日だ。ただの偶然だろうが、死に神に監視されていたようで薄気味悪い。

 まてよ、と思う。

 本当に今日だけか。たまたま気づいたのが今日だっただけではないのか。実はいままでもずっと傍に黒いものが憑いていたけれど、私がそれに気づいていなかっただけではないのか。


 死に神は、これまでもずっと私を監視していたのではないか。


 湧き起こった不穏な妄想を膨らませつつ、私はぶるりと体を震わせた。

 土産類で重くなったショルダーバッグが重い。肩も痛みだした。一日中歩き回ったので足取りがふらついている。


 湖畔に建つホテルはもうすぐだ。

 見上げると、漆黒のシルエットが目の前に聳えていた。

嶺里俊介(みねさと・しゅんすけ)

1964年、東京都生まれ。学習院大学法学部法学科卒業。NTT(現NTT東日本)入社。退社後、執筆活動に入る。2015年、『星宿る虫』で第19回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、翌16年にデビュー。その他の著書に『走馬灯症候群』『地棲魚』『地霊都市 東京第24特別区』『霊能者たち』『昭和怪談』などがある。

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色