「リハビリ旅行にて」第5回・深夜の喫茶室

文字数 1,923文字

『だいたい本当の奇妙な話』『ちょっと奇妙な怖い話』など、ちょっと不思議で奇妙な日常の謎や、読んだ後にじわじわと怖くなる話で人気の嶺里俊介さんが、treeで書下ろしショートショート連載中!

題して「不気味に怖い奇妙な話」

えっ、これって本当の話なの? それとも──? それは読んでのお楽しみ!

第二弾の「リハビリ旅行にて」は毎週火曜、金曜の週2回掲載!(全7回)


今回は旅先で泊まったホテルでの怪!

第5回・深夜の喫茶室


 愛煙家にとって肩身が狭い時勢である。観光地や娯楽施設でも、施設内は禁煙である。一服できず寛ぐことができないとなれば自然と足が遠のいてしまう。おかげでレジャーに関わる出費が減ってしまったが、これは喜ぶべきか。


 取材旅行へ出かけても、完全禁煙のホテルが多くなったので宿を探すのが一苦労になった。

 妖怪に関する作品の大御所の名を冠した通りを観光名所としている港町を訪れたときも喫煙できる部屋はなく、なんとか喫煙室が館内にあるというホテルを見つけて宿泊することになった。


 百を超える妖怪群の像が立ち並ぶ通りを楽しんでから、ホテルの部屋で資料を整理していたら深夜になってしまった。

 喉が渇いたので、部屋を出て自販機が併設されている喫煙室へと向かう。同じフロアに喫煙室があるだけでもありがたい。


 時計は2時を過ぎている。


 部屋に入ると、ノンアルコールとビール、2機の自販機が並んでいる。その奥が喫煙室になっていた。喫煙室のドアを開けて暖簾を潜ると、時間が時間だけに無人だった。


 港の夜景を眺めながら一服していたら、部屋の外に気配があった。気づかなかったが、誰かが自販機の缶ビールを求めにきたようだ。興奮して眠れないのかもしれない。観光地ではよくあることだ。


 ドアの向こうから、ちゃりんちゃりんと自販機にコインを入れる音が聞こえてくる。静寂な部屋なので響く。続いて、取り出し口に缶が落ちる音。

 暖簾の裂け目から、ガラスドアの向こうの様子を伺うことができるが、姿が見えないので屈み込んでいるようだ。


 彼または彼女も喫煙室に入ってくるかなと、しばし様子を窺う。ちょうど暖簾の隙間から出入り口のドアが覗いているので、出て行くならドアが開いて背中が見えるはずだ。こちらに来るなら場所を開けてやらねばならないので私は身構えた。


 驚かないよう、先客がいることを知らせるため、煙草を吸い込み、煙を大きく吐き出す。

 しかし相手の姿は相変わらず見えない。それどころか、廊下側のドアが開かないまま気配が消えた。

 私は喫煙室のドアを開け、暖簾を上げて自販機コーナーを確かめた。

 私は喫煙室のドアを開け、暖簾を上げて自販機コーナーを確かめた。


 誰もいなかった。廊下へ出るドアを開いて周囲に目を遣ったが、やはり長い廊下に人の姿はない。各部屋のドアも開け閉めされた気配もない。


 またか。疲れているせいだろうが、どうも聴覚がおかしくなっている。


 念のため自販機の取り出し口を覗いてみたら缶コーヒーがあった。

 冷たい。つい今し方、誰かが購入したものだ。


 私は缶コーヒーをそのまま放っておくことにした。誰かが忘れたものなら、ほどなく戻ってくるだろう。

 どうやら私はその人が出て行ったのを気づけなかったようだ。


 自室に戻り、窓から妖怪の像が並んでいる通りを見下ろす。百を超える像は夜の静寂に溶け込んでいる。

 逆に窓の外から誰かに覗かれているような気がして、私はカーテンを閉めた。


 ことり。


 背後で音がした。


 テーブルの上に、缶コーヒーが置かれていた。触ってみると冷たい。先ほどの缶コーヒーだ。缶のタブは開いていない。

 部屋を見回したが、誰の姿もない。

 カーテンの向こう、窓の外に気配を感じた。近づいてカーテンを開けてみたが、もちろん誰もいない。眼下の通りに妖怪たちの像が並んでいるだけだ。


 再びカーテンを閉めてテーブルに向かう。


「ようこそ」


 後ろのカーテンの向こうから、なにかの声が聞こえたような気がした。


 ホテルは妖怪の像が並ぶ通りに面している。もしその中に本物の妖怪が混じっていて、訪れる観光客に悪戯を仕掛けているのだとしたら、それはそれで興があるというものだ。


 なるほどこれはウエルカムコーヒーだったか。

 妖怪たちは、悪戯が大好きなのだ。


嶺里俊介(みねさと・しゅんすけ)

1964年、東京都生まれ。学習院大学法学部法学科卒業。NTT(現NTT東日本)入社。退社後、執筆活動に入る。2015年、『星宿る虫』で第19回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、翌16年にデビュー。その他の著書に『走馬灯症候群』『地棲魚』『地霊都市 東京第24特別区』『霊能者たち』『昭和怪談』などがある。

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