子どもにとっての「緊急事態と物語」/飯田一史

文字数 3,621文字

2020年に発出された緊急事態宣言下、人々の命や健康を守るため、経済や行動の自由は制限され、異様な空気が社会全体を覆いました。

その影響を受けなかったものは、およそ世界にひとつもなかったのではないでしょうか。

そんな中で、「物語」や「エンターテインメント」の役割やあり方は、どのように変わったのでしょうか。


2020年4月1日以降の各1日をテーマに、treeで連載した100名の作家による100作の掌編企画『Day to Day』の書籍版発売を記念し、「緊急事態と物語/real and narrative;2020-2021」というテーマで、気鋭の論者に分析していただきました。

飯田一史(いいだ・いちし)


出版社にてカルチャー誌や小説の編集者を経験したのち、独立。マンガ、ネット動画などのサブカルチャーと、ラノベ、ウェブ小説などの文芸をドメインに取材・執筆を手がける。文化の経済・経営的側面に関心がある。単著に『マンガ雑誌は死んだ。で、どうするの? マンガアプリ以降のマンガビジネス大転換時代』『ウェブ小説の衝撃』など。構成を担当した本に石黒浩『アンドロイドは人間になれるか』、藤田和日郎『読者ハ読ムナ』、福原慶匡『アニメプロデューサーになろう!』ほか。


■「子どもの本離れ」を解消した数々の施策が緊急事態下ではメタメタになった


 物語は、生活とむすびついている。 1990年代後半まで深刻化していた「子どもの本離れ」は2000年代以降劇的に解消され、2010年代以降の小・中・高校生は過去半世紀の中でもっとも平均読書冊数が多く、不読率(まったく本を読まない人の割合)が低い。これは毎日新聞と全国学校図書館協議会が毎年実施している「学校読書調査」のデータの推移にはっきりとあらわれている。


 V字回復の理由のひとつには、国家ぐるみの読書推進政策が90年代後半から始まり、「子どもの生活サイクルの中に読書が組み込まれるようになったこと」がある。

 たとえば1回10分程度、自由に読書する「朝の読書」の実施校は1997年時点では250校程度だったが、2020年3月時点では小学校の80%、中学校の82%、高校の45%で行われている(朝の読書推進協議会調べ)。

 学校における読書ボランティアの活用状況は2002年には小学校でも31.5%だったが、2016年時点では81.4%にも及び、多くの学校で昼休みなどに読み聞かせが行われるようになった(文部科学省「学校図書館の現状に関する調査」)。

 こうしたさまざまな活動が実を結び、80年代以降、マンガやゲーム、塾に振り向けられて減少していた児童・生徒の1日のなかでの読書の時間は、半ば強制的に確保されるようになった。

 それによって子どもはさまざまな本を通じて物語と出会う機会を得た。


 ではコロナ禍によって緊急事態宣言が発令された2020年春以降、子どもの読書環境はどう変化したのか。


 メディアに登場した話は、比較的景気のいいものが多い。

 曰く、休校に合わせて学習参考書とともに学習まんがなどが飛ぶように売れた。

 曰く、巣ごもり需要で児童書、とくに読みものの売れ行きが良い。

 しかし「売れたかどうか」ではなく「読まれたか」に関しての報道は少ない。


 「学校図書館」(全国学校図書館協議会)2021年3月号の特集「コロナ禍の学校図書館と子どもの読書」で公表されたアンケートによれば、休業(休校)中に読書を課題にしたのは小学校52.4%、中学校32.5%、高校24.1%に留まる。

 高橋松之助記念顕彰財団は、主催する「朝の読書大賞」を受賞した小・中・高計42校に対してコロナ禍における読書推進活動のアンケートを冊子にまとめ、2021年2月21日にサイト上に公開した(http://www.takahashi-award.jp/award/ques2020/result.pdf)。

 これによれば2020年、休校解除後に、朝読を例年どおり実施している学校の割合は62%、段階的に実施が26%、(ほとんど)実施できていないが12%。実に4割近くが「例年通り」の朝読が実施できていない。



「感染予防対策のため、読み聞かせが実施できていない」という声もある。読書ボランティアの来校頻度は下がり、子どもが直接的に物語を伝え聞く機会は減った。


 書店ではどうか。筆者は2020年暮れにある書店の児童書担当者に取材する機会を得た。

 児童書の売れ行きは例年より良い、とのことだった。

 だが変化はないのかと訊くと、それまでは児童書は試し読みできるような見本がたくさん置いてあったが、感染防止対策として撤去せざるをえなかった、という。しかけ絵本のように手に取ってから選びたいものには不利に働いたと言える。たしかに多くの書店では、併設されていたキッズスペースがなくなったし、図書館も含めて読み聞かせイベントは軒並み中止になり、今も元通りにはなっていない。

 さらに、売れ筋について訊くと、絵本で売れたものは「大人に(も)人気の作家」のタイトルが並んだ。感染を避けるために子どもの来店自体が減り、保護者が本を選ぶようになったからだ。


 緊急事態宣言下で、児童書は売れた。

 しかし、子どもは書店でみずから読みたい本を選ぶ機会を奪われ、休校期間中には朝読はなく、休校明けでも従来の6割しか例年通りには実施しておらず、学校や書店、図書館で読み聞かせてもらう機会も減った。


 物語は、生活とむすびついている。

 生活が変われば、触れる物語の内容も、触れ方も変わる。

 コロナ禍において子どもの本は売れたが、偶発的な出会いの機会や自ら選んで読む楽しみはむしろ減ったのではないかと筆者は見ている。

 ひとりの本好きとして、また出版業界人である筆者のポジショントークとしては「これは由々しき事態だ」と言わざるを得ない。





■大人の強制が外れて子どもが自由に選んだものを肯定したい


 ただ半面では「それはそれで新しい機会になったんじゃないか」とも思っている。

 どういうことか。


 巣ごもりになって、代わって子どもはどんな物語を受容していたのか。

 ネット上では「休校期間中はゲームばかり」「YouTubeばかり観ている」という話が多かった印象がある。実際どうだったのかをまとめた調査はないから正確なところはわからないが、たとえばYouTubeの総再生時間が激増したことは複数のYouTuberが証言しており、間違いなさそうだ。


 仮に子どもがゲームやYouTube三昧だったとして、そこに物語がなかったかといえばそうではない。あるいは、ゲーム自体に物語性がなくても、そこから派生して生まれた物語はたしかに受容されていた。


 たとえば小学生男子に人気の「コロコロコミック」にはゲーム発のマンガとして『スーパーマリオ』『星のカービィ』『ポケットモンスター』『妖怪ウォッチ』といった定番から『にゃんこ大戦争』や『Minecraft』といったゲーム自体にはストーリー性がほぼない作品までマンガ化して掲載されている。私の5歳の息子は『にゃんこ大戦争』やマイクラが好きだが、マンガも笑いながら読んでいる。


 また、YouTubeも2010年代後半以降、バラエティ番組的なトークと企画を主体にしたものやゲーム実況以外にも、ストーリー性のある動画にも人気のチャンネルが出てきている。

 たとえば小学生に人気のホラーチャンネル「クロネコの部屋」(2018年開設、チャンネル登録者数約43万)では、魔女の格好をした「ミステリー案内人さん」とガイコツの「骨江」を案内人とした1本数分の短い怪談やホラー(いわゆる「マンガ動画」と呼ばれる紙芝居スタイルの動画)がたくさんアップされている。このチャンネルの動画を元に、2020年6月には原著クロネコの部屋、著・一夜月夜・天乃聖樹・高橋佐理『ミステリー案内人さんのコワイハナシ』(KADOKAWA)という小説も刊行されている。


 ただ、上記のようなものでなくても、中身がどんなものであれ、筆者はあの特別な時間に子どもが体験した(広い意味での)物語すべてを肯定したい。

 大人が子どもに対しても行動の自由を制約しておいて、そのうえ制約の中で選んだものにまでとやかく口を出すのは、エゴが過ぎる。

 制度的に半強制的に用意されてきた読書の時間がなくなり、大人が選んで買ってきた本を無視して子どもがゲームやYouTubeに熱中していたとしても、それは子ども自身が選んで好きになったものだ。多くが奪われたなかで得た、数少ない自由である。だからそれは、たとえ大人が眉をひそめるものであったとしても、絶対に尊い。

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