巻ノ三 妖人正雪(二)承前、(三)

文字数 5,379文字

宮本武蔵、有馬喜兵衛、塚原卜伝、関口柔心、陳元贇、柳生十兵衛三厳、宍戸梅軒――

人間を捨てた外道たちが、最強の覇者を決める勝ち抜き戦でしのぎを削る!

「小説現代」の人気連載、夢枕獏さんの「真伝・寛永御前試合」が待望の再開!

最強の漢はだれか――ぜひご一読ください!


イラスト:遠藤拓人

(二)承前


 言葉遣(づか)いは丁寧(ていねい)だが、その視線は強い。

 丸橋忠弥のはらわたまで、その槍の如き視線を突き入れてくる。

 ただ、まだ、川端十郎兵衛は、丸橋忠弥に問われたその用件を口にしていない。

「左右に控えるのは、奥野文雄(おくのふみお)、竹中象次郎(たけなかしょうじろう)と申しまして、諸国行脚の途中に出会うた者たちでござりまするが、不伝先生の軍学に興味を持ち、教えの一端を語って聞かせましたところ、感銘を受けて、ぜひとも不伝先生より直に教えを学びたいとのことで、同道いたしました。今は、それがしの弟子にござりまするが、江戸に入り不伝先生に会うた後は、正式に不伝先生の門下に加えていただくべく、旅をいたしておりました。しかし、旅の途中不伝先生の訃報を耳にして、急遽、西国より江戸へ足を向けた次第──」

 川端十郎兵衛、流暢に語っているが、口が動いている間も、丸橋忠弥をその視線で縛りあげようとするかの如く、強い眼光を放ってくる。

 しかし、丸橋忠弥もただの人物ではない。

 長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)の血をひく、宝蔵院流槍術(そうじゅつ)の使い手で、御茶ノ水に道場を開いていたのだが、正雪と知り合い、その門下に加わった人物である。号は一玄居士。

 川端十郎兵衛の視線を受けて、平然としているばかりでなく、一文字に結んでいる唇は、何やら楽しそうに笑みを浮かべているようでもある。

 自分で道場を開いていた頃、家に押し入った盗っ人、青狐(あおぎつね)一味のうち三人を、本身の槍で突き殺している。

 その殺し方が凄まじい。

 ひとり目の盗っ人の腹を突いたら、穂先が、一尺半ほど向こうへ突き抜けた。

 すぐには抜けない。

 勝機と見た一味の者が、刀で斬りかかってくるのを、

「面倒!」

 と、ひと声叫んで、人ひとりを刺したまま槍を横へ振ってその突き出た穂先を斬りかかってきた者の脇腹に突き入れた。

 そこへ、さらに後方から斬りかかってくる者がいた。

「くわあっ!」

 と、声をあげ、槍の途中に串刺しになったふたりの男をそのまま持ちあげ、さらに背後から斬りかかってくる者の胸板を貫いたのである。

 この時、刺されたふたりはまだ生きていて、苦痛に呻き、暴れている。それをぶら下げたまま、槍を操って、三人目を刺したことになる。

 たいへんな剛力である。

「四人目は誰じゃ」

 丸橋忠弥がそう言った時には、周囲にはもう盗人の影はなかったというのである。

 しかし、また──

 この忠弥を前にして、もの怖じしない川端十郎兵衛も、ただ者でない。

「して、御用のむきは?」

 忠弥が、あらためて問う。

「亡き不伝先生に、線香などたむけさせていただこうと思うて寄らせてもらいました。もうひとつには、張孔堂先生にお会いして、色々とお話し申しあげたき儀もござりましてな。重ねておうかがいさせていただきまするが、張孔堂先生は、御在宅でござりまするか──」

 何故正雪に会いたいのか、それには答えず、

〝貴殿では話ができぬ、主の正雪を出せ〟

 川端十郎兵衛は、そう言っていることになる。

「生憎と、先生はただいま留守にしておりましてな。お帰りもいつになるやらわかりませぬ。不伝先生の仏壇は当道場にござりますので、手を合わせてゆきたいということなれば、もちろん御案内いたしまするが、残念ながら、今申しあげた事情で、正雪先生との対面は本日はかないませぬ」

「では、明日にでもまたあらためて参上いたしまする故、いかほどの刻限に足を運べばよいかをうかがいたい」

「いつ帰るかわからぬと申しあげました」

「明日になるか、明後日になるかも?」

「はい」

 忠弥も、ここはすでに居なおっている。

 川端十郎兵衛が、本当に不伝の一番弟子であったかどうかはともかく、その風体、見るからにいかがわしい。

 腕が立つのは、そのたたずまいから知れるものの、その姿は、三人ともに、食いつめた浪人そのものである。

 このような人物が現れて、

〝主人に会わせよ〟

 と言うたびに、正雪が顔を出すわけにはいかない。

 川端十郎兵衛も、さすがにそこは理解している。

「まずは、正雪先生に会いたいというその御用件をうかがいましょう」

 忠弥に言われて、

「実は、不伝先生に、生前より言われていたことがござります」

 川端十郎兵衛は、あらかじめ覚悟していたようにそう言った。

「それは?」

「〝自分がこの世を去った時は、この不伝の後を継ぐのは、川端十郎兵衛よ、こなた以外にはおらぬ〟と、そのように──」

「ほう……」

 忠弥、爪の先ほども信じた様子はなく、ただ、そう声をあげただけだ。

「証文もござりまする。諸国行脚の旅に出る前にいただいたものです。不伝先生の花押(かおう)もござります」

 川端十郎兵衛は、はっきりと言った。

 花押というのは、本人を証明する署名の如きもので、平安時代あたりから、文書に記す実名の下に書かれるようになったものだ。

「花押が……」

 忠弥は、胡散臭い噂を耳にしたような表情を、あからさまに顔に浮かべた。

 それに合わせたように、川端十郎兵衛は、口の端に笑みを作り、

「ところで、不伝先生、亡くなられたのは、瀉死であったとか──」

 こう問うた。

「そのように聞いております」

 瀉死──激しい下痢が原因の死のことだ。

 ちなみに、文献によれば、不伝が瀉死でこの世を去ったというのは確かなことらしい。

 川端十郎兵衛、すました顔で、次のように言った。

「不伝先生の御遺体からは、巴豆(はず)の香りがしたとの噂がござりますなあ……」

 巴豆──トウダイグサ科の小高木で、この種からとった油は下剤として使用されるが、実はたいへんな猛毒で、服用をあやまれば、下痢のため脱水して、たやすく死に至る。

 川端十郎兵衛、暗に、というか、ここではあからさまに、

〝正雪が不伝を毒で暗殺したのではないか〟

 そう言ったことになる。

 これは、当時、すでに噂として広く関係者たちの間では語られていたもので、現在では、事実であろうとされている。

 正雪は、師である不伝の持っている軍学上の資料や、認可状、秘伝書、道場、あらゆるものを自分のものにするために、不伝を毒殺したことになる。

 それを指摘されても、忠弥は顔色も変えず、

「それなれば、明後日、夕刻においでくだされば、正雪先生、間違いなく貴殿にお会いなされることでしょう。そのおり、その証文というものも、御持参いただければ、話も早かろうと存じます」

「承知」

 川端十郎兵衛がうなずき、そういうことになったのである。


(三)


 正雪は、道場の横手にある母屋の自室で、川端十郎兵衛、奥野文雄、竹中象次郎と向きあっている。

 床の間を背にしているのは、もちろん正雪である。正雪の右に、正雪に近いところから丸橋忠弥、金井半兵衛の順で座している。

 その六名が、十畳間で向きあっているのである。

 床の間にある刀掛けに、大小二本の刀が掛けられている。主人の正雪は無刀。丸橋忠弥、金井半兵衛もまた無刀で座している。

 対して、川端十郎兵衛、奥野文雄、竹中象次郎は、それぞれ小刀を腰に残したまま、刀を、常ならば右側に置くところ、座した自分の左側に置いている。

 これは、正雪に対して、自分たちはおまえに対して決して油断をしていないぞという、あからさまな意思表示であった。

 端座した正雪は、黒い袴に黒い小袖──小袖には赤い梅の花を左肩から左袖、左胸に幾つも散らしている。おそらく、背にもその花はこぼれていることであろう。

 頭は、前髪を丁寧に後方へまわした総髪で、その髪の先は肩や背にかかっている。

 やや面長で、鼻筋は細く、唇は赤く薄い。

 何やらその口元が、微笑しているようにも見えるが、これが、正雪の自然(じねん)の体(てい)であるらしい。

 梅が咲きはじめた頃で、まだ寒い。

 正雪の左側に、火鉢が置いてあり、その中で、炭が赤く熾っている。

「川端どの……」

 口を開いたのは、丸橋忠弥であった。

「貴殿のお名前、確かに当道場の名簿中にござりました」

「そうであろう」

 川端十郎兵衛の顔に直前まで表われていた力みが半分ほど抜けて、表情がわずかに緩んだ。

「して、御用のむきは?」

 すでに、少し前、この三名は道場にある不伝の位牌の置かれた仏壇の前で手を合わせている。

 その後、三人は、丸橋忠弥に案内されて、正雪の待つこの部屋までやってきたのである。

「先日、丸橋殿にお話し申しあげた通りでござりまするよ」

「そのことなれば、すでに正雪先生にはお伝えしております」

 忠弥が言うと、正雪が、無言で顎を引いてうなずいた。

「川端どのにおかれては、何が望みか、単刀直入に申されよ」

 丸橋忠弥が言う。

「それがしも、正雪先生が来られる前、あの道場がどのようなありさまであったかは、充分に承知しております。正雪先生の器量あったればこそ、この道場の今の繁栄があるものと理解しております」

 川端十郎兵衛、言いながら、正雪の表情をうかがっている。

 しかし、正雪の表情、能面のようにいささかも変ることがない。

「しかしながら、師の言葉は師の言葉、真の証拠に、その証文もござります」

 正雪の口元には、まだ、微かな笑みが溜められたまま動かない。

「いかがで、ござろうか。それがしと正雪先生、半々とは言わぬ。道場の差配、その他、あれこれの三割をそれがしにお預けいただけぬか──」

 道場の三割を自分によこせと、川端十郎兵衛は言っているのである。

 正雪は無言である。

 丸橋忠弥も無言。

 金井半兵衛はまだ一度も口を開いてない。

 川端十郎兵衛の額に、細かい汗が浮いている。

 何年か前、確かに道場にいたかもしれぬが、何かでしくじったか、いやになったのか、江戸から出てしばらくしたら、かつて自分が出てきてしまった道場の景気がやたらとよさそうである。ちょうど食いつめていた仲間ふたりと語らって、うまい汁を吸いにもどってきた──

 そう思われているだろうと、川端十郎兵衛もわかっている。

 しかし、表立って口にする者こそいないが、自分の師である不伝は、この張孔堂正雪に毒殺されたと、川端十郎兵衛は思っている。

 それを騒ぎたてずに済ませてやる──代りに道場の三割を自分によこせ、このように川端十郎兵衛は正雪を脅しているのであった。

 ただ、正雪の表情に変化がない。

 そこが、川端十郎兵衛にとっては不気味であった。

 と──

 膝に置いていた右手を、正雪がゆるゆると持ちあげて、前に伸ばした。

「まずは、その証文をお見せいただきたい」

 正雪が、口にしたのではない。

 丸橋忠弥が言ったのである。

 川端十郎兵衛は、右手を懐に入れ、何やら折りたたんだ、紙片を取り出した。

「これじゃ」

「おう」

 丸橋忠弥が膝を進めて、その紙片を受け取り、それを正雪の右手に握らせた。

 右手のその紙片に、正雪が左手を伸ばしてゆく。

 両手で、その紙片を開いて中をあらためるのかと、もちろん、川端十郎兵衛以下の三人は思っている。

 ごくり、

 と、川端十郎兵衛が唾を吞み込む音が響いた。

 その時であった。

 正雪は、その紙片を、あらためもせず、そのまま音をたてて両手でふたつに引き裂いたのである。

 引き裂いた紙片を重ねてさらに引き裂き、それを重ねてさらに八つに引き裂いて、正雪は、火鉢の中に投げ込んだ。

「な、何をするか!?」

 川端十郎兵衛が腰を持ちあげた時には、もう、紙片は炎をあげていた。

 部屋にいる者たちの顔が、赤く照らし出された。

「お、おのれ!」

 川端十郎兵衛が左に置いた刀に左手を伸ばした時、

「待たれよ!」

 膝を進めて、懐に右手を入れた金井半兵衛が、川端十郎兵衛の前に、立ちふさがった。

 懐から右手を抜いて、手の中に握っていたものを、

 とん、

 と川端十郎兵衛の前の畳の上に置いた。

 それは、黄金色に光り輝いていた。

「これは!?」

 川端十郎兵衛が、動きを止めて、その輝くものを見つめた。

 それは、重ねられた、小判であった。

「十両ござる」

 半兵衛は言った。

「今の焚きつけ、なかなか暖こうござった。これはその焚きつけ料じゃ」

 金井半兵衛が、川端十郎兵衛を睨んだ。

「この十両で、お引き取り願おうか」


(つづく)


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