「死亡予定入院」第7回・終わりなき日々

文字数 2,802文字

『だいたい本当の奇妙な話』『ちょっと奇妙な怖い話』など、ちょっと不思議で奇妙な日常の謎や、読んだ後にじわじわと怖くなる話で人気の嶺里俊介さんが、treeで書下ろし新連載をスタート!

題して「不気味に怖い奇妙な話」

えっ、これって本当の話なの? それとも──? それは読んでのお楽しみ!

第一弾の「死亡予定入院」は週2回掲載。(全7回)

「死亡予定入院」最終話は「終わりなき日々」。

えっ、てことは終わらないの⁉

終わりなき日々


 退院から3週間、施術した患部の痛みが引いて膿が止まった。今後は、摘出した腫瘍が急激に肥大してしまった原因である糖尿病と向き合わねばなるまい――と、腹をくくった矢先のことだった。


 夜。風呂に入ろうとして服を脱いだら、下腹部に激痛が走った。

 いかん、まだ死にたくないぞ。なんとかせねば。


「……きゅ、救急車を」


 両親の立ち会いの元、私が救急車に乗り込んだのは午後3時過ぎのことだった。


「糖尿の治療を優先します」


 病院に搬送されるなり、有無を言わさず入院手続きが進む。

 猛烈に嫌な予感がする。いったん入院してしまうと、治療内容や期間は担当医師の裁量によって決められる。てっきり医師の説明を受けて当事者の患者が了承して決まるものだと思っていたが、決定権者は担当医師にあると言われた。彼が入院期間を1ヵ月と言えば1ヵ月になり、半年や1年になる。


 この話、よもや続きはしないだろうな。転移や再発を繰り返せば病院にとってお得意客になる。これで終わり『完結編』かと思いきや、『前・中・後編』『完結編第2章』『RE:完結編』『完結編 天・地・人の巻』『新たなる旅立ち』と、延々と続いていくのでは。


 私は軽いめまいを覚えつつ、5月29日月曜日、再びM病院の世話になることになった。

5月30日火曜日。


糖尿の治療が始まった。また長期入院である。


予報では全国的に大雨になっている。線状降水帯が複数発生する恐れがあると警報していた。窓の外、木々の枝が暴風雨で激しく揺れていたが、こっちはこっちで大変な状況だ。


治療と言う名の薬漬け。次から次へと点滴が続く。


入院中に一度、私は意識を失って倒れてしまった。30度を超える猛暑日のことである。

院内は空調が効いているが、午後1時過ぎになって汗ばんできた。

仮眠もままならないとなれば困る。設定温度を1度下げるかとベッドから立ち上がり、室内のトイレの向かいにある壁の液晶パネルを操作しようしたら、意識が遠のいた。視界が暗転し、衝撃音が響く。


……冷たい床の感触がある。眼前にはタイル。いつの間にかトイレの床に横たわっていた。強く打ったのか、肘から腰にかけて痛い。

どうやら意識を失い、後ろのトイレへ倒れ込んだらしい。

スライド式のドアに付いている把手が壊れて外れていた。衝撃音はそのときのものだ。倒れるときに全体重をかけて掴まろうとしたのだろう。記憶はまるでないが、倒れるにせよ身体が無意識のうちに安全を測ろうとしたのは意外だ。人間の防衛本能は凄まじい。


めまいを感じると両腕で頭をガードする癖をつけたおかげで頭部は打たずに済んだ。ベッドから数歩の距離なのに油断ならないものだ。


 現代医学の技術には目を瞠る。体力の低下は否めないが、入院してから1週間で採血された血液の解析数値は正常になった。


 しかし入院は継続している。午前と午後に1回ずつ点滴を受けているが、そんな治療なら投薬で済むではないか。自宅からの通院治療で充分だ。


 既に緊急性はなく、24時間隔離したうえでの集中治療をする必要性はない。入院の要件を満たしていないのではないか。

 安価とは言えない入院費用が日々積み上げられていく現状に、不安と不審を募らせてしまう。


 自宅に2通のゲラが届いた。小説宝石の新刊エッセイと小説現代の掌編特集号に掲載予定の3編である。新刊エッセイは今月発売号の再校なのでチェックの締め切りがタイトになっている。


 俄に入院生活が緊張を帯びてきた。


 取り急ぎ、小説宝石の新刊エッセイの再校チェックを担当編集者へ連絡する。なにせ隔離入院中なのでゲラにペンを入れても、封筒がない、切手がない、外へ出られない、病院内にはコンビニはないし郵便局もない、預かり発送は医療サービスの範疇ではないと断られたため手も足も出ない。

 電話で口頭説明により担当編集者へ伝えるしかなかった。


6月13日、火曜日。


 病室を訪れた主治医に対して、私は「退院したい」と率直に告げた。既に数値は正常に戻っている。通院による自宅療養に切り替えたいと強く訴えた。


「……分かりました。明日退院ということでよろしいですね」


 やっと退院である。指折り数えて16日。2週間と少しで解放されることになったが、退院したいと訴え出なければどれだけ延びたことか。


 病室内の私物をチェックしていたら、しばらくして再び主治医がやってきた。


「確認された腫瘍はすべて対処しました。紹介状を書くので、退院したらそちらの病院へ行ってください。転院です」


 医師の言葉に安心する。


「糖尿病は恐ろしいですよ。やがて透析です。失明するし、足を切断しなくてはならなくなる」


 可能性の示唆ではなく断定表現だったので違和感があった。この手法は、振り込め詐欺でよく使われる「このままでは大変なことになりますよ」に代表される、詐欺師がよく遣う脅しだ。

 そもそも近日中にそんな事態になる患者を退院させるわけがないではないか。

 退院の意志を翻す様子がないことに気づいたのか、やがて主治医は出て行った。


 その夜、看護師たちが私の退院準備に入った。


「他の病院へ紹介状を持たされることになりましたか」

「よくご存じで」

「それって……」


 気安くなった看護師は、入院患者に対する病院の対応について、こっそりと教えてくれた。

 曰く、入院患者は基本的に2週間から3週間で他の病院へ転院させる。患者の情報を交換し、紹介しあい、繋いでいく。財政的に長期の入院に耐えられる患者を回しあい、入院費を請求する。


「健康のために」「命が危ぶまれないように」「ご家族のため」「ご自身の幸せのため」「信用してください」「治ると信じましょう」

「治りたいなら、私の治療に全幅の信頼を」


 宗教かよ。どうやら医療は信仰に通じるものらしい。死が近い患者ならば、身ぐるみ剥いでも死人に口なしだ。


 だが、あいにく私は期待されるような資産家ではない。

 溜め息を吐きながら、私は迎えに来た弟の車に乗り込んだ。


嶺里俊介(みねさと・しゅんすけ)

1964年、東京都生まれ。学習院大学法学部法学科卒業。NTT(現NTT東日本)入社。退社後、執筆活動に入る。2015年、『星宿る虫』で第19回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞し、翌16年にデビュー。その他の著書に『走馬灯症候群』『地棲魚』『地霊都市 東京第24特別区』『霊能者たち』『昭和怪談』などがある。

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