『ロミオとジュリエットと三人の魔女』門井慶喜・著 解説/松岡和子

文字数 2,942文字

解説

松岡和子(翻訳家・演劇評論家)


 タイトルを見ただけで「シェイクスピアに関係のある物語だろう」と見当がつくはずです。そう、そのとおり。でも、なんだかヘンですよね。ロミオとジュリエットはシェイクスピアが書いた悲劇の主人公で、その悲劇のタイトルでもある。「三人の魔女」はやはりシェイクスピアの後期の悲劇、と言うより四大悲劇の最後の作『マクベス』に登場する重要なトリオ。世界一有名な恋人カップルと「きれいはきたない」などの謎めいた呪文を唱えてマクベス夫妻を破滅させる超自然の存在とを並べるなんて! 両者を結びつけることがそもそもヘンなのですが、実はこれは本作の最後に演じられる劇中劇のタイトルでもあるのです。


 本作を読みながら、そして、読み終えてからも、ほとんど呆れつつ思ったのは、「いったいどうしてこんな奇想が作者門井慶喜さんの頭に浮かんだのだろう」ということ。


 なぜ「奇想」なのか?


 シェイクスピアが創り出した(本作に沿ってもっと正確に言えば「シェイクスピアがやがて創り出すことになる」)フィクションの世界とその住人たちの中に、シェイクスピア本人を登場人物として放り込む──これを奇想と言わずして何と言うべきか。


 時は1588年の夏の或る一週間。イングランド海軍がスペインの無敵艦隊アルマダを撃退した七月以降に設定されています。場所はイリリア。言わずと知れたシェイクスピア最後のロマンティック・コメディ『十二夜』の舞台で、ヴェネツィア共和国の支配下にあったアドリア海沿岸にあるとおぼしき架空の国です。門井さんはその架空度を一段上げて、イリリアを海に囲まれた島国にしています。


 いま「フィクションの世界」と言いましたが、その背景には史実があり、筋立ての要所要所にシェイクスピアの生涯の事実が織り込まれている。フィクションと史実・事実を混在させる匙加減が絶妙。それがこの物語の魅力の一つです。


 プロットの流れも戯曲仕立て。プロローグとエピローグに挟まれた物語は五幕構成で、第五幕では劇中劇(『ハムレット』における「ゴンザゴー殺し」が有名)が取り入れられ、大きな効果を発揮しています。


 アルマダ撃破後もイングランドとスペインの抗争及びプロテスタント(英国国教会)とローマ・カトリックとの対立は続きました。そのような「史実」や実在したイングランドの君主エリザベス一世とスペイン王フェリペ二世の関係が、本作の登場人物たちの行動に大きな影響を及ぼします。


 シェイクスピアの生涯の事実のほうはどうでしょう。生年(1564年)と没年(1616年)のほか、結婚、子供たちの洗礼、幼い長男の死、両親や弟たちの死、娘の結婚、などの年月は分かっています。ですが、双子の子供たちが受洗した1585年からロンドンの演劇界にシェイクスピアの名が出始めた1592年までのおよそ7年間は、彼がどこで何をしていたのか不明です。そこでこの時期はシェイクスピアの「失われた歳月、ロスト・イヤーズ」と呼ばれています。


 門井さんの想像力はそこに注がれ、大きくふくらみます。1588年はロスト・イヤーズのいわばど真ん中、ウィリアム・シェイクスピアは24歳です。この頃のウィリアムがどこで何をしていたかが全く分かっていないなら、いっそイリリアに行かせて……、というわけで、ロンドンで役者稼業についていたシェイクスピアは、この島国内外の事件に巻き込まれ、先に言及した劇中劇の執筆がきっかけで、ついに劇作家になる決心をして帰国を目指す。それが『ロミオとジュリエットと三人の魔女』の大筋です。


 ここで出会う人物たちがやがて喜劇『十二夜』や『夏の夜の夢』や『ヴェニスの商人』の登場人物になり、また、悲劇『ロミオとジュリエット』や『オセロー』の主役になる。


『ロミオとジュリエットと三人の魔女』を読むいま一つの楽しみは、シェイクスピア劇からの引用に出合うことです。たとえば「弱き者、汝の名は女」「尼寺へ行け、尼寺へ」(『ハムレット』)、「女の皮をかぶった虎の心!」(『ヘンリー六世』第三部)、などなど枚挙に暇がありません。シェイクスピアの戯曲「全作から引用することは最初から想定して」いらしたそうです。井上ひさし作『天保十二年のシェイクスピア』の向こうを張ったと言えるでしょう。


 本作が単行本になった時、私は門井さんと対談する機会に恵まれました(『小説現代』2021年12月号掲載)。いま引いた門井さんの言葉もその時のものですが、真っ先に伺ったのは、『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞なさり、日本の建築にも造詣の深い門井さんがシェイクスピアを主人公にした小説を書かれたのが驚きだったので、その経緯を。門井さんはおっしゃいました──


「時系列としては、実はシェイクスピアとの出会いが初めにあります。18歳のときにシェイクスピアの大ファンになりました。学生時代、シェイクスピアというと『世界の偉人』であり、人生や世界の深淵に触れる何か難しいことが書いてあるんじゃないか、というふうに思って敬遠していたのですが、読んでみたらすごく面白かったんです。その後に宮沢賢治や日本の近代建築とかが割り込んできたというわけです」


 シェイクスピアの広報担当を自認する私としてはこのうえなく嬉しいお言葉です。


 さて、イリリアを去るとき、ウィリアムは決心します。イングランドに戻ったら芝居を書こう、と。


 どんな芝居をか──「力強い言葉を、魅力あふれる人物を、華やかに転変するストーリーを。清冽でありつつ猥雑な、高貴でありつつ下情に通じ、一流の鑑賞に堪えつつしかも万人をたのしませることのできる劇」だとウィリアムは考えます。


 これはとりもなおさず作者門井慶喜さんのシェイクスピア観、その作品観だと言えるでしょう。

「あのちっぽけな島で出会った愛すべき人物たちを登場させ」て、これから『十二夜』や『ヴェニスの商人』や『ヘンリー四世』を書くことになるシェイクスピアと、2002年ごろに本作を書き、やがて『銀河鉄道の父』や『家康、江戸を建てる』を生み出す門井慶喜さんが重なって見えてくるのでした。

『銀河鉄道の父』の直木賞作家による奇跡のパスティーシュ小説!


スペイン無敵艦隊をイングランド海軍が破った1588年。ウィリアム・シェイクスピアはある密令を与えられ、欧州の島国で初めて戯曲を書き上げ上演する。シェイクスピア劇のオールスターキャストが登場するこの喜劇のできばえが彼の人生を変えることに。名手が世界的文豪に挑んだパスティーシュ小説。

門井 慶喜(カドイ ヨシノブ)

1971年、群馬県桐生市生まれ。栃木県宇都宮市出身。同志社大学文学部文化学科卒業。2003年「キッドナッパーズ」で第42回オール讀物推理小説新人賞を受賞し、作家デビュー。'16年『マジカル・ヒストリー・ツアー ミステリと美術で読む近代』で第69回日本推理作家協会賞(評論その他の部門)、同年に咲くやこの花賞(文芸その他部門)受賞。'18年『銀河鉄道の父』で第158回直木賞受賞。主な著書に『家康、江戸を建てる』『なぜ秀吉は』『信長、鉄砲で君臨する』など。近著に『江戸一新』『文豪、社長になる』『天災ものがたり』がある。

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色