不条理に立ち向かうヒロイン

文字数 1,295文字

 不朽の名作「理瀬シリーズ」最新刊『薔薇のなかの蛇』刊行にあたり、

三宅香帆さんに、ヒロイン「水野理瀬」の魅力について存分にご執筆いただきました!


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水野理瀬。その名前をはじめて認識したのは、『三月は深き紅の淵を』を読んだときだった。


「ことわりを憂う。いい名前でしょ」


 理瀬の友人である憂理が発したその台詞にあてられてしまい、なんて美しい物語なのだろう、と胸を高鳴らせた記憶がある。


 個人的な話になってしまうが、理瀬シリーズをはじめて読んだ当時。中学生なりに、自分は自分という存在の置き場所のなさに、困り果てていた。中学生の女子といえば、やれ反抗期やら無気力やらゆとりやら、様々な言説が背中にべったりと貼りついていた。しかしどの言葉も自分を的確に表現してくれてはいなかったし、なにより自分が目指したい自分はどこにもいなかった。別に大人に反抗したいわけでも、男の子にモテたいわけでも、特別な自分になりたいわけでもない、ただ私はまっとうに美しい大人になりたかったのである。


 そんなときに私のもとへ現れた水野理瀬は、いままで出会ったなかでいちばん美しい女の子だった。端的にいえば、いちばん憧れたヒロインだった。


 水野理瀬は、むやみやたらと秩序に抗おうとはしない。きちんとしたこと、秩序がむしろ好きだと言う。それでいて、なにも考えずに世間のルールをうのみにするほど、頭がぼやけてるわけではない。聡明で、静かで、しっかりと前を見据え、周りをじっと観察し、本を読み、それでいて美しい少女なのである。


『三月は深き紅の淵を』から始まり、『麦の海に沈む果実』『黄昏の百合の骨』、そして数々の短編小説、最新作の『薔薇のなかの蛇』に至るまで、理瀬はいつも、聡明で強く美しいヒロインだった。


 数多のフィクションを探しても、理瀬のようなヒロインは、意外と見つからない。まるで聡明さと強さと美しさは並立しないのだと言われているみたいに。しかし、理瀬のようなヒロインがいてくれたから救われた少女たちが、きっと日本にはものすごくたくさんいる。


 理瀬の前に現れる現実は、いつも苦く厳しい。それは場所がどこであろうと変わらない。不穏な予感とともに、不条理な出来事がやってくる。しかし理瀬は、その苦しみに対して、静かに、しかし確実にほんとうのことを摑みながら戦う。

 不条理に対して、ほんとうの理を突きつける存在。それが理瀬というヒロインであり、だからこそ彼女自身は、きちんとした振る舞いを好み、普段は静かに美しく生きているのだろう。


 できれば私もそうありたい。そう思う読者は、きっと私だけではないはずだ。こんなにも理由なき悪の蔓延る世の中で、どうにか理瀬のように、自分の聡明さと美しさをもって戦うことはできないだろうか──理瀬の姿を見ていると、そんなふうに思うのだ。


 もちろん、自分には理瀬のような才覚はない。しかしそれでも、彼女のようなヒロインがいてくれること自体が、私たちの、たしかな力になっているのだ。



(小説現代2021年7月号掲載)

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