『僕が死ぬまでにしたいこと』の読みどころは⁉

文字数 2,537文字

ブックジャーナリスト・内田剛さん(人呼んで「アルパカ」さん)に、『僕が死ぬまでにしたいこと』の読みどころをPOPにしていただきました! そのPOPとともに、内田さんが読みどころについて語ってくださいます!

モノクロの人生をカラフルに色づかせ、「気づき」と「学び」に満ちたこの一冊は幅広い世代に読まれるべき価値がある。主人公の僕=吉井和人(40)はしがないフリーライター。キャッシング常習者で恋人なし、半年前に唯一の肉親である母親も亡くした、絵に描いたような喪失世代(ロストジェネレーション)の男である。生まれてこのかた「損」ばかり。まさに負のスパイラルに陥ったようなどんよりした日々を過ごしている。冒頭で彼に与えられた仕事は、旧知の書籍編集者からもらった古今東西の名言1000個をピックアップすることだった。浴びるように繰り出される名言たち。言葉のシャワーにまずは打ちのめされるだろう。含蓄のあるフレーズがいかに弱りきった心に沁みわたるのか。人は強いメッセージによって動かされるという一面にも改めて気づかされる。この物語は「僕」を中心とした6つの人間模様で構成されているが、世代の違いを象徴する4人の登場人物をピックアップして読みどころに触れてみたい。

出版社の先輩であり飲み仲間のカンタローさん(73)は大のカラオケ好き。強烈な個性で周囲を楽しませるユニークな人物だ。車椅子生活の妻とは別居のまま11年。未練たっぷりな感情をむき出しに一途な思いを吐露し続けている。大らかな気質と気ままな自由さは勢いのあった良き時代を象徴する人物でもある。しかしどんなに前向きでも寄る年波には勝てない。元気だからこそ衰えゆく心身、迫りくる死の影にも過敏に反応してしまうのだ。でも彼には愛すべき人がいる。「幸せとは、いなくなって欲しくない人の名前を、すぐに挙げられること」と言える人生はこの上なく幸福だ。カンタローさんが本音で綴った「死ぬまでにしたいことリスト」は脳天気ゆえにグッと身に迫りくるものがある。作成したリストは生きている限り変わっていく。むしろリストのバージョンアップをし続けることが生きることの証なのかもしれない。自分なら何を優先させるだろうかと考えを巡らせるのも一興だ。
ツキに見放されたようなロスジェネ世代であるが、「僕」のように色を失って生きるばかりが人生ではない。運命のすべてを受け入れ、達観して行動する生きざまもある。突然、やくざライターに転身した「僕」の大学の同級生・小野(40)もその一人だ。気弱な部分を自覚しながら凄みを効かせて強面のクレームにも対応する。「僕」と二人で観るゴッドファーザーの映画のシーンも印象的だ。耳に刻まれているあのテーマ曲。スクリーンの向こうに見える血なまぐさくも己の信念を貫く骨太の生きざまは、自分たちの住んでいる世界とは真逆。「我が人生に悔いはなし」とは決して言えない「僕」たち。滑稽にも思えるがそれが偽らざる現実なのだ。喪うことの連続で自分自身も見失ってしまった「僕」の人生は真っ白なジグソーパズルのようでもある。失くしたピースを見つけてくれるのは身近な誰かかもしれない。次々とアイディアを繰り出して明日への道を自ら切り拓く同級生の姿は愛嬌もあって刺激的。同世代の仲間の存在は、ただそこにいるだけでも偉大なる力となるのだ。
「普通とはなんでしょう?」という素朴な問いかけにどう答えたらよいだろう。「僕」が取材対象として出会ったのは普通になりたい漫画家の朝井名美(30)だ。アスペルガーで森羅万象に色を感じてしまう共感覚の持ち主でもあるこの女性に、「僕」のイメージは「薄ぼんやりしたねずみ色」と見透かされてしまう。毎日同じ生活を余儀なくされている彼女は生きづらいこの世の象徴ともいえる存在だ。ままならない境遇に特別なシンパシーを感じたのだろう。静かな爆弾を抱えた近寄りがたい彼女が徐々に気になりだす「僕」。平凡にさえもなれない自分が見つけた境地は、普通ではなくても人間的な魅力はあるという真理。他人との違いに気づくことによって本当の自分が見えてきたのだ。生きるって大変。けれども厳しいからこそ悪くない。乾ききった時の流れが緩やかに潤いを帯びていく。そして同志のような感覚から育った淡い恋心の行く末にも注目してもらいたい。ピュアな感情の再発見もまた生きる喜びに直結する。
言葉によって気持ちは変化し、人との出会いが人生を豊かに動かしていく。全編に貫かれているのは人との邂逅による意外性のある化学反応である。世代もバラバラな人生の「共演者」たち。物語のキーマンのなかで一番若く超優秀な光希君(15)もまた懸命にもがきながら生きている。仙人志望である彼は他の誰よりも知識が豊富で老成している印象だ。学校に提出するレポートのため「僕」に出版の仕事を聞きにきた縁だったが、逆に教わることの方が多かった。ニーチェの名言で愛を語る青年から、知識は分量を蓄えるよりもいかに必要な局面で引き出せるかが大事であると痛感させられる。こうしたコミュニケーションセンスは年齢とは関係がない。若さがあるから自分を起動させるスイッチをたくさん用意できるし力強く押すこともできる。年齢は取り戻せなくても一緒にスイッチを探すことは可能だ。瑞々しい感性から気づかされることもまた尊い。「人生の苦しみの98%は人間関係に起因する」というが、僕らはたとえ孤独であっても孤立はしていない。喜怒哀楽を分かちあえる人たちの絆がさり気なく背中を押してくれるのだ。
万事が淡々としており極めて渋い。しかしこの徹底した地味さがリアリティを生み出す重要な共感ポイントだ。不器用で決してカッコよくないが誰もが愛すべき人間的な魅力に溢れている。読めばささやかでもきっと世界が変わる。憎めない「ひと」を描き切れるのが平岡陽明作品の最大長所。劇的ではない、でも身の廻りで確実に起きている。忘れかけていた人肌の温もりもあれば優しさもある。名もなき人間たちが繰り広げる日常ドラマにジワとこみ上げるものを抑えきれなくなるのだ。世代を問わず誰もが何かに「ロス」を抱えて生きている今、そっと手元に忍ばせておきたい一冊だ。

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