内館牧子『今度生まれたら』解説/井沢元彦

文字数 3,772文字

内館牧子「高齢者小説」シリーズ累計110万部突破!

第3弾にして、最新文庫の怖~い中身とは。


著者と文士劇で夫婦役を務めたこともある作家、井沢元彦さんが、歴史家としての知識をひもとき、いにしえから人間を悩ませ続けてきた大人の男女の関係について、深く、されど軽妙に解説します。

解 説 / 井沢元彦(作家・歴史家)


「七人の子を生すとも女に心を許すな」という「諺」がある。


 私が言ってるんじゃないですよ。あくまで中国の諺で、妻が自分の子を七人産んでくれたとしても絶対に気を許すなということです。出典は「詩経」だから中国では紀元前からそう言っているということで、その背景には根強い男尊女卑・女性蔑視の文化があります。儒教という宗教がその根源で、儒教は先祖崇拝を絶対視しますが、その先祖とはあくまで男系の先祖に限るから男尊女卑になるわけです。だから「三従の教え」というのもありました。「女は幼い時は父に従い、嫁しては夫に従い、老いては子に従え」ということです。その子というのも家督を継いだ息子(男)のことで娘(女)ではない。だからずっと昔から夫婦別姓です。


 これを「夫婦別姓完全実施か、中国の方が進んでるな」と思ったら、とんでもない大誤解です。男系絶対とは現代風に言えば父親のDNAを持っている人間にしか価値を認めないことです。子供は息子であれ娘であれ父親のDNAを継いでいる。だから、父の姓を名乗れるが妻は名乗れない。いや、もともと赤の他人だから名乗らせない、これが中国式夫婦別姓の考え方です。だから女は「産む機械」「女の腹は借り物」ということになり、「嫁して三年、子無きは去れ(子供を産めなければ離縁せよ)」ということにもなります。

「産む機械」が不調なら取り換えればいいじゃないか、ということです。当然、夫の財産の継承権もない。


 日本は本来中国とはまったく別で、そもそも女王卑弥呼が君臨していた国だから、天皇家にも女帝が当たり前のようにいました。しかし中国で女帝と言えば唯一人「聖神皇帝武則天」しかいませんし、彼女は皇后つまり則天武后だったころから稀代の悪女だったと言われています。


 とんでもない、これは歴史家として私が世界で初めて言ったことだと思いますが、彼女は大英雄ですよ。それまで歴代皇帝(つまり男ども)が出来なかった朝鮮半島制圧を成し遂げたのも彼女ですし、それで潰された百済を復興するために戦いを挑んできた日本の中大兄皇子(後の天智天皇)を白村江で完膚なきまでに叩きのめしたのも、皇后時代の彼女つまり則天武后です。


 しかし男尊女卑の中国では、それは全部が夫(皇帝高宗)の功績となってしまう。そこで彼女は戦った日本においては女帝が当たり前だと知り、「なんだ。女が皇帝になってもいいじゃない」と思い、いわば日本のマネをして中国初の女帝となったというのが歴史家としての私の見解です。私の知る限り中国人でそういうことを言った人は一人もいません。大中国が日本ごときのマネをしたと思いたくないでしょうし、そもそも彼らは武則天を、つまり中国史上に女帝がいたことを恥だと思っています。後代の儒学者は「賊后つまりドロボーである皇后は皇帝とは認めない」などと言い出しました。「女はダメ」ということです。その女が誰かは明白ですね。


 だから歴史上の事実が正当に評価されないのでしょう。彼女に悪女と言われる要素があったのは事実です。私の個人的見解では、彼女は皇帝にのし上がるために自分の娘を絞め殺しその罪を時の皇后になすりつけて自分が皇后になり、その後は夫を薬漬けにして女帝になったと考えています。確かに「悪」には違いないですが、完全な男尊女卑社会だった古代中国では、そうでもしない限り女が皇帝にはなれなかったと思います。繰り返しますが彼女は中国史上空前絶後の存在で彼女以外に女帝は一人もいません。


 何を言いたいのかって? はい、それは近代以前の中国がいかに極端な男尊女卑の国家であったかです。そういう国で言われたことだから、当然冒頭に述べた諺も女性蔑視の産物で事実ではないと私は思っていたんです。


 いま私の確信は大きく揺らいでいます。ひょっとしてこの諺だけは正しいのではないだろうか、と。若い人には子供を七人も産むというのはリアリティの無い話かもしれませんが、大正生まれの私の父も母も六人きょうだいでした。明治生まれの歌人与謝野晶子は確か十二人の子供を産んでいます。昔は七人ぐらい珍しいことではありませんでした。


 なぜ私が「この諺だけは正しいのではないだろうか」と思ったかはお分かりでしょう。この内館牧子作『今度生まれたら』を読んだ、いや読んでしまったからです。女性の方には実に面白い本でしょうね。確かに、内館さんの書く通り「男はバカで女の方がはるかに利口」です。そして女は怖い。最後の一行など男にとっては救いのない女の恐ろしさがにじみ出ています。男はいつまでたっても子供だが女は小さい頃から大人です。


 ひょっとしてこの作品で初めて内館作品に触れた人の中には、これが個人の体験に基づく私小説的なものではないかと誤解する人がいるかもしれないので一言。それはまったく違います。内館さんはもともとシナリオライターで、数々の名作(連続テレビ小説『ひらり』など)がありますが、小説ではこの作品も含めて四部作と言っていい『終わった人』『すぐ死ぬんだから』『老害の人』を通して読んでいただければ、内館さんの小説家としての力量に誰もが感嘆すると思います。もちろん単なるストーリーテラーの作ではなく、読後もズシンときます。


 ちなみに内館さんは「女優」でもあります。私はここ二十年くらい親友の作家高橋克彦さんが始めた素人芝居の「盛岡文士劇」を手伝い、現在は「座長代理」を務めていますが、内館さんも当初からのメンバーで何度も共演したことがあります。内館さんが紫式部で私が藤原道長だったこともあるし夫婦役もやりました。仲々の芸達者ですよ。機会があれば、ぜひ観に来てください。毎年十二月にやっています。岩手では正月番組としてテレビで放映されますから、旅行が難しい方々は伝手を求めて録画してもらうという手もあります。東京公演もたまにはやります。


 なぜ盛岡で文士劇なのかと言えば、昔は東京で丹羽文雄や三島由紀夫もやっていた作家をメインキャストにした素人芝居(つまり文士劇)が、いつしか消滅してしまったのを残念に思っていた高橋さんが、とりあえず地元盛岡で復活させようと考えたのがきっかけです。秋田生まれの内館さんにとっても、父親が生まれた盛岡は「第二の故郷」であり、看板女優として当初から協力していただいたわけです。ちなみに、これで足繁く盛岡に通うようになったせいでしょうか、四部作の第一作『終わった人』は盛岡が舞台のひとつです。映画化もされ主演の舘ひろしさんはモントリオール世界映画祭で最優秀男優賞を獲得しました。映画の舞台も盛岡と東京で関係者がいわゆるカメオ出演もしているので機会があればぜひご覧ください。実は盛岡文士劇に刺激を受けて東京や大阪でもやろうじゃないか、という話も出てきました。将来が楽しみです。


 そうそう本作『今度生まれたら』の解説でしたよね。男はバカです。主人公佐川夏江ことナッツの夫の和幸も、姉の夫でバンビに引っかかっちゃう芳彦も、私は身につまされて、あわわ感動して涙無しには読めませんでした。しかし女性を無垢な存在として信じたい私にとっては、この作品の与えたショックは大きく当分立ち直れそうもありません。なんで、こんな仕事引き受けたんだろうと今は後悔しています。


 ギャラの問題ではありません。生じてしまった「心のスキマ」をどうやったら埋められるか。「飲み友達」にしていただいた藤子不二雄Ⓐ先生も亡くなってしまったから、喪黒福造(『笑ゥせぇるすまん』)を呼ぶわけにもいかないし。そういえば思い出しました。ずっと昔、先輩作家の野坂昭如さんは「男と女のあいだには深くて暗い河があるぅー」って「黒の舟唄」で歌ってたなぁ。ああ、だんだん気が滅入ってきた。ここは綺麗なお姉さんのいる酒場にでも飲みに行って癒してもらうことにします。


 では行ってきます。


井沢元彦(いざわ・もとひこ)

1954年愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学法学部卒業。TBS報道局記者をしていた1980年に『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。以後、ミステリー、歴史、ノンフィクションと幅広く活躍している。近著に『絶対に民主化しない中国の歴史』『徳川15代の定説を覆す』などがある。


70代では人生やり直せない?


人間に年齢は関係ない、なんてウソ。

人生100年はキレイごと。


「今度生まれたら、この人とは結婚しない」70歳の主婦、佐川夏江は自分がやり直しのきかない年齢になっていることにショックを受ける。人生を振り返ると、あの時別の道を選んだらどうなっていたかと思うことばかり。進学は、仕事は、結婚は。少しでも人生をやり直すため、夏江はやりたいことを始めようとあがく。


大好評の著者「高齢者小説」シリーズ。

「元気をもらいました」「自分のことのように読みました」「もっと早く読みたかった」

など読者の声多数のベストセラー!

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色