『運命を拓く』で話題の著者が説く 宇宙真理と人生訓

文字数 3,123文字

財界、経済界、そしてスポーツ界に多くの影響を与えた、中村天風。

病に侵されても運命に悩んでも、安らかに超然としていることが、天風哲学の理想とする「積極心」である。

その言葉と哲学、人生訓に迫ります!

「読むと‟生きる力”が湧いてくる‼ 僕の“元気の素”

──松岡修造

PROFILE

中村天風(なかむら・てんぷう)

明治9年(1876年)生まれ。日露戦争の時に軍事スパイとして従事。終戦後結核を発病し心身ともに弱くなったことから人生を深く考えるようになり、人生の真理を求めて欧米を遍歴。 一流の哲学者、宗教家を訪ねるが望む答えを得られず、失意のなか帰国を決意。その帰路ヨーガの聖者と出会いヒマラヤの麓で指導を受け、「自分は大宇宙の力と結びついている強い存在だ」という真理を悟ることで、病を克服し運命を切り拓く。帰国後は実業界で活躍するが、大正8年(1919年)、病や煩悩や貧困などに悩まされている人々を救おうと、自らの体験から“人間のいのち”の本来の在り方を研究、「心身統一法」を創見し講演活動を開始。その波乱の半生から得た「人生成功の哲学」は、触れる者をたちまち魅了し、皇族、政財界の重鎮をはじめ各界の頂点を極めた幾多の人々が「生涯の師」として心服した。昭和43年(1968年)没後も、天風門人となる者が後を絶たない。


『運命を拓く』が伝える

中村天風の教え

「たとえ身に病があっても、心まで病ますまい。

たとえ運命に非なるものがあっても、心まで悩ますまい」

 中村天風の遺した言葉である。

 日露戦争時に軍事スパイとして満蒙の野で死線をかいくぐり、奔馬性肺結核によって死に魅入られ、日本そして欧米の哲学者や宗教家を訪ね歩いても得られなかった「人生の意味」。失意の果てに旅先で偶然に出会ったヨガの聖者に導かれヒマラヤ山麓で3年に及ぶ修行の末、遂に病を克服し、人生を切り拓く。

 まるで冒険活劇かファンタジーの主人公のような波乱万丈の半生を生きた人物である。

 ヒマラヤから帰国後ほどなくして、自らの人生体験にあらゆる分野の知見をブレンドして完成させた「心身統一法」を伝道すること50年、1968年に92年の生涯を閉じた。

 東郷平八郎、原敬、北村西望、松下幸之助、宇野千代、双葉山、稲盛和夫、広岡達朗など、その影響を受けた人々は多様で、自らの人生、事業経営に天風の教えを活かしている。


 天風が辻説法に立ってから100年、死後50年を経た現在でも、中村天風の教えが支持され求められるその魅力はどこにあるのか。

 天風の教えは「天風哲学」とも言われるが、哲学といっても机上の学問ではなく、天風のレアでユニークな実体験から紡がれた血の通った教えである。だからこそ時代を経ても色あせることなく人々の心をとらえ、その真実性が共感を呼ぶのであろう。

「天風哲学」の真髄である、宇宙観・生命観・人生観を余すところなく語った講話をまとめたものが『運命を拓く』であり、言葉、信念、勇気、運命、理想……といった13のテーマで構成されている。


「私は力だ!力の結晶だ!」 

 中村天風は、人間はどこまでも強いものであると説く。

「人間というものは、そうやたらと病や不運に悩まされたり、虐げられねばならぬものではなく、その一生を通じて、健康はもちろん運命もまた順調で、天寿をまっとうするまで幸福に生きられるものである」

 人間賛歌という土台の上に天風の教えはある。

 人類が万物の霊長と言われるほどに、この地球上の生物でもっとも進化した存在であることは、それだけの「力」が生まれもって与えられているということ。まずは自分自身の価値認識を改めることからスタートする必要があり、自分を卑下したり見限ったりすることは間違った視点で自己評価しているに過ぎない、と述べている。

「力」があるにもかかわらず、それが下積みにされてなかなか発揮されないのは、自分自身の生命を正しい方法で取り扱っていないからだと天風は説く。

 では、生命を正しい方法で取り扱うということはいったいどういうことか。

 自分の「心」と「体」を自然の法則にそって捉え直し、メンテナンスとトレーニングを施していくということである。

 自然法則(天風はこれを宇宙真理ともいった)と人間の生命との関係性を哲学的に解き明かしたものが「天風哲学」、法則に基づいた合理的なメソッドが「心身統一法」ということになる。

 天風の教えでは「心」を重視している。それは心の状態が神経系統を通じて肉体の健康に大きな影響力を及ぼし、さらには生活や人生全般を好転または暗転させる原動力となるからである。

 冒頭の「たとえ……」の言葉は次のように続く。

「否、一切の苦しみをも、なお楽しみとなすの強さを心にもたせよう」

 起きている事実は一つでも、人によって受け取り方が違うことがある。例えばビンに半分のジュースが残っている状態を、「半分しかない」と嘆く人がいる一方で「半分もある」と喜ぶ人もいる。これは物事をマイナス方面から観るかプラス方面から捉えるかによって生じる差である。

 天風の言葉である。

「右見れば繚乱たる花園があり、左見れば墓場や死骸がごろごろと転がっている。その死骸が転がっている方面ばかりが見えるというときに、右見てればいいじゃないか。右見てれば、目にうるわしい花が自分を楽しませてくれるのに、左ばかり向いていて、なんてこの世は残酷なもんだと考えてる奴があったら、その人間を褒めるかい?」


「人生は心ひとつの置きどころ」 

 これも天風の常套句である。

 心の状態が積極的であるか消極的であるかで、人生の一切が決まってくる。であれば、どんな場合であっても心を積極に保ち、強さと柔軟性を兼ねそろえた頼もしいものに作り変えていくことが、心の力を最大限に引き出すための鍵となる。

 「積極」は天風哲学の重要なキーワードであるが、ここで注意が必要となる。

 世間一般でいう「積極」は、進んで働きかけること・意欲的に行動すること、となるが、天風が言う積極とは「どんな場面に直面しても、心がいささかも慌てたり、恐れたり、あがったりしない、平然として、ふだんの気持ちと同じように対処できる状態」と定義される。決して何かと張り合うとか何が何でも強気一点張りでといった拘りや囚われがあってはならない。

 心が積極状態であれば、力と勇気と信念が湧きあがり、生命全体に活力が漲ってきて、人生に好循環がもたらされるのである。


「人間とは感情の動物ではなく、感情を統御できる生物である」 

 天風の確信ある言葉である。

 消極的な気持ち、ネガティブな感情を自分自身でどのようにコントロールしていくか、これは誰にとっても重要な課題であろう。怒ってはいけない、恐れてはいけないと自分で分かってはいても、体と違って心は、自分で制御しにくいものである。

 かつての天風自身がそうであったように、病によって神経過敏に陥り、心をネガティブにし、悲嘆に暮れ世をはかなみ、希望を見いだせなかった境遇から脱する、その人生観と具体論が詰まった一冊である。

 

 天風が発する厳しい言葉の裏には、溢れんばかりの人間愛が透けてみえる。時代を超えて私たちに贈られる頼もしい励ましと温かな優しさに満ちている。

 心ががんじがらめで強張ってしまっている人、人生の目標や生き甲斐を見いだせない人、世の中の役に立ちたいと本気で思っている人……人生の節目や岐路において、きっとこの『運命を拓く』があなたの心に火を灯し、希望の光を照らしてくれることだろう。


 中村天風財団(天風会)

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