1作で消えるわけにはいかない! 乱歩賞作家2年半の苦悩と光明。

文字数 2,371文字

2018年に『到達不能極』で第64回江戸川乱歩賞を受賞し、デビューを果たした斉藤詠一氏。それから約二年半後、長編『クメールの瞳』が刊行された。そして2023年6月、ついに文庫化。乱歩賞受賞からの年月、そして本作の誕生秘話について語るエッセイを特別公開!

秘宝を追った2年半




 3月下旬、暖かな中にも雨のぱらつく昼下がり。在宅勤務中に宅配便が届いた。


 その直後のリモート打ち合わせでは、今思えば上の空になっていたかもしれない(会社のみなさん、この文章読んでたら謝ります。ごめんなさい)。宅配便の中身は、私の2冊目の著作である『クメールの瞳』の見本であり、一刻も早く開封したかったからだ。

 

 打ち合わせ終了後、就業時間中ではあったが、急いで箱を開けた(会社のみなさん、度々ごめんなさい)。

 

 出てきたのは、ケッソクヒデキさんに描いていただき、welle designさんがデザインしてくださった、インパクトのある表紙。

 

 事前に画像データを見せてもらっていたとはいえ、紙の本として出来上がった実物を手にしてみれば、感慨もひとしおだった。


 何しろ、江戸川乱歩賞をいただいたデビュー作『到達不能極』の刊行から2年半を経て、ようやく刊行できることになった第2作なのだ。


 念願の小説家デビューを果たしたものの、乱歩賞史上初のわずか1作で消えた作家になってしまうのではないかと、正直なところずっと焦っていた。


 新人作家はデビュー作に続けてできるだけ早く次回作を出さねばならないと、どの小説の指南書にも書かれているし、実際にお会いした先輩作家の方々からも言われてきた。他の賞でデビューした同期も、次々と2作目を仕上げている。


 それが、よりにもよって2年半。新人の賞味期限は、とうに切れてしまっているだろう。


 別に、既存の枠にとらわれないとか、そういう明後日の方を向いた意気込みのもとに時間をかけていたわけではない。自らの力不足を告白するようで恥ずかしいが、何度も何度も改稿を繰り返した結果なのだ。


 エンドレスに続くかと思えた改稿ループ。ボツになった無数のプロットと原稿が、パソコンのハードディスク深く沈んでいった。その間、編集者に見限られてしまうのではと度々恐怖にかられたものだ。もはや第二作には到達不能で、デビュー作のタイトルは呪いだったかと思うことすらあった。


 さらには言い訳めくけれど、コロナ禍による出版スケジュールの遅延で追い打ちをかけられもした。

 ループをやっと抜け出した時には、執筆開始から2年以上が過ぎていた。


 それから数ヵ月の細かな修正を経て、『クメールの瞳』はついに現実の本となったのである。

 辛抱強く伴走してくれた編集者には、感謝しかない。


 2年半という時が記憶にかけた靄を通しても、着想を得た瞬間のことは鮮明に思い出せる。


 その日私は、たまには普段と違うものを見てきたら、という妻に促され、あまり馴染みのなかった東京国立博物館を訪れていた。博物館の展示物を見て回っているうち、やがて東洋美術の展示に吸い寄せられ、クメールの美術品が目に留まったのだ。


 解説パネルには、『当館のクメール彫刻は、昭和19年、東南アジア文化の研究機関であったフランス極東学院との交換によって収蔵されたものです』という一文があった。


 昭和19年といえば、太平洋戦争まっただ中だ。そんな時期に、外国と美術品を交換する余裕があったのか。いや、もしそこに何かの秘密が隠されているとしたら――?


 私は陰謀論者ではないが、想像上で陰謀を企てるのは得意だ(その企画力?を小説方面に全振りせず、会社の仕事に使っていれば……会社のみなさん、三たびごめんなさい)


 不思議な力をもつクメールの秘宝と、それをめぐる謀略。過去や現在、日本や世界を股にかけ、インディ・ジョーンズのような冒険が繰り広げられる――そんなアイデアが、ふいに私の頭に降りてきたのである。


 それからしばらくして福島県会津地方にある妻の実家へ帰省した際には、冒険に深く関わる戊辰戦争のエピソードが思い浮かんだ。そうして徐々に形をなしていく物語の中で、登場人物たちとともに秘宝を追うこと自体は楽しかった。いくつもトラップに迷い込み時間を費やしてしまったのは前述のとおりだが、手間暇をかけたなりのものが出来たと思っている。


 ハラハラドキドキの冒険と、ほのかなロマンス。ハリウッド映画のような、という例えは揶揄の文脈で語られることもあるけれど、あえてその味付けを意識した。80年代から90年代、輝いていた頃のハリウッド冒険アクションを観た後のような読後感を楽しんでいただければ、作者としては本望である。

斉藤詠一(さいとう・えいいち)

1973年、東京都生まれ。千葉大学理学部物理学科卒業。2018年、『到達不能極』で第64回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。
クメールの遺物、持ち出してはならぬ――。

爆裂!! 乱歩賞作家、空前絶後のエンタメ力!
日本、フランス、カンボジア――。
世界を股に掛け、時を超えて繰り広げられる、「超ド級」トレジャーハント・ミステリー!

ああ、すっかり忘れていた、こういうロマン。
説得力のある「嘘」を書くのが小説家の醍醐味だ。
――今野 敏

「預けたいものがある」兼業カメラマンの平山北斗が、恩師・樫野教授からの電話を受けて数日後、教授は不審死を遂げた。友人の栗原、教授の娘・夕子と遺品整理をした北斗は、謎の数字が書かれたメッセージと、150年前にフランス人探検家のL・ドラポルトが所持していた骸骨の人形をみつける。これらは一体何を意味するのか? 真実を追う北斗たちを待ち受けていたのは、思いもよらない「秘宝」の争奪戦だった!
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