『ブロークン・ブリテンに聞け』文庫版に寄せて/ブレイディみかこ

文字数 2,105文字

長くイギリスで暮らし、無料託児所などで働いた経験もふまえ、常に「地べたから」の目線で、社会と、そこで暮らす人々を見つめ続けてきたブレイディみかこさん。けして「外国のこと」ではない、日本の姿にも重なる「英国の今」を記した『ブロークン・ブリテンに聞け』の文庫化に際して、ブレイディさんから寄せられたまえがきを紹介いたします。

五年一昔  文庫版の序に代えて



 十年一昔という言葉が日本語にある。英語でも、10年間のことを「ディケイド」と呼ぶ習慣があり、10年という単位はやはり時代の区切りと考えられてきた。


 だが、テクノロジーの急速な発達のせいだろうか、それとも人間に落ち着きがなくなったせいだろうか、昨今では時代の区切りは5年ぐらいになっている。文庫版のゲラを読んでいて、心からそんなことを感じてしまった。本書の元になった連載「ブロークン・ブリテンに聞け Listen to Broken Britain」(「群像」掲載)を書き始めた2018年が、前世紀のことのようにさえ感じられるからだ。


 まず、当該連載が始まった頃は、2016年に国民投票でEU離脱を決めた英国の人々が、具体的にどういう条件で離脱するのかで揉めに揉め、これほど分断が進んだ時代はなかったと言われていた。が、すっぱりと離脱を成し遂げたいまでは、世論調査でも離脱を間違いだったと後悔する人が半数超えという有様だ。あの大騒ぎはいったい何だったのだろうと言うしかない。とりあえずやってみようと無謀なことに手を付け、やっぱダメやったと反省するところは素直だと言うこともできるが、いまや英国の人々にとってEU離脱は、遠いむかしにやらかした過ちである。あの頃のギラギラした憎悪や対立ムードは、どんよりした疲労感に取って代わられている。


 さらに本書では、コロナ禍の始まりやロックダウンについても書かれているが、あれもまた見事に歴史の一ページになった。もともと英国の人々はマスクが嫌いだったので、風邪を引いたらマスクをするというような習慣も根付かなかったし、ここでも、あの大騒ぎはいったい何だったのだろうとシュールな気分になる。とは言え、英国のえらいところは、コロナ禍中の政府の対応が適切だったのかどうかを独立調査委員会が厳しく調べており、当時の政府関係者が次から次へと審問に呼び出されてしつこく責任を追及されていることだ。当時の首相、ボリス・ジョンソンは、世界中で報道されたパーティー疑惑がきっかけで失脚し、それから2人も首相が代わっている。


 何よりびっくりしたことには、本書でわたしに英国の「くまモン」呼ばわりされていたエリザベス女王が死去し、国歌のタイトル「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」が「ゴッド・セイヴ・ザ・キング」になった。彼女の死後、英国王室がどうなるかという考察は本書でも書いていたが、いま読み返すと、ポスト・ブレグジットとポスト・エリザベスの時期が重なるようなことになれば、英国は本当にアナキー・イン・ザ・UKになるのではと言及していて、現在の状況と照らし合わせるとなかなか面白い。


 というわけで、この本にはEU離脱やコロナ禍時代の英国についての文章が収められている。だが、せっかく文庫版を出すのだからということで、単行本出版後に書いた時評も収録することになった。直近で2023年の末に書かれたものまでが入っているので、単行本に収録されていた文章の「その後」をフォローする内容になっている。結果として、2018年から2023年まで、ちょうど「五年一昔」から現在までのスパンをカバーする本になった。このハーフ・ア・ディケイドの記録を楽しんでいただけると幸いである。



 ブレイディみかこ


EU離脱、コロナ禍、エリザベス女王逝去。混迷する「五年一昔」の記録

ポスト・ブレグジットの英国もどうなるかわからないが、ポスト・エリザベス女王の英国も同じくらい不透明ーーそう記してから3年。EU離脱、女王逝去を経た「今」を伝える時評を文庫化に際し数多く収録。多様性とともに分断が進み、転換点を迎えつつある英国の姿が日本にも重なる、「地べたの社会学」決定版!
ブレイディみかこ(ぶれいでぃ・みかこ)
ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ、’96年から英国ブライトン在住。2017年、『子どもたちの階級闘争ーブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)で第16回新潮ドキュメント賞受賞。’18年、同作で第2回大宅壮一メモリアル日本ノンフィクション大賞候補。’19年、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)で第73回毎日出版文化賞特別賞、第2回Yahoo! ニュース|本屋大賞ノンフィクション本大賞、第7回ブクログ大賞(エッセイ・ノンフィクション部門)などを受賞。著書は他に、『その世とこの世』『ヨーロッパ・コーリング・リターンズー社会・政治時評クロニクル2014-2021』(岩波書店)、『私労働小説 ザ・シット・ジョブ』(KADOKAWA)、『リスペクトーR・E・S・P・E・C・T』(筑摩書房)、『両手にトカレフ』(ポプラ社)など多数。

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