『レーテーの大河』文庫化記念 著者書下ろしエッセイ!

文字数 3,134文字

到達不能極で第64回江戸川乱歩賞を受賞した斉藤詠一さん『レーテーの大河』が文庫になりました。

単行本刊行時に書かれたnoteの記事でも、装幀に込められた並々ならぬ鉄道愛を明かしていた自称「鉄道ファン」の斉藤さんが、文庫化に際し、改めて『レーテーの大河』と鉄道についてエッセイを書下ろしてくださいました!

『レーテーの大河』機関車交換完了、出発進行!/斉藤 詠一

 2022年に単行本として刊行された『レーテーの大河』が、このたび文庫になった。

 いってみれば、機関車を付け替え、次の駅へ向かって再び走り出すようなものだ。

 たとえがわかりづらかったら申し訳ない。でも鉄道が重要なモチーフになっている物語なのだからご容赦いただきたい。

 僕は鉄道マニア、鉄オタ、鉄ちゃん、テツ……なんでもいいけど、無難にいうなら鉄道ファンである。

 ちなみに鉄道ファンの中にも、乗り鉄、撮り鉄、録り鉄、時刻表鉄……といろいろなサブジャンルがあるのだが、僕の場合は乗り鉄をベースに時刻表鉄大さじ一杯、車両鉄小さじ一杯、それに廃線鉄を一つまみ加えて煮詰め、仕上げに創作鉄を振りかけたタイプといえる。

 いかにしてこんな配合のテツが出来上がったか、それは……と、さらに説明しようとしてふと我に返った。

 そもそもこのエッセイの趣旨は、『レーテーの大河』について語る(あわよくば販促につなげる)というものだった気がする。そこから盛大に逸脱しつつあるのではないか。それも東京から大阪へ向かうのに、東海道新幹線ではなく東北新幹線に乗るレベルの。


 販促の効果がないと大変困るのだが、新幹線は走り出してしまった。仕方がない。どうしてこうなったかという話を続ける。

 そもそもは、生家が駅に近かったのが原因である。僕が生まれ育った家は、寅さんや両さんで有名な葛飾区内、京成電鉄という私鉄の某駅前商店街の中にあった。

 家は書店を営んでおり、店頭に並ぶ『鉄道大百科』の類を片端から読破した僕は、小学校に上がる頃には京成の電車をヘッドライトの位置や扉の形などから3000形、3150形と識別できるようになっていた。

 時刻表や『鉄道ジャーナル』誌を愛読するあまり、家族旅行をテーマにした夏休みの作文を、列車の乗車レポートふうに書いたこともある。どこがどう刺さったのか担任の先生に妙に気に入られ、全校に配られる学校だよりに掲載されてしまった。たぶん、初めて活字になった自分の文章だ。

 先生は、よかれと思ってそうしてくれたのだろう。でも正直にいえば、その時は自分の文章が他人に読まれるのがひどく照れくさく思えて嫌だった。

 それがいつの間にか小説家になっているのだから、不思議なものだ。

 ……おお、いい感じに『レーテーの大河』の話題に戻れそうだ。東北新幹線に乗ってしまったと思いきや、大宮駅で分かれる北陸新幹線の敦賀行きだったらしい。これなら大阪へ乗り継いで行ける。


『レーテーの大河』は、僕にとって三作目となる作品である。

 江戸川乱歩賞をいただいたデビュー作『到達不能極』と、続く二作目『クメールの瞳』は、どちらもSFテイストの入った冒険ミステリだったが、三作目は作風を変えるべく、大好きな鉄道を題材に選ぶことにした。

 もっとも、ローカル線も夜行列車も次々に廃止されている昨今、時刻表を駆使してトリックを組み立てるような物語は書きづらくなっている。鉄道をテーマにします、と担当氏には宣言したものの、さてどんな話にしよう。そんなふうに頭を抱えていたのは、コロナで大きく世界が変わってしまった2020年の夏のことだった。本来であれば、東京で二度目のオリンピックが開かれていた頃だ。

 オリンピックの競技自体は楽しみにしていたけれど、それを取り巻くさまざまな出来事には、少し思うところがあった。

 幸せなノスタルジーとしてしばしば引き合いに出されていた、昭和のオリンピック。しかし、我々は美しい過去だけに目を向けて気持ちよくなる一方で、あまりにも多くのことを都合よく忘れてしまったのではないか。けっして忘れてはいけないことが、あったのではないか。

 そして、今も同じことを繰り返そうとしているのでは。

 いっそ、そんな物語にしてはどうだろう? 僕は、そう思いついたのである。

▲EF58  写真:GYRO_PHOTOGRAPHY/イメージマート

 ……ちょっと気取りすぎたか。

 実際には、昭和のオリンピックを舞台にすれば鉄道の全盛期ともいえる時代だし、さまざまな列車を登場させられそうだ、これでバッチリ鉄道テーマの話が書ける、と目論んだことのほうが大きい。

 執筆にあたり、当然ながら鉄道のシーンにはかなり手をかけた。

 たとえば、物語の中にEF58という電気機関車が登場する。単に「EF58」と書いてもよいのだが、それだけで済ませてはテツがすたる。EF58には、さまざまなバリエーションが存在するのだ。そこで、窓につらら切りのための庇を取りつけた「上越形」と呼ばれるタイプ、さらに時代や走行線区を考慮して車体色は茶色(正確には「ぶどう色2号」)として描いた。

 また、とある勾配区間を列車が越える場面では、補助機関車のEF16を先頭に連結する描写も盛り込んだ(やはりわざわざ書かなくても話は通じる気はするけど、それを言ったらおしまいである)。

 作中に出てくる路線へは、取材と称して乗りに行った。走る列車の上で、移り変わる沿線の状況にあわせ登場人物が会話する場面について、実際にやりとりが成り立つかどうかも確かめた。周囲の乗客には、見えない誰かとブツブツ話している男に映ったかもしれない。さぞ不気味に見られていたことだろう。


 今回の文庫化にあたっては、ミヤタジロウさんに新たな表紙イラストを描いていただいた。物語に登場する「機密列車」、その先頭に立つED29形電気機関車である(ED29の11号機は実際には国鉄を廃車後に解体されているが、本作では密かに自衛隊へ移管された設定)。凸型の車体が特徴的なこの機関車、かなりマニアックな車両であり、表紙に描かれることなど本邦初ではないだろうか。

 なおあまり書くとネタバレになってしまうけれど、表紙イラストはED29の運転席横にもご注目いただきたい。作中のある場面を再現してくださっている。


 なんとか『レーテーの大河』文庫版の話で終えられそうだ。北陸新幹線から特急「サンダーバード」に乗り継ぎ、大阪に着いたようなものか。日本中どこへでも、線路はつながっているのだ(うまいこと言った感)。

 そういうわけで、当初の計画どおりに本稿を終わる。もっとも販促という目的を果たすためには、今度はこれを読んでいる方に列車に乗ってもらわなければいけないのだけど。

 ――ご乗車のお客様、お急ぎください。『レーテーの大河』、機関車交換を終え発車いたします!

斉藤 詠一(サイトウ エイイチ)

1973年、東京都生まれ。千葉大学理学部物理学科卒業。2018年、『到達不能極』で第64回江戸川乱歩賞を受賞しデビュー。近著に『パスファインダー・カイト』『環境省武装機動隊EDRA』『一千億のif』などがある。

あの戦争は、まだ終わっていない。

闇を裂き疾走する機密列車
鉄道現金輸送担当者の転落死
姿を消した二人の幼馴染み
乱歩賞作家が放つ、ノンストップ鉄道サスペンス!


満州から引き揚げてきた三人の戦災孤児。彼らを助けたのは関東軍の重要資材運搬を命ぜられた陸軍中尉だった。戦後、オリンピックの好景気に沸く日本で、日銀の現金輸送担当者が列車から転落死を遂げ、二人の幼馴染みが姿を消す。一見無関係に思えた点と点が繋がるとき――運命の列車が、闇のなかを走り出す。

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