「正義とは」考えるヒントがここに/大矢博子

文字数 2,585文字

地方検察を舞台に白熱の頭脳戦が繰り広げられる傑作「検察」ミステリー、「地検のS」シリーズ!

その最新作『地検のS Sが泣いた日』の文庫刊行を記念して、「地検のS」シリーズ、ひいては、今最も注目の作家・伊兼源太郎の魅力に迫る大矢博子さんの書評を再掲いたします!


初出:2020年6月30日

今年(二〇二〇年)ほど、検察という組織に注目が集まった年はかつてなかったろう。検察庁法という、普段生活している分にはおよそ縁のない法律を多くの国民が知り、恣意的な人事に異を唱えた。


これは、検察が「法と正義」の機関であることが大きい。法というルールを守り、守らせることを至上命令とする組織だからこその潔癖性を人々は求めた。今回の一件は、突き詰めれば「法とは何か」「正義とは何か」をひとりひとりが考える機会だったと言える。


この「正義とは何か」を、デビュー以来一貫して追求し続けているのが伊兼源太郎だ。


公務員のあるべき姿を描いた『事故調』、警察内部の暗部をテーマにした『密告はうたう』などを経て、地方検察庁(地検)を舞台にしたのが『地検のS』である。物語は連作短編形式で、外から見た地検と内部にいるからこその地検の、両面から紡がれていく。

特ダネを狙って地味な裁判の裏側を探る新聞記者が主人公の「置き土産」。のらりくらりと裁判を長引かせるヤクザの証人と検事の戦いを検察事務官の目を通して描く「暗闘法廷」。「シロとクロ」「血」はそれぞれ、明らかな犯罪者の弁護をすることになった新米弁護士の話と、前科があるというだけで疑ってかかることを要求された若い検事の話という好対照の二編だ。「証拠紛失」はタイトル通り、地検の中で紛失した重要証拠を総務課員が探す物語である。


まず個々の物語の、ミステリとしてのレベルの高さに驚く。何か事件が起きてその謎を解く、というより、不審な点や違和感を突き詰めていくうちに思いも掛けない真相が浮かび上がるという展開が多いのだが、真実がわかったときにそれまでの絵がくるりと反転するのだ。数行前までは予想もしなかったドラマが眼前に広がる快感と驚きたるや。


何より注目すべきは、謎解きがそのまま物語のテーマに直結しているという点だろう。各編の主人公はいずれも、記者として、弁護士として、検事として、あるいは地検で働く者として、それぞれの正義に従って行動する。だが自分の考える正義は本当に正しいのか。正義とは何なのか。悪とは何なのか。弁護士と検事の正義は同一たりえるのか。万人に通用する正義、万人にとっての悪というものははたして存在するのか。


「正義」を司る職業だからこそ、彼らは悩む。そして彼らは皆、「他者の正義」に触れたときに事件解決の緒を掴み、同時に自らの正義を確認するのである。この構造は見事だ。


面白いのは、彼らの出した結論が必ずしも満場一致の「正義」ではない、という点だ。中にはもしかしたら読者が納得できないものもあるかもしれない。自分なら他の方法をとると思うものもあるかもしれない。それも含めて、著者は読者に「あなたの正義は何か」と問いかけているのである。


もうひとつ、重要な要素に、舞台となった湊川地検の総務課長・伊勢雅行の存在がある。


歴代次席検事の懐刀と言われ、総務課長を超えた権限を持つという噂もある謎の人物だ。四十代にして特徴的な白髪頭からシロヌシという渾名がつき、その頭文字から「地検のS」と呼ばれる。あるいは総務課長のローマ字表記のSという説もある。そしてもちろん、Sは正義のSでもある。


すべての短編に伊勢は登場し、そしてどうやら陰で事件を操っているらしい……というのがほのめかされる。各編の主人公はそれぞれ事件に真摯に向き合い、自分なりの解決に到達するのだが、それもまた伊勢のてのひらの上なのかも……? という実に魅力的な「黒幕」なのだ。


この伊勢の狙いは何なのか。それが連作を貫く大きな謎である。そしてその謎が明かされたとき、読者はここでもあらためて正義とは何かを考えることになるだろう。

この七月には続編となる『Sが泣いた日』が刊行される(注:文庫版は2022年11月15日刊行)。そちらも『地検のS』同様の連作短編形式で、記者や弁護士、検事などが主役になり、個々の物語では骨太にしてトリッキーな謎解きが堪能できる。だがそれだけではない。『地検のS』で明らかになった伊勢の過去を踏まえ、いよいよ伊勢が自らの目的のために動き出すのだ。なるほど、こう来たか。


そこには『地検のS』に出てきた人物も多く再登場し、読者を喜ばせる。『Sが泣いた日』を読むと、『地検のS』は後のための種蒔きだったのだと膝を打った。『地検のS』でそれぞれの正義と矜恃を再認識した人々が、伊勢の……おっと、ここまでにしておこう。続きはぜひ本でお読みいただきたい。


伊兼源太郎は二〇一八年に東京地検特捜部が政治の暗部に切り込む真正面からの検察小説『巨悪』も上梓。『地検のS』のシリーズとはまったく別の話だが、通底するテーマは本書と同じ「正義と悪」である。

正義とは何か。正義を行うとはどういうことか。正義はたやすく諸刃の剣となる。これは、たとえば昨今でいえば「自粛警察」「罹患者差別」のように、私たちの身近にも多々ある問題だ。だからこそ誰しもきちんと考え続けていかねばならない。それを極上のエンターテインメントの中に芯として打ち込んだのが、伊兼源太郎の『地検のS』『Sが泣いた日』なのである。


あなたにとって正義とは何かを考える、そのヒントがここにあるはずだ。

大矢博子(おおや・ひろこ)

書評家。1964年大分県生まれ。

著書に『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』『読み出したら止まらない!女子ミステリーマストリード100』『脳天気にもホドがある。』など。

伊兼源太郎『地検のS』

(講談社文庫、好評発売中)


その男、悪か正義か――。

元新聞記者だから書けた!まったく新しい検察ミステリー。


一週間以内に特ダネを――。

東洋新聞の司法回り記者・沢村慎吾は追い詰められていた。

湊川地裁での取材中、地検の総務課長・伊勢雅行が法廷を覗く姿を見かける。

陰の実力者と噂される男が、ありふれた事件になぜ関心を寄せるのか(「置き土産」)。


事件の裏には必ず”奴”がいる。

圧倒的リアリティーで描く、全5編の連作“検察”ミステリー!

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