飼い猫の健康運
文字数 3,819文字
その発売を記念して、著者のなみあとさんによる書き下ろしSSを特別公開!
カリスマ占い師の姉の代理として、さまざまな“超常現象”を解き明かす奏は、愛猫ダイズの異変に気が付く。
なんと、ちょっと“ぽっちゃり”しているのだ。愛猫を太らせた「旦那」は、一体何者なのか。
折橋家の平和を守るため、奏はこの一世一代の大謎に挑む!
折橋家の愛猫こと折橋ダイズは専業主婦である。
正確には、ダイズは自分のことを専業主婦だと思っている、と飼い主の奏は思っている。
何しろダイズは、一度も家から脱走したことがないし、奏や姉が出かけるときも引き留めたり悲しそうに鳴いたりしない。まるでここが自分の守るべきところだとわかっているかのように、家の外にまったく興味を持たないのだ。
その上、奏の帰りが遅くなった日は「こんな時間までどこで遊んでいたのか」と叱るようににゃあにゃあ鳴いてつきまとうし、数日掃除の手を抜くと「あら、こんなところに埃が」とばかりに部屋の隅の綿埃をちょんちょんつついて指摘する。
……こう並べてみると、専業主婦というか姑っぽくもあるが、問題の本質はそこではない。我が家を日々守ってくれる愛猫について、奏は一つ問題を抱えている。そう――
「主婦ダイズの『旦那様』は誰なのかということです」
「お前毎日そんなことばっかり考えてるの?」
膝上のダイズに猫じゃらしを振りながら、あきれがちに「相当暇なんだな」と言ったのは、奏の姉の友人にして奏の(未来の)恋人(予定)である森重修二だ。
「多頭飼いしたいって話なら、折橋家の収支に問題がなければいいんじゃないの」
「いえ、そうではなく。修二さん、ちょっとダイズの脇腹をつまんでみてください」
「うん? ……あ痛っ」
ダイズの脇に触れたところ、警告するように甘噛みされて、修二は恨めしそうに奏を見た。
視線を受けた奏は、うん、と頷く。
「かように、最近のダイズはちょっとぽっちゃり気味なのです」
「指示に従った結果噛まれたことについて何か言うことは?」
「大丈夫ですか修二さん! カナちゃんも修二さんのおててをはむはむしていいですか!」
「率直に気持ち悪いからやめてくれ」
ひどい。
しかしこれで、奏の言いたいことは伝わったろう。
「ダイズが最近太り気味だって?」
「そうなんです」
そしてそれが、奏の最近の悩みの種でもある。
「ごはんの量もチェックしてるし、おやつも控えめにしているんですけど、なかなか体重が落ちなくて。動物病院の先生は、病気だとか、どこか悪いところがあるわけじゃないって言うんですけど、じゃあ、どうしてかなって」
「それで『旦那』……ダイズに餌を貢いでいる存在、か」
そういうことだ。
修二は顎に手を当てて考えるそぶりを見せ、それから窓の方を見た。
「オス猫が窓辺に来て、獲物をダイズにくれているとか?」
「野良猫が来られる高さじゃないですよ」
折橋家は高層マンションの上階にある。
「それに、ダイズがいるお部屋の窓は、極力開けないことにしています。まず外に出ていかないとはいえ、事故が起こったら嫌ですから」
「それじゃ、キッチンで残飯でも漁ってないか。あ、もしかしたら、ゴキ……」
「うちにはそんなもの出ませんっ」
なんて恐ろしいことを、とつい悲鳴のような声が出た。生ごみの処理は毎日きちんとしているし、そんな「名を口にするのもはばかれられる黒光り」が現れる猶予などありはしないしあってはならない。ましてやそんなものを、ダイズが口にしているかもしれないなんて!
猫じゃらしに飽きたダイズは、修二の腿に寝転がって大きくあくびをする。
その顎の下を指で掻いてやりながら、修二がはっ、と何かに感づいたような顔をした。そのままうつむき、息を詰める。想い人の真面目な顔に、まぁ素敵、と奏がほれぼれしていると――
「……ダイズが猫又になった可能性は?」
「げぇ」
修二の悪い癖が出て、奏はつい汚い声を上げた。
どうしてこの人は、隙あらば話題にオカルトをねじ込んでくるのか! しかし奏の思いなど考慮せず、オカルトオタクは相変わらずの早口とテンションで持論を吐き出す。
「人に飼われた猫は老いて猫又になると言われる。猫又の『マタ』は、尾が二股に別れること、猿のようであるということなど様々な説があるが、いずれにしても歳を経て妖怪となり、人を食ったり騙したりするようになった猫のことを――」
「ダイズは、まだそんなおばあちゃんじゃないですよ」
突っぱねるように奏は言った。
ダイズはもともと捨て猫で、河川敷に置かれた段ボールの中でにゃあにゃあ鳴いていたのを姉が拾ってきた。だからどこの誰が親なのかも、本当の誕生日がいつなのかもわからないし、歳は動物病院の先生が見立てたのを知るばかりだが、それでもまだ、シニアという年齢にはなっていないことだけは断言できる。
「そもそも、わたしがダイズのことで困っているのは、尻尾が二本に増えただとか、やけに長生きしてるだとかそんなことじゃなくて、肥満傾向にあることです。『猫又になった猫はむちむちになる』なんていうデータはあるんですか?」
「冗談だよ」
反論に修二は、あっさり白旗を上げた。
「奏としてはどうなんだ。お得意の推測で何か思いつかないのか? オリハシ代理よ」
「……浮かぶ可能性が、ないわけではないですが」
オリハシ代理と呼ばれた奏は、ダイズの健康運を占うように「むむむ」と手を擦り合わせてみせた。
奏の姉は高名な占い師で、神がかりとも言える力でずばずば人の心を見通すが、奏には残念ながらそんな能力はない。ただし代わりに、実際に起こった現象を理屈と論理によって推測することで、真実を見通すことができる。姉と背格好が似ていることから、奏はその力を使って、たまに姉の占い師業の代役などもしているが――それはまた、別の話として。
修二は奏の、その「推測する」力のことを言っているのだ。奏はソファに寝転ぶダイズの姿を見た。主人の悩みなどどこ吹く風で、修二の腿を枕に自身のだらしないお腹を見せている。
「どれも確定的なものではないですね。まぁ、すぐさま命に関わるほどじゃないそうなので、しばらくは様子見ってところでしょうか……もしかしたら、いまのご飯が合ってないのかもしれませんし」
「そう、緊急事態じゃないのなら、のんびり構えてろ。ダイズもそうだけど、お前自身のストレスになっても仕方ないしな」
「わたしのことも気にかけてくれるんですね。ありがとうございます。嬉しいです。結婚しましょう」
「ダイズだって、いろいろ言われたらそっちの方がストレスになるもんな」
いつも通りの聞こえないふり。
――そのとき、奏のスマートフォンが鳴った。着信を知らせる画面と音に、ソファから立ち上がる。
「ちょっと失礼します」
「おお」
耳に当て、もしもし、と電話に声をかけながら奏は廊下に出た。
後ろ手にドアを閉める――ふりをして少しだけ残した隙間からリビングを覗き込む。修二はしばらく何気ない様子でダイズの額を掻いていた、が。
やがて奏が出ていったドアを一瞥し、戻ってくる様子がないのを確認すると、自分の鞄に手を伸ばした。だるだるとろとろになって寝転がるダイズを撫でながら、優しい声音で「お前だって、たまには息抜きがないと毎日つまらないよな」と鞄から取り出した品物は――
「確保!」
「あっちくしょう! ばれたか!」
ドアを蹴り開け捜査官さながら飛び込んできた奏の姿に、修二が吐いたその一言はまさしく真犯人のものだった。ソファに飛び込んで修二の手から自前の猫用おやつを奪おうとするものの、彼は彼で、奏に奪われまいと体を捻る。
「お前、電話はどうした!」
「フェイク着信です! わたしがダイズの話始めた瞬間から修二さんの目が泳ぎまくってるから、証拠を掴むために仕込んだんですよ――どうして勝手におやつあげるんですか!」
「だって腹空かせてかわいそうじゃないか!」
「にゃあ」
「ああ大丈夫だぞダイズ、お前の幸せは俺が守ってやるからな。俺はいつでもお前の味方だぞ。いっぱい食っていっぱい生きて、いつか猫又になったらちゃんと俺のところに来いよ」
「やっぱりそれが目的ですか!」
「にゃあ」
「ダイズもおやつ持った人に無条件に愛想振りまかないの!」
ぎゃあぎゃあ言い争いながら、修二の手から奏がようやく猫用おやつを奪い取る。ダイズの、まるで恋仲に捧げるような熱い視線が、あっさり奏の方を向いた。
『占い師オリハシの嘘2 偽りの罪状』は、講談社タイガより本日発売!
“超常現象”を解き明かす、禁断のミステリー第2巻、ぜひお楽しみください!
“超常現象”を欠片も信じない、現実主義者の折橋奏。
彼女には、占い師の姉の代役という裏の顔がある。ずば抜けた推理力で、人知を超えた奇妙な依頼を解決するのだ。
だがある日、「占い師オリハシは詐欺師だ」という記事が途轍もない勢いで拡散される。筆者は「カンジョウ」と名乗る謎の人物。
一体誰が、なぜオリハシを陥れようとしているのか。
その魔の手は、確実に奏に向って伸びていた。
2015年、『宝石吐きのおんなのこ』で第2回なろうコン(現ネット小説大賞)追加書籍化作品に選出。シリーズ10巻にて完結。ほかの著作に『うちの作家は推理ができない』『悪役令嬢(ところてん式)』。