元禄・大坂の町の魅力と、時代小説の未来について

文字数 3,953文字

「奥右筆秘帳」シリーズにて、「この時代小説がすごい!」の第1位に二度輝き、今年、「百万石の留守居役」シリーズで吉川英治文庫賞を受賞するなど、25年にわたり、当代を代表する時代小説の書き手として走り続けてきた上田秀人さん。

 今回は新シリーズ「武商繚乱記」開始にあわせて、元禄の大坂を舞台とした新作の読みどころと、これからの時代小説の可能性について、とことん語っていただいた。


聞き手/細谷正充

写真・松井雄希

祝・吉川英治文庫賞


──このたびは吉川英治文庫賞ご受賞おめでとうございます。


上田 ありがとうございます。本当に感無量です。文庫賞の第1回から第7回までずっと候補に挙げていただいただけに、なんとも言えません。


──第7回は「百万石の留守居役」(講談社文庫)16巻『乱麻』と完結巻の『要訣』が選考対象になりました。上田さんは毎月のように各社から新刊を刊行されていて、いつ文庫賞を受賞されてもおかしくないと言われていましたが。


上田 「百万石の留守居役」で受賞するラストチャンスでいただけたのは、「お前、長いことよう書いとるな」というご褒美と思っています。やっぱりノミネートされると少しは期待しますから、毎年選にもれるのは、きつかったですね。私は時代小説の文庫書下ろしをメインにしていますが、文庫賞の対象は、書下ろしの作家ばかりではありません。今回の受賞が少しでも書下ろしでがんばっている人たちの励みになれば、受賞の意味があるんですが。


──周囲の反響はいかがでしたか。


上田 どちらかといえば賞とは無縁で来ましたので、家族はもちろん喜びましたが、新聞記事がまともに出ましたので、しばらく行き来のなかった方たちからも連絡をいただきました。文学賞の影響力を感じましたね。


──講談社文庫では、「この時代小説がすごい!」(宝島社刊)で二度、第1位に選ばれた「奥右筆秘帳」から始まって、今回の受賞作「百万石の留守居役」と、上田さんは1作ごとにいろいろテイストを変えてきていますね。


上田 そうですね。いつも何かちょっと変わったことをしようと思うんです。

待望の新シリーズ、開幕!


──新シリーズの「武商繚乱記」ですが、今回は、武士と商人の対決みたいになると思うんですけれども、経済に対するご興味はずいぶん前から示されていますよね? 上田さんの最長シリーズになっていった「水城聡四郎」シリーズ第一弾「勘定吟味役異聞」(光文社文庫)からして勘定方ですから。


上田 やっぱり大阪の人間なので、お金に関しては大好きなんです(笑)。見栄を張らない文化、実質的にお金が残ればいいや、という文化で育ってきているので。江戸時代のお金っていうと小判に目が行きますが、家や土地を買うときどうしたんだろう、二千両抱えてうろうろできないだろう、という疑問が最初に江戸時代の経済に興味を持ったきっかけですね。それで、蔵屋敷から発行されて為替として使える蔵預かり切手というものを扱う世界を知って。


──江戸を舞台とした時代小説が多い中、今回は元禄期の大坂から描かれています。


上田 大阪にあった企業の本店がみんな東京に行ってしまって、最近の大阪の凋落ってなぜなんだろうと考えますね。ひとくちで商都大阪といいますが、全国から米が集まっていた元禄の時代、紡績業などで繁栄していた戦前とは違い、万博後の大阪は、言い方は悪いけどコケてしまった。コケる前の大阪は相当な経済の力が集積していたんですね。


──この作品でも少し触れられていますけど、大坂の陣によってすごく荒廃した町が、ものすごい勢いで復興していくじゃないですか。


上田 そうなんです。江戸にできたばかりの幕府も相当なお金を大坂につぎ込んでいます。大坂城や河川の整備も無理やり諸藩に御手伝い普請を押しつけてやっています。


──幕府も大坂の商都というイメージや存在意義を認めた上で、そこを復興させないとまずい、と大事に考えていたんでしょうね。


上田 ただ、そこから江戸期に入っていつの間にか商人が勢いを得て、「大坂やりすぎだぞ」となったんですね。二代か三代で商家の身代が大きくなると、大名たちが次々に頭を下げに来て借金をする。大坂城代に目をつけられると、そこは大坂商人ですから賄賂とかで抱き込もうとするんですけど、たまにそれを許さない厳格な人物が幕府から派遣されてくる。一罰百戒じゃないですけど、増長した商人への警告に、材木商から始まって米相場を支配して、抜きんでた豪商になった淀屋が選ばれて犠牲になっていった。町人文化の華やぎが、武家を凌駕していく、そんな元禄の大坂を物語の出発点としました。


──淀屋は潰されたあとも面白いんですよね。かたちを変えて続いていて、幕末の討幕運動でも顔を出します。


上田 ひっそりと暖簾分けされた番頭牧田仁右衛門が伯耆倉吉で淀屋を再興するんですよね。代を重ね大坂にも復帰しますが、倒幕側についた淀屋は全財産を投じたと言われています。幕府に対するある種の復讐だったのかもしれませんね。

 もっとも最近では大阪人でも淀屋のことを知らない人も多い。ガラス張りの天井に高価な金魚を泳がせたり、中之島を開拓したり、自力で淀屋橋を架けたりと、逸話はたくさん残っているんですが。

──今回、本当にびっくりしたんですけど、主人公山中小鹿がいきなり寝取られ亭主として出てくるんですよね(笑)。


上田 そのくらいのほうが人間味が出るかと思いまして(笑)。東町奉行所の同心が、上司の筆頭与力の娘を嫁にするんですが、裏切られるんですよね。当然性格はゆがみます。大坂人でありながら幕府の手先として大坂の豪商を潰しにかかるわけですから、どこかゆがんでないとできない。いろいろ考えた結果、上司と妻が敵に回るとこうなるな、と。

 ヒロインをどうしようかと、Zoomで担当編集者と話をしましたが、上方から妻を江戸に連れていってカルチャーギャップを描くのは「町奉行内与力奮闘記」(幻冬舎時代小説文庫)でやっているので、違うやり方をやってみたかったんですね。


──「奥右筆秘帳」や「百万石の留守居役」の主人公像ともまた違った印象でした。


上田 「奥右筆秘帳」は老練な奥右筆組頭・立花併右衛門と隣家の次男・柊衛悟のいわばバディものなんですが、武家としては先の望みのない衛悟をどう引き上げていくかがテーマでもありました。

「百万石の留守居役」では江戸と金沢での遠距離恋愛をやってみたかったんですね。若くして大藩の外交官になった主人公・瀬能数馬と婚約者の五万石の筆頭家老の娘・琴との。もちろん当時は電話もないし、手紙での恋愛は難しいですね。それはそれで二人ともハッピーエンドになるのですが。

 どの物語も絶対ハッピーエンドにしようと考えていますので、今回の「武商繚乱記」もハッピーエンドにするつもりはあるんですが、スタートは思いきりマイナスから行ってみようかと、ああいうかたちに(笑)。


──上田さんの主人公ってだいたい四面楚歌っていうか、四方が敵だらけなんですけど、なかでも今回はかなり敵が集まってきそうです。


上田 今回はいくらでも敵を描けそうなので、第1巻はまだ二つ、三つくらいから狙われる立場にとどめています。年代としてはちょうど本作の2年後が赤穂浪士の討ち入りなので、今回、赤穂藩の国家老大石内蔵助を出しています。


──内蔵助が出たあたりで思ったんですが、赤穂藩だから近い大坂のほうが出しやすいですね。


上田 読者さんにも、ああこの時代かと、すぐにわかっていただけるので。大石さんを狂言回しに使うのは失礼かもしれませんけど(笑)。最近、テレビや小説や歌舞伎で赤穂浪士の忠臣蔵を見ることがなくなりましたね。現代から見ると、テロリズムとなるのでしょうが、基になるのが忠義なのか打算なのか。このあたりで一度とらえなおしてみたい、とも考えています。

 赤穂浪士というのは武士がメインの時代にあって、大名、将軍だけでなく庶民にまで称賛されたじゃないですか。テロリズムを大絶賛する文化っていったい何なんだろう、もう一度赤穂浪士の忠臣蔵をきちっと追いかけてみてもいいかなと思いました。お金の動きから忠臣蔵をとらえてもいいですしね。


──大石内蔵助と出会った山中小鹿が、松之廊下の事件や討ち入りの事件をどう聞くのかも楽しみです。舞台はずっと大坂ですか?


上田 いえ、次の巻あたりで小鹿を江戸に行かせようかと思っています。江戸で彼女ができるのも面白いかなと。江戸にいて、元妻の影響力をどう残すか、敵に回す大坂の影響をどう及ぼすかなど、第2巻、第3巻の課題を今考えているところです。


※この続きは小説現代2022年8月号(2022年7月22日発売)でお楽しみください!


(当インタビューは2022年6月7日、講談社にて行われました)

上田秀人(うえだ・ひでと)

1959年大阪府生まれ。大阪歯科大学卒。97年小説CLUB新人賞佳作でデビュー。歴史知識に裏打ちされた骨太の作風で注目を集める。講談社文庫の「奥右筆秘帳」シリーズは、「この時代小説がすごい!」(宝島社刊)で、2009年版、2014年版と二度にわたり文庫シリーズ第1位に輝き、第3回歴史時代作家クラブ賞シリーズ賞も受賞。抜群の人気を集める。「百万石の留守居役」は著者初めての外様の藩を舞台にしたシリーズ。文庫時代小説の各シリーズのほか歴史小説にも取り組み、『孤闘 立花宗茂』で第16回中山義秀文学賞を受賞。他の著書に『竜は動かず 奥羽越列藩同盟顚末』(上・下)など。2022年第7回吉川英治文庫賞を「百万石の留守居役」シリーズで受賞した。

新シリーズ開幕! 『戦端 武商繚乱記(一)』
「奥右筆秘帳」シリーズ
「百万石の留守居役」シリーズ

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