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森博嗣様
ご返信ありがとうございます。
「法の不知はこれを許さず」という法諺は、刑法にも明記されています。「人を殺しても許されると思ったから刺した」は有罪で、「人だと思って刺したら人形だった」は無罪になる。理屈をこねることは可能ですが、秩序を維持するための線引きをどこにするのかという問題だと私は理解しています。
日本での紛争の現状として、ネットに氾濫している情報を集めて法律勝負を挑む人自体は増えているようです。ただ、戦いの舞台が法廷になるのはレアケースで、内々に解決することを好むため、そこに争いを公にしたがらない日本人らしさは現れています。用意周到に武器(証拠)集めをする傾向もあるので、探偵の需要は高まっているのかもしれません。名探偵までは求められていないのでしょうけれど。
犯した罪を罰に換算する役割は、人工知能が担っていくのかなと想像しています。裁判官の役割は、導かれた結論を一般市民が受け入れられるように言語化することで、その点でも動機や反省の弁は今以上に重要視されそうです。
私も含めて、未来を見据える考え方を苦手としている人は多くいる印象があります。紛争の予防に向けて動くことはあっても、それはマイナスを減らしているにすぎず、プラスに転じようという意識は希薄です。もっとも、未発生の結果をシミュレーションする姿勢が重要なのは否定しがたい事実なので、結局は個人の思想に行き着くのでしょうか。
「悪人の味方をする弁護士」という反発は根強く、それを完全に払拭するのは不可能だと思っています。和を重んじる日本人にとっては、争って勝ち取る正義よりも、潔い切腹の方が賞賛されるのかもしれないと、半ば本気で諦観しつつあります。だからこそ弁護士の存在意義が肯定されるわけですが、正義のヒーローになるのは茨の道です。
新人作家として生き延びる難しさを理解した上で、それでも足掻きたいと望んでいます。良質な作品を速いペースで発表し続ける――。その一言に尽きるものと推察していますが、付け加えることが可能なアドバイスがあれば、お聞かせいただけないでしょうか……?
よろしくお願いいたします。
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