大ベストセラー『青春の門』新篇再開! 五木寛之氏にPOP王がインタビューした

文字数 1,954文字


作家、作詞家、随筆家など多彩な顔を持つ五木寛之氏が、2017年、23年ぶりに大ベストセラー『青春の門』の執筆を再開、2019年に単行本『青春の門 第九部 漂流篇』として刊行。令和の時代にあって昭和を描き続ける氏に、「昭和」という時代を描くこと、また青春についてなど多岐にわたりお訊きしました。



聞き手:POP王 内田 剛



昭和という時代を、自分の言葉で書き残したい



──実は私は、「青春の門」シリーズの連載が始まった1969年生まれなんです。二度の休筆をへて2017年に連載を再開したわけですが、令和になった今、この昭和の時代をさらに描いていくのは、何か五木さんなりの思いや理由があるのでしょうか。


五木 私は本を読んでいて、書いてある歴史への違和感を覚えることがあるんです。自分が生きてきた時代のことだと、当然体験しているわけです。それなのに、書いてあるものが自分の記憶と違う。そうした違和感から、自分が体験した昭和という時代のことを、自分の言葉で書き残そう、という意識もあるのだと思います。


──五木さんは昭和7年のお生まれですね。


五木 私と同じ昭和7年組には大島渚(映画監督)や小田実(小説家)、白戸三平(漫画家)、石原慎太郎(元東京都知事)などがいるのですが、自己主張が強いところなど、何か共通ものがある。そういう世代の感覚を残しておきたい、という気持ちがあります。


──時代もそうですが、「青春の門」シリーズでは、舞台がすごい。東京もあれば、シベリアが舞台になったりもします。


五木 昭和の初期に、ロシアブームがあったんです。「走れトロイカ」の歌が流行ったり、神田のニコライ堂なども憧れの的でした。感覚とともに、そういう時代の「匂い」も残したかったのです。



青春とは、挫折である

──信介は、ヨーロッパを目指してシベリアに渡るわけですが、途中で頓挫してしまいます。五木さんの中で、信介の生きざまのもう一つの可能性として、「ヨーロッパまで行かせる」という展開はあり得たのでしょうか。


五木 青春とは「挫折」である、と思うんです。まあ、「凄春」と書いて「せいしゅん」とも読める。だから、ヨーロッパを目指していても「挫折」してしまって、行かれないというのもいいのではないでしょうか。わざと目的が達成できなくするわけです。


──登場人物の中でも女性、特にタチアナの存在感がすごいですね。モデルはいるのでしょうか。


五木 私が子供の頃住んでいた朝鮮半島は、戦争が終わってロシア軍が進駐してきたわけですけれど、意外と女性の兵士が多かったんです。その中の女性将校がなんともかっこよかった。男の兵士と同じような重労働をこなしつつ、どこかインテリジェンスを漂わせていたんです。ロシアは、特に革命後はスターリンやトロツキーなど男性のイメージが強いですが、実はその影で女性がすごく活躍をしていた。それを描きたかった、というのもあります。


──そしてもう一つ、この物語を彩っているのが音楽です。ロシア民謡、昭和歌謡……。作品の中に音楽があふれています。特に、タチアナがドクトルの前で歌いだすシーンでは、胸が震えました。「その一瞬だけでロシアまで来た甲斐があった」、と信介が思うシーンです。


五木 まあ、ロシアもいろいろで、ウクライナやアルメニアの音楽もあるわけで、それらを十把一絡げにロシア民謡と呼ぶのも失礼なのですが。


──確かに、そうですね。──この「青春の門」という物語の信介の経験を通して、読者はそうした日本の歴史、ロシアのこと……いろんなことを学んでいると思います。まさに「知る歓び」を教えてくれていると。


五木 人生において「知る歓び」はとても大切なことだと思います。私もざっと数えて800人以上の人と対談をしてきています。その対談が、人と会うということが、学びの場になっていると思います。


──シベリアの凍てつく大地とは反対に、信介の体の内部から湧き出てくるような熱、物語から発せられる熱情、そして五木さん、著者ご本人の情熱。そんなものを感じました。そうした対極にあるものを意識的に描こうとされたのでしょうか。


五木 作家というのは、意識しないでそうした内なるものを描くのだと思います。書いている本人が気が付いていないことを、評論家がよく指摘してくれる(笑)。実は、この物語の登場人物たちの名前も、意識せず自分の両親と一文字同じであったりしています。不思議ですね。




 インタビューの全貌は、BundanTVで配信中! こちらから>>

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