メフィスト賞作家が、森 博嗣さんXXシリーズを読んでみた③ 五十嵐律人
文字数 2,678文字
メフィスト賞作家が、森 博嗣さんXXシリーズを読んでみた③
『情景の殺人者 Scene Killer』 五十嵐律人
最初に、ほんの少しだけ自分語りを……。
私は、ロースクール修了後に『すべてがFになる』を読んで、進路を見失うほどの衝撃を受け、司法試験に合格したにもかかわらず、作家を志すことにした。
なお、現在は、紆余曲折を経て作家兼弁護士として活動している。
だから、森作品に出会っていなければ、ミステリにのめり込むことも、小説の執筆を再開することも、メフィスト賞に応募することも(森先生は第1回受賞者、私は第62回受賞者である)なかったと思う。
森先生の新刊の情報が出るたびに、タイトルやあらすじから、どんな内容だろうかと、そしてどのシリーズと関連しているのだろうかと、あれこれ想像を膨らませてきた。
けれど、いざ新刊を手に取ってページを捲り、プロローグを読み終える頃には、すっかり物語の世界に没頭して、事前の考察は全て忘れてしまう。
そんな幸せな読書体験が、本書でも味わえる。
月の明かりで照らされた白い地面。横たわる身体と赤い雪。
ラストシーンまでたどり着いたとき、多くの読者は、この幻想的なプロローグをもう一度読み返すはずだ。私がそうしたように。
やがて解ける雪も、いずれ尽きる命も、『儚い』と表現されることが多い。そんな儚さが本書では多くの場面から感じ取れる。それゆえに、プロローグからエピローグに至るまで、一貫して幻想的な物語に仕上がっているのだろう。
全ての情報をテキストで表現しなければならない小説は、漫画や映画などに比べて、視覚的な描写が劣ってしまいがちだ。
それにもかかわらず、本書を読み進めている間に、殺人者が知覚した『情景』が何度も脳裏に浮かんだ。犯人視点の描写に頼っているわけでも、過剰な情景描写がなされているわけでもないのに……、である。
ネタバレを避けるために多くは語らないが、一連の事件の真相も、また儚い。
終盤で明かされる動機に関しては、さまざまな受け止め方があり得るところだろう。
犯罪(特に殺人)とは本来的に、共感とはかけ離れた行為である。私の場合、普段弁護士をしていることもあって、ミステリ作品に触れる際には、犯行動機に『共感』できるかではなく、『納得』できるかを重視している。
そして、共感できるか否かは、読者の価値観によって結論が変わる。一方、納得できるか否かは、登場人物の行動が首尾一貫しているかで見極められる(と私は考えている)。この視点で振り返ると、本書の犯人の行動はまったくぶれていない。恐ろしいくらいに首尾一貫しているのだ。だから私は納得した。納得を超えて共感まで求めるか否かは、まさに読者の価値観に委ねられている。
さて、先ほど私は、本書を『幻想的な物語』と形容した。ただし森作品である以上、その根底には、鮮やかなロジックが存在している。
真相に至るまでの推理のプロセスはもちろん、登場人物の思考や行動においても、堅牢で隙のないロジックが構築されている。
警察の正義とは何か、殺人犯を逮捕することで将来の犯罪を抑止できるのか、なぜ殺人が許されないのか……。何気ない会話の端々からも、凝り固まった常識や価値観を見直すきっかけを得られるはずだ。
論理と情緒が、絶妙なバランスで交錯している。その世界観に、今回も魅了された。
XXシリーズの過去作である『馬鹿と嘘の弓 Fool Lie Bow』、『歌の終わりは海 Song End Sea』と同様に、本書においても、探偵事務所に特定の人物の調査が依頼されるところから、物語はスタートする。
尾行や張り込みといったオーソドックスな探偵業務をこなしているうちに、予期せぬ事件が発生して、さらに混迷を深めていく。トラブルに巻き込まれながら奮闘するのは、このシリーズではおなじみの小 川 () 令 () 子 () と加 () 部 () 谷 () 恵 () 美 () だ。
XXシリーズの魅力の一つは、小川令子と加部谷恵美の人物造形にあると私は考えている。S&Mシリーズの犀 () 川 () 創 () 平 () と西 () 之 () 園 () 萌 () 絵 () 、Vシリーズの瀬 () 在 () 丸 () 紅 () 子 () ……。他のシリーズでは、ずば抜けた知能と思考力を兼ね備えた登場人物たちが、圧倒的な推理で事件を解決していく様を楽しむことができた。
それに対して本シリーズでは、小川令子や加部谷恵美が、地道に調査を進めながら、愚直に事件と向き合っていく。そして、その道中においては、彼女たちの悩みや弱さが、読者に寄り添うように描かれている。恋愛観や劣等感など、完璧ではなく不安定だからこそ成り立つ心理描写が新鮮で、それだけでも充分に楽しめてしまう。
雨 () 宮 () 純 () や鷹 () 知 () 祐 () 一 () 朗 () も含めて、主要人物たちの人間模様がどのように変化するのかを追いかけるのも、シリーズものの醍醐味だろう。
探偵事務所の面々が進む先には、幸せな未来が待っていてほしい。そう願いながら、続刊を楽しみに待ちたい。
最後に、本シリーズでは、タイトルに付された英題の解釈を楽しみにしている読者も多くいるのではないか。
『情景の殺人者 Scene Killer』
タイトルも含めて、幻想的で美しい物語だ。
***
【五十嵐律人(いがらし・りつと)プロフィール】
1990年、岩手県生まれ。東北大学法学部卒業。弁護士(ベリーベスト法律事務所、第一東京弁護士会)。『法廷遊戯』で第62回メフィスト賞を受賞し、デビュー。著書に、『不可逆少年』『原因において自由な物語』『六法推理』『幻告』『魔女の原罪』がある。新刊『真夜中法律相談所』(講談社)は2023年11月13日発売。
『情景の殺人者 Scene Killer』 五十嵐律人
最初に、ほんの少しだけ自分語りを……。
私は、ロースクール修了後に『すべてがFになる』を読んで、進路を見失うほどの衝撃を受け、司法試験に合格したにもかかわらず、作家を志すことにした。
なお、現在は、紆余曲折を経て作家兼弁護士として活動している。
だから、森作品に出会っていなければ、ミステリにのめり込むことも、小説の執筆を再開することも、メフィスト賞に応募することも(森先生は第1回受賞者、私は第62回受賞者である)なかったと思う。
森先生の新刊の情報が出るたびに、タイトルやあらすじから、どんな内容だろうかと、そしてどのシリーズと関連しているのだろうかと、あれこれ想像を膨らませてきた。
けれど、いざ新刊を手に取ってページを捲り、プロローグを読み終える頃には、すっかり物語の世界に没頭して、事前の考察は全て忘れてしまう。
そんな幸せな読書体験が、本書でも味わえる。
月の明かりで照らされた白い地面。横たわる身体と赤い雪。
ラストシーンまでたどり着いたとき、多くの読者は、この幻想的なプロローグをもう一度読み返すはずだ。私がそうしたように。
やがて解ける雪も、いずれ尽きる命も、『儚い』と表現されることが多い。そんな儚さが本書では多くの場面から感じ取れる。それゆえに、プロローグからエピローグに至るまで、一貫して幻想的な物語に仕上がっているのだろう。
全ての情報をテキストで表現しなければならない小説は、漫画や映画などに比べて、視覚的な描写が劣ってしまいがちだ。
それにもかかわらず、本書を読み進めている間に、殺人者が知覚した『情景』が何度も脳裏に浮かんだ。犯人視点の描写に頼っているわけでも、過剰な情景描写がなされているわけでもないのに……、である。
ネタバレを避けるために多くは語らないが、一連の事件の真相も、また儚い。
終盤で明かされる動機に関しては、さまざまな受け止め方があり得るところだろう。
犯罪(特に殺人)とは本来的に、共感とはかけ離れた行為である。私の場合、普段弁護士をしていることもあって、ミステリ作品に触れる際には、犯行動機に『共感』できるかではなく、『納得』できるかを重視している。
そして、共感できるか否かは、読者の価値観によって結論が変わる。一方、納得できるか否かは、登場人物の行動が首尾一貫しているかで見極められる(と私は考えている)。この視点で振り返ると、本書の犯人の行動はまったくぶれていない。恐ろしいくらいに首尾一貫しているのだ。だから私は納得した。納得を超えて共感まで求めるか否かは、まさに読者の価値観に委ねられている。
さて、先ほど私は、本書を『幻想的な物語』と形容した。ただし森作品である以上、その根底には、鮮やかなロジックが存在している。
真相に至るまでの推理のプロセスはもちろん、登場人物の思考や行動においても、堅牢で隙のないロジックが構築されている。
警察の正義とは何か、殺人犯を逮捕することで将来の犯罪を抑止できるのか、なぜ殺人が許されないのか……。何気ない会話の端々からも、凝り固まった常識や価値観を見直すきっかけを得られるはずだ。
論理と情緒が、絶妙なバランスで交錯している。その世界観に、今回も魅了された。
XXシリーズの過去作である『馬鹿と嘘の弓 Fool Lie Bow』、『歌の終わりは海 Song End Sea』と同様に、本書においても、探偵事務所に特定の人物の調査が依頼されるところから、物語はスタートする。
尾行や張り込みといったオーソドックスな探偵業務をこなしているうちに、予期せぬ事件が発生して、さらに混迷を深めていく。トラブルに巻き込まれながら奮闘するのは、このシリーズではおなじみの
XXシリーズの魅力の一つは、小川令子と加部谷恵美の人物造形にあると私は考えている。S&Mシリーズの
それに対して本シリーズでは、小川令子や加部谷恵美が、地道に調査を進めながら、愚直に事件と向き合っていく。そして、その道中においては、彼女たちの悩みや弱さが、読者に寄り添うように描かれている。恋愛観や劣等感など、完璧ではなく不安定だからこそ成り立つ心理描写が新鮮で、それだけでも充分に楽しめてしまう。
探偵事務所の面々が進む先には、幸せな未来が待っていてほしい。そう願いながら、続刊を楽しみに待ちたい。
最後に、本シリーズでは、タイトルに付された英題の解釈を楽しみにしている読者も多くいるのではないか。
『情景の殺人者 Scene Killer』
タイトルも含めて、幻想的で美しい物語だ。
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【五十嵐律人(いがらし・りつと)プロフィール】
1990年、岩手県生まれ。東北大学法学部卒業。弁護士(ベリーベスト法律事務所、第一東京弁護士会)。『法廷遊戯』で第62回メフィスト賞を受賞し、デビュー。著書に、『不可逆少年』『原因において自由な物語』『六法推理』『幻告』『魔女の原罪』がある。新刊『真夜中法律相談所』(講談社)は2023年11月13日発売。