第1回 ウィングストップとトレイダー・ジョーズ 【後編】/三浦哲哉

文字数 8,955文字

 こういうとき、「なんでまたアメリカに?」と言われたことを思い出す。サバティカル(長期研究休暇)でアメリカに行く予定です、と告げたとき、同僚たちから、やや怪訝な、ともとれる顔で、しばしばこう聞かれたものだ。



 私はフランス映画について書くこともあったので、フランス映画研究のために渡仏するつもりと思われていたのかもしれない。それから、私はだんだん映画研究と並行し、食文化について書くことも多くなっていたので、この機会にヨーロッパでいろいろな食をめぐる経験をしてきたらいいのに、というニュアンスだったのかもしれない。たしかにそれはそうなのだ。



 もしフランスに行っていたなら、などという想念が、アメリカに来てあまりおいしい食事にありつくことができず心が疲れたときなど、ふと脳裏をよぎることがないではない。フランスならば、何か腹を満たそうと思ったとき、何はともあれパン屋が街のいたるところにあって、1ユーロそこそこで買えてしまうあのすばらしいバゲットを頰張りさえすれば、それだけで楽天的な気分になれる。菓子パンのたぐいも、サンドイッチもよりどりみどりだ。子どもには色とりどりのマカロンでも買ってごきげんを取ればいい。ところがLAでは、あてずっぽうにいくら歩いたところで、おいしい個人商店のパン屋とか惣菜屋が見つかることはほぼ期待できない。



 もちろんフランスといえども、たとえばパリのレストランはいかにも観光客向けで、値段のわりにいまいちという経験をさせられることも多いだろうが、しかし、ちょっと地方に行けば─たとえば最後のフランス滞在で訪れたリヨンでは、ランチに10ユーロも支払えば、とてつもなくおいしい食事にありつくことができた。店主も客も、いかにも食いしん坊ばかりで、どうだ、これはうまいだろう、というものがテーブルに並ぶのだ。LAでそういう場所がどうやったら見つかるかは、いまのところまだ見当がついていない。この時点で理解できたことと言えば、あらゆるレストランの値段が日本よりかなり高いということだった。家賃のおそろしい高さについてはすでに述べたとおりで、だいたい首都圏の2倍ぐらいはする感じなのだが、外食の値段もおそらく1・5倍から2倍はするのではないか。



 たとえばこの時期に入ったジョニー・ロケッツ(Johnny Rockets)というダイナー風のファミリー・レストランでは、めずらしく口に合ったのか、娘も息子も、キッズメニューのホットドッグを残さずに食べたのだが、会計で支払ったのは全部でだいたい80ドル。アルコールなしでこの値段である。モスバーガーとかサイゼリヤと比べてしまうと、やるせない気分にならないでいることはむずかしい。食費にかけられる額は限られているので、店探しはますます難航する。



 では、「なんでまたアメリカに」、私たちは来てしまったのか。



 もちろん第一に、ハリウッドを擁する映画の都で研究するため、それから、英語を話す環境に家族全員で浸るため、という理由ではあるのだが、しかし、食生活に関しても、けっして私は後ろ向きな気持ちでここに来たわけではない。というより、この土地で食と向き合ってみたいと思ったからこそ積極的にアメリカを、なかでもカリフォルニアのLAを選んだということがあった。ウィングストップの紙袋を膝の上に抱えながら、もう一度、私は自分にそう言い聞かせる。



 たとえばフランスの食のおいしさに触れる、ということはたしかにすばらしいことであるにちがいない。発見は多く、知識も深まるだろう。だがしかし、それはすでに堅固に確立した美食の伝統的体系の「学習」、あるいは「追体験」に終始するような気もする。おいしいとされるものをおいしいと食べる。贅沢なことではあるだろうが、しかし、そのような経験をするのだとして、いまさら自分が再度それについて何かを書く必要はまったくないだろう。



 それに対し、アメリカの食は、端的に言って謎だらけだ。おいしいかどうかすらわからない何かのショックを受け、考えざるを得なくなるということが、ここでは頻繁に起きる。なぜ「ハッピーターン」味のソースをたっぷりまぶしてフライド・チキンを食べるのか。このチキンをつぎつぎに笑顔でたいらげていく客たちの姿が不思議でならなかった。彼らはこのチキンを我慢して食べているわけではもちろんない。その反対だろう。私はその光景に強烈に惹きつけられた。



 彼らのことを、たとえば社会学的見地から、合理化と効率化を極端に推し進めたファスト・フード産業に搾取されつつある犠牲者、などと捉えてみせることは容易い。もしかして日本にいたとき、私もそういう理解で済ませていたところがあったかもしれない。けれど、この店の客たちが現実に、これらチキンを食べて談笑している姿を目の当たりにするとき、「ファスト・フード産業の犠牲者」などという言葉はいかにも杜撰に感じられる。なぜなら彼らの肉体は、これでいい、これでおいしい、といま現に充足している─この厳然たる事実があるのだから。それで深刻に健康が害されることがあるかどうかわからないが、ともあれいまのところ彼らなりの均衡は維持されているのだろう。さて、それは一体どのような均衡なのか。まだ到底理解できない。



 ようするに私は、アメリカの食の現実を理解するための座標をいまだ持っていない。おそらくそれは時間をかけて徐々に手に入れるしかないものだろう。それを手にしたとき、私たち家族は、別人になっているかもしれない。そんな予感があるからこそ、私たちはアメリカに来た。



 ナチュラルな味わい、とされるものから思い切りかけはなれた風味の食品にさえ、人は慣れ、そこに居着き、愛着を覚えるということがある。そして、いつのまにか、自然だとか伝統的だと言われていたところからはるか遠い地点で、或る生のかたちが描き出されてしまうということがある。私がアメリカに惹かれた理由を、こんなふうに言い直すこともできるだろう。つまり、流動化が極端に進み、さまざまな地域で継承されてきた伝統との断絶が起きてしまった空間で、なおかつ生の均衡はいかにして、どのようなかたちで成立しうるのか─そのことを試す実験場がアメリカであり、それゆえ、私はここに住み、食べてみたかった。子どもとともに、ときに不自由な思いをしながら、それなりに長い期間、居着き、この土地に固有のさまざまな食習慣に体を浸してみたい。その慣れのプロセスを吟味してみたい、と考えたのだ。



 どうせなら、この実験が最も遠くまで推し進められた都市を選びたかった。だとすればLAだろう。そう考えたのは、従来の人間社会のさまざまなリミットを外し、クレイジーな実験を繰り返す、そんな「人類の未来」を垣間見せてくれる場所としてのLAのイメージを、私は書物と映画とによって刷り込まれていたからだ。



 LAとは─この都市の概説書やガイドブックではこのように繰り返し語られる─アメリカへやってきた植民者たちが、さらにフロンティアを西へ西へと推し進め、最後に辿り着く場所、ひとがあらゆる伝統的な拘束を脱ぎ捨てた先に見出す終着点の名である。もうこれ以上西進することができなくなったデッドエンドで、今度は映画のスタジオが建設され、この想像上の空間で、さらなる領土の拡張がなされる。そこで生み出された魑魅魍魎が、都市の現実へと還流する。ゴールドラッシュのときは「黄金」が、つぎに「石油」が、そして「映画」が、さらに現在は「情報工学」が、解放を求める人々をここに招き寄せてきた。



 もっと個人的な思い出を述べるならば、私を最初に惹きつけたのは、「アーノルド・シュワルツェネッガーのLA」である。私は1976年生まれで、文化的なイニシエーションを受けた時期は1980年代なのだが、まさに映画館に通い始めたそのとき、スクリーンはバカげたサイズの筋肉を誇る男たちに占拠されていた。後からそれが映画史的には異常事態だったということを知るのだが、ともあれ、私はいまも根っこにおいて、ああいう常軌を逸した存在に魅了され、呪縛されつづけている。



 彼ら筋肉アクション・ヒーローたちが、当時のレーガン政権の広告塔として利用されていたという批評的通説も、後から耳にたこができるぐらい聞かされることになるが、しかし、いまもそのような否定論ですべてを片付けられるわけはないと思っている。当時最新の生理学に基づいた近代的トレーニングによって、シュワルツェネッガーの筋肉は、伝統的な美の均整を大幅に逸脱するサイズを獲得する。よく知られるように、近未来都市LAを舞台にした「ターミネーター」シリーズなどのSF映画を、文字通り、この筋肉の異様さこそが支えることになるのだ。彼はやがてカリフォルニアの州知事になった。



 少年時代から今に至るまで、シュワルツェネッガー以上に惹きつけられてきた存在に、シルヴェスター・スタローンがいる。髪の毛1本1本にまで血管が浮き出るほどだったと本人が述懐する、80年代後半のスタローンのあの異常な筋肉の魅力は一体何なのか。ひとが「自然さ」から遠く離れ、自分の肉体をどこまで改造できるかに挑む、そのような実験に固有の滑稽さと哀しさが、おそらくここにはある。彼の映画はアメリカン・ドリームの復権、つまりはマッチョイズムへの保守回帰を謳っていると批判されてきたが、もっとつぶさに見てみれば、ことはそんなに単純ではないことがわかる。むしろ、人工的に肥大させた筋肉によって無理矢理に支えられた「健康」や「勝利」が、いかに不安定で、つかの間のものにすぎないかをも、同時に、スタローンの映画は示してきた。ようするに、流動化が進みすぎた近代における生の宙吊り、また、そのようにしか生きられない奇形的存在の悲哀こそが、スタローン映画のコアなのだ。



 私がウィングストップのエクストリームな鶏料理に対して抱く興味には、だから、シュワルツェネッガーやスタローンの筋肉に対して抱く興味に通じるものがある。また、それゆえに、この興味は、単なる知的好奇心という以上の、感情的な負荷を帯びる。私は、これら奇妙な生のかたちに対して、あっぱれと拍手したい気もするし、胸が締め付けられるような気もする。



 どうしてこういう感情を覚えるのだろうか。もう少し考えてみたい。先ほど、アメリカの食は謎だと述べたばかりだが、しかし、程度のちがいこそあれど、私自身のなかにもすでに、このアメリカ的な何かが食い込み、その一部になっているからではないか。たとえば私の父は、地方都市のコカ・コーラ工場の従業員だった。だから私も小さい頃はしょっちゅうコーラを飲んでいた。大人になってからは、いろいろな食文化に触れたいと願うようになり、ナチュラルやオーガニックといった食の潮流にもひとしきり傾倒することになるのだが、それでもコーラへの嗜好はたぶん深いところに刻まれたままだ。



 その地方都市というのは福島県の郡山市で、2011年には原発事故という前代未聞のできごとの多大な影響を被った。



 脱原発のスローガンを掲げた市民運動が起きて、福島を新しいスローライフ運動の拠点にしようというような主張も叫ばれた。私はというと、そういう主張に惹かれつつも、事故直後に地元の人たちが皮肉を込めて「ベクれている」と呼んだ、あれら地元の農産品─いくら検査が厳密になされても健康食至上主義者たちはけっして食べようとしなかったあれら「不純な」食べ物こそを擁護したいと思わずにいられなかった。



 ウィングストップから連想がずいぶん飛躍してしまった。LAについての私のイメージは、実際に来る前に勝手に膨らませていたものに過ぎないし、空想に過ぎない部分も多いかもしれない。ともあれ、ここで述べた事柄が根本的なところでつながりあっているという感覚が私にはあり、アメリカ生活のなかで、これらについていままで理解できなかったことが、何かしら言葉になるのでは、という期待を抱いているということなのだ。


    *


 さて、不純なもの、エクストリームなものへの嗜好が自分にあるとはいえ、急激にその真似をしたら体を壊すだろう。食生活において、何よりも家族の健康を第一に考えなければならないのはあきらかだ。



 さいわい、渡米当初の危機的な栄養状況は、アパートに入居することができて、だいぶ改善された。外食中心の生活が終わり、スーパーなどで自分たちが望ましいと思う食材や惣菜を買って食べられるようになったからだ。



 私たちの住居は、キャッスルハイツ・アヴェニューという通りにあった。約3年前に開通した地下鉄エクスポ線のパームス駅の近くである。駅と言っても日本のように商店街があるわけではない。そもそもLAは車で移動するように造られた都市だから、通りに面した個人商店は少ない。近所をそぞろ歩きしながら様々な店をのぞく楽しみはほとんど期待できなかった。そうすると、食生活において重要になるのがスーパーである。自炊が始まって第一の課題は、スーパーについて知ることだった。



 近隣にはだいたいこういうところがあることが分かってきた。まず、いちばん近くにあったのが、ヴォンズ(Vons)である。最も標準的なタイプのアメリカのスーパーの一つだろう。大手食品メーカーの商品が巨大な棚にずらりと揃っている。精肉や鮮魚のショーケースもあるが、そこに並ぶ食材はそんなにスペシャルなかんじがしない。これと同じタイプに、ラルフス(Ralphs)がある。こういう普通のスーパーの商品は格安であるにちがいない、と都合よく思っていたのだが、この考えも甘かった。ポテトチップスの大きな袋がだいたい4〜5ドル。チキンナゲットなどの冷凍食品も、一家4人の食事1回で食べきるぐらいの量が入って、7〜8ドル。ぜんぜん安くない。それどころか、値段だけで言うと、日本の高級スーパーの紀ノ國屋とか成城石井とだいたい同じなのである。デフレ日本との格差がここでも痛感される。


 野菜などの生鮮食品に特化したスーパーに、スプラウツ・ファーマーズ・マーケット(Sprouts Farmers Market)がある。ここの野菜売り場はとても充実している。



 オーガニック路線で最もポピュラーな大手スーパーが、ホール・フーズ・マーケット(Whole Foods Market)。ここは値段の高さでも有名で、「Whole Paycheck」という別名を持つと聞いた。つまり、一月分の給料全部が飛んでいくほど高い、という皮肉。たしかに、何も考えずにほいほいカートに入れて会計してもらうと、100ドルぐらい簡単に超えてしまう。ただ、新鮮な魚が丸のまま(Whole)置いていたりするから、料理好きは、客を招くときなど特別な機会に使うのだそうだ。さらに、ローカルな食材に特化した店もLAには数多くあり、近所では、コーポチュニティ(Co+opportunity)というところがあった。ここの惣菜コーナーは洒落ていて、そこそこリーズナブルな値段だったので、量り売りのサラダバーなどをよく利用することになる。



 だが、私たちが一番頻繁に使うことになるのは、これらのどれでもなく、トレイダー・ジョーズ(Trader Joeʼs)というスーパーである。サンディエゴ出身のジョー・コロンビーによって創業され、南カリフォルニアを中心に、ここ十年ほどで急激に店舗数を増やしたのだという。アパート探しを手伝ってもらったKさんも、安くておいしいからと、ここをおすすめしていた。トレイダー・ジョーズは、ほかのほとんどのスーパーとちがい、自社製品を中心に棚を構成する。自分たちで開発・生産した商品をそのまま店頭に並べるので、中間マージンが発生しない。だから良い品質のものが割安で買える。たしかにここの商品は、日本のスーパーと比べてみても、割高感がほとんどない。瓶詰めなども、多くは「オーガニック」と銘打たれていて、実際、食べてみると、余計なものがあまり足されていないらしく、シンプルな味わいにほっとする。



 ここは店員さんの雰囲気もほかのスーパーとは一線を画す。食べることが好きなひとが優先して雇用されているそうで、商品について聞けば、個人的なフェイヴァリットも含め、なんでも親切に教えてくれる。Tシャツの袖からタトゥーの入った二の腕を露出させ、髪型はもちろん自由。モヒカンあり何でもありと、いかにも個性的なのだった。会計のときに「How are you doing?」の一言からいわゆるスモール・トークが始まるのは、ほかのどこのスーパーとも同じなのだが、トレイダー・ジョーズの店員さんは、それこそみんなバンドマンみたいな雰囲気で、英語に不慣れな自分たちを巧みにリラックスさせては、ちょっとひねりの効いたやりとりで楽しませてくれる(まあ、聞き取れる範囲のことだが)。たとえば、アルコールの入った商品を買うとき、年齢確認のためにパスポートを出すことになるのだけれど、そうすると、「日本から来たのかい。いつ来たの?」につづいて、「日本食は最高だよね。ジローっていう寿司職人のドキュメンタリーをこないだ見たよ。すごいねジローは」とか、「映画の研究で来たの? ウェス・アンダーソンの『犬ヶ島』見た?」とかいうふうに会話を展開してくれる。漠然と思い描いていた「西海岸ノリ」そのままという感じで、このやりとりには少なからず元気をもらうことになった。下手したら何も英語を話さず終わるところだった、というような日の夕方あたりに、店員さんとこんなふうに言葉を交わすと、ほんの少し癒やされた気分になるのだ。



 余談になるが、レジで癒やされると言えば、実家で父とこんな会話をしたことがあった。日本のスーパーの店員さんが、手を前で組んで「いらっしゃいませ」と客に一礼することが一斉に義務化され始めた時期、あそこまでしてもらわなくていいのにね、と話を振ってみたところ、父は、高齢者になるとあんなふうに丁寧におじぎをして歓迎されることは少ないからとてもありがたいと言うのだ。「うれしくて涙出っちま」(福島弁)とのことだった。私のほうはといえば泣くほどでないにせよ、なんとなく、父の気持ちの一端がわかった気もした。と同時に、日米のレジでのやりとりのちがいの大きさにも、あらためて気付かされないわけにはいかなかった。本当に知り合い同士だとか、常連ならば、日本でも親密なやりとりは起こるだろうが、匿名の客と店員のあいだで、即座にフレンドリーな会話が成立する、ということは少ないだろう。だからアメリカのレジの光景はやはり驚きだった。日本の外資系飲食店、たとえばスターバックスは、こうしたコミュニケーション様式も輸入しようと試みているわけだけれど、「調子どう?」の一言から日本の会話が始まるというわけにはいかないから、店員さんは何か別の工夫を強いられ、しばしば苦労なさっているように見える。いずれにせよ、日本のスタバのすべてのレジでも、けっして自然ではない実験が日々行われているということだろう。



 トレイダー・ジョーズに話を戻そう。ほとんどフライド・ポテトしか食べない娘に付き合って、ファスト・フード店ばかりで食事せざるをえなかった日々がだいぶ長くつづいた後、初めてここでサラダを買って、野菜をたっぷり食べたときの感動は忘れがたい。値段はそんなに安くなく、プラスチック・パックに入って4ドルぐらいはする。メキシカンとか、イタリアンとかいろいろな種類があって、順番に試してみたのだけれど、どれもびっくりするぐらいおいしかった。アメリカに着いて以来の偏った食事によって、すでに体の組成がいくばくか変わっており、その体に野菜の栄養が染み込んでいったからだろうか。ジャンルごとに数種類ずつ、重層的に使われるハーブはどれも食欲を搔き立てるし、レンティルなどの豆類とか、キヌアなどの穀類が加わるので、食べ応えもある。いわゆるドレッシングも、ちゃんと丁寧に、これという必然性のある酢と油とがチョイスされているらしいことがわかった。



 あらためて「サラダ」について調べてみると、生野菜をこのようなかたちで一度に大量に食べる習慣を世界に普及させたのはアメリカなのだという。アメリカはファスト・フード帝国である反面、極端な健康食への傾斜も持っており、ベジタリアンたちがいかにして野菜だけで食事を組み立てられるかの実験を蓄積してきた歴史を持つ。トレイダー・ジョーズの、テイクアウト商品にしてはかなり驚くべき水準のサラダもまた、このような蓄積のうえで成立したものなのだろう。



 このサラダについて、もう一つ特筆したいのは、どうやら野菜それ自体の味わいが、日本のそれと微妙に、しかしはっきりとちがうということだった。レタスもキュウリもニンジンもカブも、アメリカのほうが、味の輪郭がきりっと立っている気がする。水質のちがいのためだろうか。まさか野菜まで個人主義的に、個性を増強されていると言ったらさすがにばかげているだろうが、しかし実際、これらは存在感が強いので、野菜料理だけで一つの食事として十分に満腹になる感じがする。



 後日、LAに長く住む日本人に聞いてみると、この土地のおいしいものの筆頭は野菜と果物であると言う方が多くいた。その方たちは日本に帰って野菜を食べると、水っぽく感じられるのだそうだ。それが少し物足りなくもあるのだという。



 私もやがて日本に戻る日が来たら、同じことを感じるのだろうか。野菜が水っぽくて、少し物足りないと。そのとき日本の野菜は、同じままで、しかし、微細でも決定的に後戻りできぬしかたで、別物になっているのかもしれない。


                                        

【三浦哲哉(みうら・てつや)】

映画批評、研究。表象文化論。1976年生まれ。『サスペンス映画史』『映画とは何か フランス映画思想史』『『ハッピーアワー』論』『食べたくなる本』など。

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