【刊行記念エッセイ】『サーカスから来た執達吏』(夕木春央)
文字数 2,120文字
2019年、「絞首商会の後継人」で第60回メフィスト賞を受賞し、同年、改題した『絞首商會』でデビューした夕木春央氏。
デビュー作について、有栖川有栖氏も
「昭和・平成のミステリ技法をフル装備し、乱歩デビュー前の大正時代半ばに転生して本格探偵小説を書いたら……。そんな夢想が現実のものになったかのような極上の逸品。この作者は、令和のミステリを支える太い柱の一つになるだろう。」
と絶賛した、新進気鋭のミステリ作家です。
そんな夕木氏の待望の第2作目となる『サーカスから来た執達吏』が9月30日(木)より発売となります。
刊行を記念して、エッセイをお寄せいただきました。
大正時代を舞台とした本格ミステリを描く所以とはーー
その論理にもとづいて正しい行いをすれば幸福になる。しなければ不幸になる。しかし、幸福になりたいがために正しい行いをするのは不純だからやはり不幸になる。
幼少の私はこんな論理を検討して、(幸福になろうとすることが利己的なら、どうしてそれを売り文句みたいに説教に混ぜているのか?)ミステリのダメな探偵みたいに、多少の矛盾に目を瞑りながら、結局は納得していたものでした。
家には手作りの祭壇が置かれ、ことごとに礼拝が行われました。週に一、二度は団体の施設に通い、年に数度は修行的な合宿に参加しました。その教義は滑稽ながらも選民意識をくすぐり、子供の私は現代の社会常識から外れた死生観のもとに暮らしていました。
前提が覆ったのは十代の半ばに差し掛かったころです。もしかして、「神」やその他のものは存在しないのではないか。存在するにせよしないにせよ、自分がそれに確信を持つことはないのではないか。そんな疑いが持ち上がりました。さらに愕然としたのは、社会が私の信じていた論理とはまったく無関係に進行している事実でした。
結果、家族との関係が悪化したこともあり、進学はせず、多くの人が高校や大学に通うはずの期間を私はかわりに読書に費やして過ごすことになりました。
熱心に共感を寄せて読んだのは、大正から昭和戦後の日本の小説です。現代からそう遠くない、手を伸ばせば届くような時代でありながら、それらには現代の感覚では素直に理解しがたい常識や習俗、それに伴う苦悩が描かれています。戦前の封建的な道徳意識や、終戦直後の価値観の転換を描いた作品に私は人ごとならざる思いをしました。
また、この時代は怪奇趣味から始まった日本のミステリが徐々に論理性を獲得するに至った時代でもあります。最初に江戸川乱歩や夢野久作を愛読し、やがて戦後の横溝正史や高木彬光を読むようになった私はこの経過をおおよそ時系列どおりに辿り、当時の人びとと同じように感嘆しました。
この時期に書かれた本格ミステリの中で、私が作家的性向に大きな影響を蒙ったものに、山田風太郎の諸作があります。
「妖異金瓶梅」や「明治断頭台」に始まる多くの破戒的な作品では、大胆極まるトリックや、呆れるほどにアクロバティックなロジックが展開されます。そして、それらが単なる論理遊戯に終わらず、作者特有のニヒリスティックな人間観と相まり、作中人物が運命に翻弄されるさまに異様な迫力を与えている点が、私にとっては何より画期的に感じられました。
机上の空論でひとの運命を弄ぶという点で、ミステリの論理は神学の論理に似ています。子供の頃に、両親に教わるまま稚拙で穴だらけの神学の研究に心を砕いたことを思い出して、内心苦笑いを浮かべながら、今度はミステリの論理をあれこれ考えるようになりました。
本格ミステリは、現代に至るまで紆余曲折を経つつ進化を続け、論理性は先鋭化し、ほとんど行き着くところまで行き着いてしまったような観すらあります。
私はそれを、小説を通じて愛着を寄せた大正時代を舞台に書くことにしました。その理由の一つには、当時は本格ミステリが未発達で、この時代の風俗を取り入れたミステリが案外多くないということもあります。
そして、それがただのレトロ趣味のようなものに終わらず、私が遭遇したような、現代に存在する奇妙な理不尽に通じたものになればいいと願っています。
著:夕木春央(ゆうき・はるお)
1993年生まれ。
2019年、「絞首商会の後継人」で第60回メフィスト賞を受賞。
同年、改題した『絞首商會』でデビュー。
装丁:川名潤
装画:中島梨絵
発売日:9月30日(木)
定価:1925円(本体1750円)
怒涛の30ページに目が離せない。
関係者が一堂に会し、14年前の謎が明かされる。
メフィスト賞作家、圧巻の純粋本格ミステリー!
「あたし、まえはサーカスにいたの」
大正14年、莫大な借金を作った樺谷子爵家に晴海商事からの使いとして、
サーカス出身の少女・ユリ子が取り立てに来た。
返済には応じられないと伝えると、担保に三女の鞠子を預かり、
2人で「財宝探し」をしようと提案される。
調べていくうちに近づく、明治44年、絹川子爵家で起こった未解決事件の真相とはーー。