【『pray human』刊行記念】崔実 特別インタビュー

文字数 3,344文字

崔実さんは2016年、朝鮮学校に通う少女ジニの「革命」を描いた『ジニのパズル』で群像新人文学賞を受賞。同作は芥川賞候補にノミネートされたほか、デビュー作ながら織田作之助賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞をダブル受賞し、大きな注目を集めた。4年ぶりの第2作となる『pray human』の刊行を前に、POP王・内田剛氏が本書の魅力と創作の舞台裏に迫った。


(聞き手:POP王・内田剛 構成:編集部)

崔実(チェ・シル)

1985年生まれ。2016年「ジニのパズル」で第59回群像新人文学賞を受賞し、デビュー。同作は第155回芥川賞候補になり、第33回織田作之助賞、第67回芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した。

POP王・内田剛

幾千のPOPを描き続け王と呼ばれるようになったスゴウデ書店員。treeでも「アルパカ書評」を不定期連載中。

これは戦いの物語だ


内田  『pray human』を読みながら、これは「戦いの物語」だと思いました。主人公が17歳のとき入院していた精神病棟での日々を、10年後の現在から振り返る物語ですが、その過程で彼女はいろいろな葛藤を乗り越えていく。デビュー作『ジニのパズル』から4年間、どんな思いで書かれたのでしょうか。


  『ジニのパズル』の翌年から書き始めたんですが、途中で成人スチル病という難病にかかり、一人で起き上がれない、足も上げられない状態になってしまって。1年余りの入院治療を挟んで再び書き始め、今年2月にようやく書き上げました。


内田  書きたくても書けない時期が長かったんですね。


  はい。書きたくても書けない時期のあとは、「書きたくない」時期が続いて。最初に精神病棟の中の物語を書いていたんですが、なぜ主人公は入院することになったのか、その理由を書くところで行き詰ってしまいました。


内田  そもそもなぜ、精神病院を舞台にした作品を構想したんですか?


  元々、『ジニのパズル』に少しだけ精神病棟の場面があって、当時の編集長に、「次はこれを拡げて書いてみたら」と言われたんです。自分にとって重要なテーマだから、なんとか完成させなければ、でも書けない、書きたくない……という葛藤に苦しみました。何度もやめようと思い、周りの人に「もう小説を書くのはやめた」と宣言したんですけど、そのころ#MeToo運動が始まり、勇気をもって声を上げる人たちを見ているうちに、本当にやめていいのか?と思うようになって。自分にも解決できていないことがある。前に進むためには、どこかで向き合わなくてはいけないと感じたんです。

ソウルでの運命的な体験


  ちょうどそのころ、国際文学交流会に招待されてソウルへ行く機会があって、英語でエッセイを提出しました。その中で初めて、自分が子供のころに性的虐待を受けたことを書いたんです。交流会には世界各国から作家が参加して、私もステージの上で自分のエッセイを読んだのですが、いざとなると声が詰まって、どうしても読めなかった。そうしたら、デンマークから来ていた女性作家が「大丈夫だよ」と言って私の代わりに、エッセイを読み上げてくれたんです。聞いていた会場からも励ましのエールが上がって。


内田  そんな経験があったんですね。


  そのとき、自分はこの経験をまだ話すことはできない、でも、なんとか書くことはできた。今ならもう少し前に進めるかもしれない、と自信を持てて、もう一度書き始めました。


内田  まさに書くこと自体が、崔実さんにとって戦いだったんですね。

やさしくない人物が必要だった


内田  本作では、主人公のデビュー作が芥川賞候補になるなど、崔実さんのプロフィールと重なるところがありますね。どこまで現実の経験を投影しているのでしょうか。


  この中に私自身はいませんが、どの人物にも自分の一部は入っていると思います。創作が芥川賞候補になるという設定は、「安城さん」に再会するためのきっかけでした。かつて同じ精神病棟で過ごして、その後は一度も会ってなかった安城さんが、候補のニュースを知って出版社に連絡を入れる。そうしたら会えるかなと。


内田  そうやって8年ぶりに再会した安城さんが、わたしの過去を引き出していく。この設定がキーになっていますね。


  安城さんは、わたしがずっと沈黙してきた過去を引き出す、やさしくない人。変に同情したり、こちらに合わせて共感しようとしたりしない。わたしはそういうやさしさをアピールしない人のほうが真実は話しやすいだろうと思いました。

「沈黙」の声を聞く


内田  魅力的な登場人物がたくさんいますが、安城さんと並んで、中学生のころ親友だった「由香」がとても印象的です。由香との出会いと2人で過ごした時間は、予期せぬ別れを含めて、この物語の大きな主題になっていますね。


  中学、高校生のころ、自分で自分の不安定さには気づかなくて、周りの友だちの不安定さばかりを感じていました。死に対する憧れであったり、自傷行為だったりを繰り返す友だちを元気付けるにはどうしたらいいんだろう、と悩んでいたんですが、上手くいかなくて。それで気づいたら、自分もリストカットしていた。中高生のころって、多分みんな不安定で危うい時期ですよね。でも、もちろん暗い記憶ばかりではないです。主人公と由香のように、友だちと遊ぶときは、自分たちのやりたい放題でした。


内田  そういう思春期の危うさと鮮烈な感覚が、リアルに伝わってきます。由香と2人で、いろんな人に糸電話を渡して話してもらうシーンも印象的でした。「誰にでも繋がるとしたら、どんな話をしますか?」と言って、知らない人の話を聞く。でも話した人よりも、話さなかった人のほうが忘れられない、と書かれています。「沈黙」というキーワードが、この小説の初めから終わりまで貫いていますね。沈黙を聞き取ることが大切だと。


  私自身も、一番大切なことは沈黙してきました。ほかの人もそうだと思う。沈黙の内容を知ることは不可能でも、「何かあるな」と気づくことはできるんじゃないか。人が言葉にできない、沈黙の言葉に気づいていきたいと思います。

タイトルに込められた「祈り」


内田  タイトルは最初から決まっていたんですか?


  20歳くらいのころ、自分は「人間ごっこ」をしているんじゃないかと感じていて、当時通っていた映画学校の課題で「play human」という企画書を書いたんです。実はこの小説のタイトルも、当初は「play human」でした。でも、登場人物たちはみな、何かを祈っている。だから校了直前に「pray human」に変えたんです。


内田  そのとおりですね。皮肉なのは、精神を患っている人たちのほうが真っ当で、世間で聖職者といわれる先生や大人たちのほうがひどいことをする。この小説を読んでいると、何が正常で何が異常なのか、わからなくなります。社会の常識を裏返したい「祈り」も込められているのではないかと感じました。


  誰もが自分のいる場所から、自分の物差しで事物を追ってしまいがちですよね。右左と動き回って、それまでの常識から離れて、自分の物差しをどう越えるか、私にとっても常に課題です。

ラスト1行の光


内田  この小説は読むたびに表情が変わって、毎回新しい景色、違う世界を見せてくれます。好きな言葉、刺さるフレーズがありすぎて、書き出してみたんです。

  すごい。ありがとうございます!


内田  とくに最後のセリフ、ラスト1行について、ぜひ訊きたい。光を感じさせる、素晴らしいラストですよね。これは最初から、着地が決まっていたんですか?


  はい、このセリフは最初からあって、どうやってここにたどり着くか、考えながら書いていきました。


内田  やっぱりそうなんですね。崔実さんは『ジニのパズル』でも本作でも、他の誰もやってないことをやっている。ずっと戦っている作家だと思います。崔実さんの戦いに、これからも大いに期待しています!

★こちらの記事もおすすめ

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色