「これは殺られる!」城郭マニアの震えが止まらない最強山城。
文字数 2,067文字
※前編の「力攻め不可!『戦国最強の山城』その強さのワケを徹底分析!」もぜひお読みください。
日の本に難攻不落の山城は数あれど、月山富田城(島根県安来市)もまた、実に攻めたくなる城である。
訪れたのはもう十年以上も前だが、真夏の折、ほかに登城を試みる酔狂な輩はおらず、蝉しぐれの大音響のなか孤独に登り続けたことはいまでもよく覚えている。
北西麓に位置する歴史資料館より、深い緑におおわれた小高い山を望む。いざ登城。道は広く整備され、最初は快適なルートが続く。階段を登ると千畳平と呼ばれる削平地が広がり、槍を小脇に抱え「我に七難八苦を与えたまえ」と月に祈る山中鹿介像が待っていた。
続いて、奥書院、花ノ壇と曲輪を抜け、山中御殿へ。広大な屋敷跡を忍ばせる石垣群が広がり、復元されたものも多いが、中には苔むした古いものもあり、往時を忍ばせる(とはいえ石垣は尼子氏時代のものではなく、その後の毛利氏、堀尾氏が築いたものと思われる)。入口部分には食い違いに形成された虎口もあり、迫力ある近世城郭の趣も楽しめる。
その先はいよいよ山上部。この城のハイライトともいえる急傾斜の山道を一気に駆け上がる。しかしこれが、七曲りの名のとおり、幾重にも折れ曲がり、山頂がやけに遠くに感じる。横矢を掛けられたらひとたまりもない。
登城/攻城の醍醐味は、城の機能美によって‟殺られる”イメージが降ってくるところにある。息も絶え絶えに七曲りを抜けると、もう一つの要塞がそびえるよう、野面に積まれた段々の石垣が行く手を阻む。三ノ丸、二ノ丸の石垣である。二ノ丸からの眺望はよく、登り口以外は急峻な崖。三方を山が囲い、西方には川が流れる天然の要害であることが見て取れる。
目指す本丸は目と鼻の先だが、二ノ丸から本丸へ渡るルートには深さ十メートルほどの大堀切があり、さらに遠回りを強いられる。最後まで考え抜かれた構造だ。本丸は奥に向かって長い作りとなっており、最奥部には城の守り神だという勝日高守神社が鎮座する。月山富田城は力攻めで落とされた記録はなく、ここまで攻め入った者はいないだろうと、一人ほくそ笑むのだった。
永禄九年(一五六六)、月山富田城は長年抗争を続けた毛利氏に一年半以上包囲された末、ついに尼子氏は降伏する。大軍を擁する毛利が兵糧攻めを選択したのもむべなるかな。
月山富田城は、麓からの高さが160mほどの月山に築かれた、東西1㎞、南北1㎞に及ぶ巨大な山城。多数の曲輪を配した複郭式山城に分類される。月山の西側には飯梨川の流れがあり、南東方向以外は急斜面で、天然の要害となっている。山の中腹に千畳平や山中御殿があり、山頂部に主郭部がある。三つの登城口はすべて山中御殿に通じているが、そこに至るには谷筋を行かねばならず、頭上の尾根には複数の曲輪が設けられている。土塁、石垣、虎口を破って山中御殿に至っても、さらに「七曲り」と言われる九十九折れの急な山道を登らなければ山頂の主郭部にはたどり着けない。
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