山岡荘八『徳川家康』/家康名言集②

文字数 1,299文字

 山岡荘八『徳川家康』は、その刊行前と後で日本人の「徳川家康像」を変えた…といわれる名著。家康のそれまでのイメージ「狸爺」が「経営者としてふさわしい歴史上の人物」に変わったと言われています。また山岡荘八は、ライフワークと言えるこの作品で、第11回中部日本文化賞、第2回長谷川伸賞、第2回吉川英治文学賞を受賞しています。

 新聞連載足かけ18年間4700回(!)、全26巻、累計6300万部(2022年12月現在)という数字だけを見ても、その桁外れのすごさがわかるというもの(ちなみにあの『転生したらスライムだった件』が現在累計約3000万部です)。


 そんな家康本の最高峰『徳川家康』より、家康の名言を厳選した名言集をお届け!

●「どんな場合にも愚痴は云うべきものではない……」

それが上に立つ者の第一の心得。

                       (第22巻「百雷落つるの巻」―陰謀以上)



●人間は自説を吐くのもほどほどにしておかぬと、そのため抜きさしならぬ窮地に立たされることがよくある。

                       (第17巻「軍荼利の巻」―颱風の眼)



●人間同志の誤解というのは、何時も臆病な遠慮かた生れてくる。たとえはじめは衝突し合うても、それを恐れず話合うところに、はじめて理解の光は射しかけるのである。

                       (第19巻「泰平胎動の巻」―桜の乱行)



●理想は、時々現実を、より悲惨な片側道へ追いやることがあるものだ。

                       (第8巻「心火の巻」―伊賀の竜巻)



●武器はどこまでも使うものであって、使われるものではない。

                       (第4巻「葦かびの巻」―利刀能刀)



●一にも用意、二にも用意じゃ。用意があれば相手は筒口を向けては来ぬ。

                       (第26巻「立命往生の巻」―鷹野の虎)



●強いと思う心は戦に禁物。それを臆病風と云う。

                       (第10巻「無相門の巻」―防風林)



●「――勝つことばかりを知って、負くることを知らざれば禍その身に至る」

                      (第25巻「孤城落月の巻」―次なる破線)


山岡荘八 (1907~1978) 

明治40年(1907年)1月11日、新潟県小出町に生まれる。本名・山本庄蔵、のちに結婚し藤野姓に。高等小学校を中退して上京、通信官史養成所に学んだ。17歳で印刷製本業を始め、昭和8年(1933年)「大衆倶楽部」を創刊し編集長に。山岡荘八の筆名は同誌に発表した作品からである。13年、時代小説「約束」がサンデー毎日大衆文芸賞に入選、傾倒していた長谷川伸の新鷹会に加わった。太平洋戦争中は従軍作家として各戦線を転戦。戦後、17年の歳月を費やした大河小説『徳川家康』は、空前の”家康ブーム”をまきおこした。以来、歴史小説を中心に幅広い活躍をしめし、53年(1978年)9月30日没した。

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