「福井の天才」が志した「世界文学としての本格ミステリ」 孔田多紀

文字数 1,742文字

『殊能将之未発表短篇集』文庫版刊行に寄せて

 20年ほど昔(2000年頃)、まだSNSが流行る前、ミステリ作家には独自の公式サイトを運営している方が多かった。中でも殊能センセーの「mercy snow」(2012年閉鎖)は、その更新速度・情報量ともに断トツでしたね。

 

 英仏のミステリやSFを原書で紹介する「reading」の項(没後に『殊能将之読書日記』として刊行)はもちろん、それに10倍する小説やらテレビやら音楽やら料理やらの日々の情報のゴッタ煮たるウェブ日記「memo」の項は当時、インターネットにさえ触れ始めたばかりの田舎の少年たる私にとって、世界に開かれた窓そのものでした。


 2020年に一愛読者として墓参する機会があったのですが、その時の驚いたこと! 私自身の故郷のなんともいいようのない何もなさについては人後に落ちないつもりでしたが、センセーの生まれ育ち、そして最期を迎えられた、その福井の風景は、私にとって、初めて見るのにだいぶ馴染み深いものでした。(ここからあの膨大な量の言葉が生まれていたんだな……)と思うと、不思議な気持ちになったものです。


 単純に(文章がうまくて、面白いミステリだな)ぐらいに思っていたセンセーの小説をじっくり再読し始めたのは、亡くなられた2013年のこと。それから何度も作品を読み返すうち、以前には理解できなかった謎や仕掛け、秘密の理路が作中の至るところに鏤(ちりば)められていることに気づき、驚嘆することになりました。


 筆名にも取られた古代中国ないしギリシア以来の詩論や、エドガー・アラン・ポー以来のミステリとSFというジャンル・フィクションの伝統、さらにはアビ・ヴァールブルグとその研究所が20世紀に再編して以来の人文知の系譜、などが作中で多様なネットワークを結んでおり、それらがジョイスあるいはディレイニー以来の神話作法により、複雑なレイヤーで構成されていることを実感したのです。


 ゲーテ『ファウスト』と『ハサミ男』、T・S・エリオット『荒地』と『美濃牛』、フォークナー『響きと怒り』と『鏡の中は日曜日』など、いくつかの先行するサブテクスト(それらはしばしば巻末の参考文献に挙げられていない)と小説本篇をいま読み合わせると、より多くの意味が増幅されることがわかるはずです。


 2016年に突如刊行された『殊能将之未発表短篇集』所収の「鬼ごっこ」を初めて読んだとき、江戸時代に長崎からオランダへの密航、という話題がラストで持ち出され、思わず笑い、それから深い気持ちに打たれました。


「おれも海外に行けるものなら行きたい。日本にいたら必ずつかまるからな」(……)

「オランダが大国だったのは、おまえが長崎にいたころの話だ」(……)

「それでも一度行ってみたいんだ」


 大げさにいえば、この最終2ページに、殊能作品のすべてのエッセンスが凝縮されている、のかもしれません。


 かつて10代のころ「福井の天才」(by石原藤夫)としてSF界に登場し、のちに「新本格」に連なるミステリを書き始めた殊能センセーが、どのような問題意識によって「世界文学としての本格ミステリ」を考え、書こうとしたのか。それは局所的なジャンルをより普遍的な営みへと開こうとする試みであり、その思考の航跡からは、いまだ継承すべきものがある、と、私には思えてならないのです。


文:孔田多紀(あなた・たき)

1986年生まれ。本格ミステリ作家クラブ会員。学生時代は同志社ミステリ研究会に所属。2019年、「蘇部健一は何を隠しているのか?」でメフィスト評論賞円堂賞受賞。個人サークル「立ち読み会」を主宰し同人誌「立ち読み会会報誌」で殊能将之特集を二号刊行。その他、雑誌・ウェブ媒体へミステリ関連記事を寄稿

TBCN (hatenablog.com)

『殊能将之 未発表短篇集』殊能将之/著

著者の没後に発見された短篇と「ハサミ男の秘密の日記」を収録。待望の文庫化。


殊能将之(しゅのう・まさゆき)

1964年、福井県生まれ。名古屋大学理学部中退。1999年、『ハサミ男』で第13回メフィスト賞を受賞しデビュー。著書に『美濃牛』『黒い仏』『鏡の中は日曜日』『キマイラの新しい城』『子どもの王様』などがある。 

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