朝井まかて・爆発 「北原亞以子」

エピソード文字数 2,130文字




 北原亞以子さんの、お墓詣りに行きませんか。

 講談社の編集者であるK林氏は自ら誘ったにもかかわらず、まんまと道に迷った。冷たい小雨が降っては止む中を探し歩き、ようやく辿り着いた。

 江戸っ子の北原さんらしく、東京でも由緒のあるお寺のようだ。私は傘をたたんで花を供え、手を合わせた。

 北原さんとは初めての対面だ。私がデビューした数年後に亡くなって、お目にかかる機会を得なかった。しかし担当編集者さんに〈北原番〉であった人が多く、K林氏もその一人だ。

 むろん作品は読んでいた。私が最も敬愛しているのは「爆発」で、『江戸風狂伝』という短編集に収められている。主人公はあの平賀源内、エレキテルを製作した奇才で戯作者でもある。植物好きの私としては本草学者という横顔にも惹かれるが、やはり最も興味深いのは門人を殺めて最期は獄死したことだ。「爆発」はまさにその殺害動機に迫っている作品で、何度読んでも唸ってしまう。史料を渉猟した成果というよりも、これぞ創作のなせる業、小説の本分だと憧れる。

 しかもこの作品には、とても好きな場面がある。源内がふと、いやな臭いに気づくのだ。昨夜、大根を煮た鍋を小女が洗うのを忘れたらしいと源内は察する。

 そう、大根の煮〆はとても美味しいが、後が臭う。美食家で知られた北原さんだが、執筆に追われるさなかでも台所に立っておられたのだろう。コトコトと大根を煮ながら、鼻を曲げる源内の顔が過ぎったのかもしれない。

 私が墓前から立ち上がって脇に寄ると、K林氏は鞄からビニール袋を取り出した。

「何です?」「コロッケですよ」

 それは見ればわかる。コロッケのお供えに少し驚いて訊いたのだったが、本人は自慢げな口ぶりだ。

「揚げ物が唯一、歓んでもらえたんですよねえ」

 北原さんを招いての会食は、各社も苦心惨憺であったらしい。お店選びを間違うと「こんなものを食べさせるなんて」と大爆発、平身低頭でお詫びしたという話は一度ならず耳にしていた。しかもK林氏のセンス、その勘どころの外し方は私もよく知っていたので、気に入ってもらえたとは珍しい、よほど嬉しかったのだろう。なにせ、食事に限ったことではない。

 私が『恋歌』という作品を書くために初めて水戸へ取材に行った時のこと、お世話になったのが地元の古書店のご主人だ。以前、北原さんが水戸を訪れた際に案内し、史料を整えるにも尽力されたという。その縁をK林氏は頼ったらしく、私も有難かった。車で方々を巡る最中も、北原さんの話題は尽きない。

「笑顔が素敵な人でねえ。人情家で、でもピシッと筋目の通った、江戸前な方でした」

 小説に限らず、随筆から受けていた印象の通りだった。しかも写真から想像するに、さぞ粋でお洒落な人だっただろう。

 K林氏も感慨深いものがあるらしく、しみじみとしている。

「土地鑑がないから、ホテルをおさえるのも難儀したなあ。で、名前で決め打ちして予約したのが」と、窓外を指さした。川沿いに突如、建物が屹立している。赤と緑の電飾看板は英字ロゴで、ご丁寧にもパームツリーが点滅だ。周りは田圃なのに。

「なかなか、個性的な」
「はあ。身の縮む思いでした」

 K林氏はこれまた嬉しそうに笑う。私のデビュー以来の担当さんだが、この人、ほんまに大丈夫かと心配になったものだ。

 だがコロッケを供えた後は、神妙に手を合わせている。お寺の多い界隈で夕暮れも近いので静かだ。鳥も鳴かない。肩先から眼鏡も濡れているのに一心に拝んでいる。その姿を見つつ、少し胸が熱くなった。呶鳴りつけられてもこれほど慕う間柄と、北原さんの人柄を想った。

 しんとして墓地を出れば、K林氏の面持ちが妙だ。この寒空の下で、何となく上気している。勢い込んでいるようにも見える。「あ」と、気がついた。くだんの『恋歌』が直木賞の候補に選ばれていて、選考会を間近に控えている。まさかと思いつつ訊ねれば、「はい、しっかりお願いしときましたよォ」

 お墓詣りで世俗の願いを託すものではないと言ったが、「そうなんですか」とどこ吹く風だ。この場に北原さんがいたらまた爆発されるだろうと、私も可笑しくなって噴き出した。

 そういえば他の編集者さんたちも、それは懐かしそうに目を細めて語る。

 校閲さんが記した疑問点を「辞典を鵜呑みにしないでください、私はこの辺りに住んでたんです」と撃退した話も勇ましいし、ゲラを見るたび手を入れて一段落まるごと変更するなど当たり前、朱書きが赤色だけでは足りずに七色あった。しかも手書きで綿密に書き直してあるのに、元の行数にぴたりと着地したという。心底、小説を書くことに向き合い、そういう「手」を持つ人だったのだ。皆、それを知っていた。北原さんの爆発伝説を集めたら、一冊刊行できるに違いない。

 こんなにいつまでも皆が楽しめるのなら爆発もよいものだと、少し気持ちが動いたりする。でも私の場合、振り返ったら誰もいないんだろうなあ。

「小説現代特別編集二〇一九年五月号」より

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