「走れ茜色」全文公開(1/3)
文字数 8,273文字
その最新作『春のほとりで』がついに発売!
学校の片隅で紡がれる、青とも春とも限らない日々を描いた連作短編集です。
発売を記念して、収録されている6篇のうちの1篇、「走れ茜色」を全文公開!
夏の終わるいま、一番読みたい短編をどうぞお楽しみください!
秋津が走っている。
九月も半ばともなると陽が落ちるのがだいぶ早くなって、教室に誰もいなくなる頃には空は赤くなり始めている。グラウンドを転がる野球部の白いユニフォームが夕暮れの光を吸って、茜色に染まる。窓際の席からその姿を見下ろす。秋津の姿は二階の教室からでも分かりやすい。坊主や五分刈りの部員の中で、一人だけ黒髪を振り乱しているからだ。校庭の砂を踏み潰す長い影が秋津の真似をしている。
その姿を目で追う。二塁から三塁のベースへと走っている。この角度からは彼の後頭部しか見えず、どんな表情をしているんだろうと想像を巡らせる。
教室には俺以外誰もいない。廊下からは時折騒がしい声が聞こえてくるが、この空間はまるでそこだけ断絶しているかのように静かだ。日中の喧騒が噓のような静寂に、居残るようになり始めた頃は何となく落ち着かなかったけれど、今ではもう慣れてしまった。
がらっと音がして、教室のドアが開いた。俺は慌てて窓から顔を逸らし、開いていた小説に視線を落とす。大きく開いたカーテンは西日を遮る役目を全くせず、橙の光が本を照らしていた。一体どの辺りまで読み進めていたっけ。ページをめくって物語を遡る。
「あ、佐倉くんがいる」
入ってきたその誰かが呟く。俺はちらりとその声の主を見遣る。同じクラスの新藤梓だ。彼女はもう俺への関心はなくしたようで、自分の机の中を何やら漁っている。俺はまた小説を読み始める。
しばらくして、またがらりとドアが開く音がする。新藤が教室を出て行ったようだ。ドアは開け放たれたままで、俺は本を開いた状態で伏せると、立ち上がってドアを閉めに行く。廊下の窓は東側を向いているせいか、なんとなく薄暗い。
ドアを閉めると、自分の席に戻る。首をこきりと回しながら、黒板の上の時計を見上げた。まだ部活が終わるには早い時間だ。窓の外を見下ろすと、秋津の姿は見えなかった。俺は伏せていた小説を手に取り、また読み始める。
橙色だった空が、薄闇に変化し始めた頃だった。ズボンのポケットに入れていたスマホが振動した。引っ張り出してホームボタンを押し、画面を確認する。
『終わった』
秋津悠馬とフルネームが書かれた名前の横に、そのメッセージが躍る。俺は本を鞄に入れると、肩にかけ立ち上がった。窓の外は薄暗く、ガラスに自分の顔が反射している。あまり好きではない自分の顔だ。指で前髪を整えると、カーテンを寄せて窓を隠す。
下駄箱のところで、だるそうに壁に背を預けながら、スマホをいじっている秋津の姿を想像する。そして俺が声をかけると、画面から目を逸らさず「おう」と答えて、そのまま俺の顔を見ることなく歩き出す。いつものことだ。
俺は、教室のドアを開ける。
「きりーつ、礼」
日直が合図をする。担任の冬木先生が教壇から降りると、教室はわっと騒がしくなる。あー、今日部活まじだりー。ねえねえ、カラオケ行こうよ。図書室で一緒に宿題してかない? ざわざわと会話を繰り広げながら、一人、また一人と教室からクラスメイトたちは消えていく。窓際の席でじっと座ったまま本を読む俺を、気にかける人は誰もいない。やがて俺しかいなくなると、教室は急に静けさに包まれる。
今日はグラウンドに秋津の姿はあまり見えない。目を戻して本のページをめくる。物語に没頭するふりをしてみても、頭のどこかで時間を意識している。気付くと黒板の上の時計に何度も目をやってしまっている。そして、窓の外。秋津はいない。もう一度本に視線を落とす。
がらっと音がした。誰かが教室に入ってくる気配がする。思わず体が強張るが、本から顔は上げない。放課後の遅い時間でも、たまにこうやって教室に戻ってくるやつがいる。大抵はちらりと俺を一瞥すると自分の用事を済ませて帰っていく。
けれどそいつは俺の方へずかずかと歩いてくる。本越しに紺色のセーラー服のスカートが視界に入ってくる。俺はつい、顔を上げてしまう。新藤梓がそこに立っていた。
「佐倉くん、まだ帰ってなかったんだ」
「まあね」
短く返事をし、すぐにまた本に目を向ける。けれど新藤がそこを離れる気配はない。
「なんかこの前も一人で本読んでなかった? 誰か待ってるの?」
精一杯拒絶を示したつもりだったのに、気付いているのかいないのか、さらに話しかけてくる。返事をしないでいると、俺と向かい合う形で前の椅子に座ってきた。本越しに新藤の姿が見える。背もたれを両脚で挟み、その頭の部分で腕を組み頰杖をついている。新藤とは同じクラスというだけで、話した記憶すらない。けれど彼女は気安げに言葉を重ねてくる。
「佐倉くんて帰宅部だったっけ? なんも部活してないの?」
「今はね」
結局根負けするような形で質問に答えてしまう。無視して本に集中できるほどの思いきりは俺にはなかった。
「今はってことは、前はなんかやってたの?」
「野球部」
「えーかっこいいじゃん。なんでやめちゃったの?」
「まあいろいろあって」
ふーん、と質問しておきながら無関心な吐息が返ってくる。目に入れないようにしても、視界の端にちらちらと鎖骨辺りまで伸びた髪が映って鬱陶しい。
「私も一緒にここで待ってよっかな」
「えっ」
思わず顔を見る。窓の外をじっと見つめている。白い鼻梁が夕陽に染まっていた。新藤はうちのクラスの中でも、所謂上位のグループにいる一人だ。髪を派手な色に染めたりスカートをやたらと短くするような集団ではなく、それなりに顔面レベルが高く、比較的温和で、男女分け隔てなく接し、誰からも好かれるようなタイプが多い。新藤梓もその例に漏れず、確かに可愛い顔をしているなとは思う。さらさらの髪も白い肌もきっと毎日積み重ねた努力で手に入れているのだろう。
それでもその美しさは俺には一切関係がない。放課後にわいわいと連れ立ってファミレスやゲーセンに向かう集団に入りたいと思ったことは一度もなかった。決して人気者ではなく、疎まれているわけでもなく、ただ目立たぬよう、けれど円滑に学校生活が送れるよう、それなりの位置でそれなりに過ごしてきた。
「なんで」
新藤の唐突な言葉に思わず問いかける。しかし彼女は何も答えず、校庭を見下ろしている。
「おーみんな部活頑張ってるねー。お、野球部もいるじゃん。走ってる走ってる」
わざとらしく大きく溜息をついて、視線を本に戻す。それに臆する様子もなく、彼女は俺の目の前から消えようとしない。特等席を奪われた気分だ。窓の外に目を向けられない。今、そっちを見たらその意味を気付かれてしまいそうだった。
「佐倉くんさあ、野球ってイメージじゃないよね。なんていうか、卓球っぽい感じ?」
絶対褒めてないだろ、それ。
「私もさー、初めは演劇部入ってたんだけど。なんかやっぱお芝居とかってかっこいいじゃん? だけどさぁ、いつまで経っても演技できないの。ずーっと発声練習ばっかり。喉は嗄れるし先輩は厳しいし、全然行かなくなっちゃった」
勝手に仲間意識抱くな。同じだねみたいな感じで言うな。
「でも実際さ、家帰ってもやることなくない? 仲良い子みんな部活してるからさ、そうなると寄り道もできないで家直行なわけ。そしたらもう暇だよねー。漫画読むくらいしかやることないもん」
「あのさ」
一人で喋り続けている新藤を制する。新藤がゆっくりとこちらを向く。真ん中で分けた長い髪が数本頰に貼り付いていて、それを小指で絡めて戻している。
「新藤さん帰んないの?」
にこっと笑う。カメラを向けられたときに作るような人工的な笑みで、自分の武器を理解している人の笑い方だ、と思った。
「うんー、まだ帰らない」
「誰か待ってんの?」
「いや、そういうわけじゃないんだけどさ」
「じゃあ早く帰ればいいのに」
「色々あるんですよ、私にもさ」
なんちゃって、とおどけてみせる。馬鹿馬鹿しくなってまた溜息をついてみせて、本のページをめくる。
「何読んでんの?」
覗きこもうとしてくるのを体をよじって阻止しようとするが、新藤がそれよりも強引に身を乗り出してくる。ふわりと甘い香りがして、女の子って本当にいい匂いがするんだな、と思う。根負けしてタイトルと作者を言うと、知らないそれーとなぜか不満げな声を出す。なら訊くなよ、と吐き捨てるように返す。
「佐倉くん、小説好きなんだね。私、読むの漫画とかばっかりだから尊敬する」
別に、元々好きというわけではなかった。時間を潰す手段として、小説を読むことを選ぶようになっただけだ。
「で、佐倉くんは誰待ってるの?」
本にはすでに興味をなくした様子で、俺の机に空いた穴をいじりながら訊いてくる。俺が答えないでいると、読んでいる本を摑んで揺さぶってくる。
「うるさいなあ、なんだよ」
「あ、今日いち大きい声。さっきからぼそぼそしゃべるんだもん佐倉くん」
「べつに、ここで時間潰す必要ないだろ。図書室にでも行けよ」
「それ、ブーメランですけどー? 佐倉くんだってここで待つ必要ないじゃーん」
にやにやと笑いながら指を差してくる。今日何度目か分からない溜息が出る。この女に振り回されるのは癪だが、仕方ない。読んでいた本にしおりを挟み鞄にしまう。
「あれ、帰るの」
無視して、鞄を摑み立ち上がろうとすると、新藤に鞄の紐を強く引っ張られた。思いっきり引っ張り返してやろうかと思うが、やはり躊躇があって手に力が入らない。できるだけ不機嫌に聞こえるよう、離してよ、と目を見ず言う。
「佐倉くんが待ってるの、好きな人なんでしょ」
思わず顔を見る。やはり作られたような綺麗な顔で、新藤は笑った。
「秋津悠馬、でしょ。待ってるの」
新藤が鞄を離す。俺の手からはすっかり力が抜けていて、存外大きな音を立てて鞄が床に落ちた。否定しなければ。一瞬で冷え切った体の中で脳だけが鈍く回転する。口の中はじっとりと粘ついて、うまく言葉が出てこない。
「何言ってんの、お前」
掠れた声は自分でも肯定にしか聞こえなかった。耳の後ろから冷たい汗が垂れて、首筋に流れる。新藤は何も言わず、じっと俺を見つめていた。彼女の大きな瞳に、俺の姿が映る。
ポケットの中でスマホが振動した。感覚の鈍い手で取り出す。
『終わった』
ロック画面にラインの通知が浮かぶ。窓の外を見た。夕方から夜になりかけた空の下で、秋津が歩いているのが見える。新藤もそれに倣うように、窓の外を見下ろす。
俺は床に転がっていた鞄を摑むと、逃げるように教室を飛び出した。出るときちらりと新藤の姿を見る。変わらず、頰杖をついて窓の外をじっと眺めていた。
翌日。俺は暗澹たる気持ちで学校へ向かった。
最悪の想定が頭の中で渦巻く。教室のドアを開けた途端、浴びせかけられる視線。部屋の隅で起こる嘲笑と陰口。そして、侮蔑の眼差しを寄越してくる秋津。そして吐き捨てる。ありえねえ、きもちわりいんだけど。
そんな悪い想像が心を蝕んでくる。いっそのこと休んでしまおうかとも思った。けれど自分の知らないところで、どんどんと噂が大きくなっていくことは耐えがたかった。こみ上げてくる吐き気をこらえ、俺は教室のドアを開けた。
教室はざわめきで溢れている。ドアの傍に立っていた女子が、ちらりと俺の方を見て、そしてすぐにまた話に興じ始めた。おそるおそる、クラスメイトたちの塊を縫って窓際の席へ向かう。誰も俺に、奇異や好奇の視線を向ける者はいなかった。まだ緊張の残る体で椅子に座る。
隣の席の女子が、おはよーと声をかけてくる。おはよう、と俺も返す。後ろの席の男子がシャーペンで俺の背をつつく。なあ佐倉、今日の数学の宿題ってやった? よかったら写させてくんねえ?
いつもと変わらない朝だ。後ろの席にノートを渡しながら、隅の方で話す秋津の姿をちらりと見る。同じ野球部の男子と談笑をしていたが、俺の視線に気付くと、にこりともせず右手を上げた。俺はどきりとして、同じように右手を上げる。そのときにはもう俺への関心を失くし、誰かの冗談で笑い声を上げていた。
おはよー梓! 誰かの声がする。思わずドアの方を振り向く。そこには新藤梓が、長い髪を手櫛で整えながら笑っていた。俺の方には一瞥すらくれようとしない。釈然としない気持ちのまま、俺は息を吐くと背もたれに体を預けた。
そして、放課後になる。いつものように本を読んでいると、またがらりとドアが開く音がした。新藤だった。視線がかちりと合う。「よっ」と小さく右手を上げて、俺の方へと向かってきた。
「おっ、今日も本読んでる。昨日の続き?」
それには答えずに、「誰にも言わなかったんだ」と呟くように言ってみる。
「何を?」
白々しく訊き返してくる。俺のことだよ、と言葉を濁すと、あーあれね、とわざとらしく頷いている。
「言うわけないじゃん。だって、別に言いふらしても楽しくないし」
あっけらかんと返される。今時珍しくもなんともないしね、と付け加えられた言葉に、喜んでいいのかどうか自分でも分からない。体を窓側に向けて前の席に座り、上半身だけこちらに傾ける。俺は本を伏せた。
「いつから気付いてた? 俺のこと」
「えー、いつだろ」
うーん、と唸りながら、芝居がかった動きで腕を組む。
「まあでも、すぐに分かったよ。佐倉くん、あきゆーのことが好きなんだなって」
あきゆー。秋津のあだ名だ。秋津悠馬であきゆー。誰が言い出したかは知らないが、安直なそのあだ名はいつの間にかクラスで広まって、特に親しくない人からも秋津はその呼び方で呼ばれている。このクラスで彼を苗字で呼んでいるのは、きっと俺だけだ。そんなくだらないことで特別感を得た気でいる。
それでもそういった気持ちがもしかしたら滲み出てしまっていたのかもしれない。頰をさする。手のひらが少しざらついた。そろそろ髭を剃らなければ。それを見て、新藤が俺の目の前でひらひらと手を振る。
「あのね、多分私以外は気付いてないから、大丈夫だよ」
え、そうなの、とかさついた声が出た。
「うん。私も、あきゆーのこと好きだから」
その突然の告白に、俺は言葉を詰まらせる。新藤が視線を逸らして、窓の外へ向けた。つられて校庭を見下ろす。橙が強くなってきた太陽の下で、秋津が走っている。
「同じだから、なんとなく気付いちゃった。あ、たぶん佐倉くんも、私と同じ人が好きなんだろうなって。きっとここで待ってるのは、あきゆーのことなんだろうなぁって」
何と返していいか分からなかった。黙っていると、更に新藤は続ける。
「だから、他の人は多分気付いてないから大丈夫だよ。もちろん、言いふらすつもりもないし」
そっか、と気の抜けた返事をする。できれば、誰にも知られずに生きていきたかった。一生誰かと繫がることがなくても平気だ。ただ静かに遠くから眺めて、一緒に歩けるだけで、それでいい。この欲望をひっそりと抱えたまま死んでいきたい。親にも友人にも知られてはならない。特に、秋津には。
けれど、よりにもよってこの女に知られてしまうとは。もう一度頰をさする。
「ねえねえ、いつから男の人のこと好きなの?」
好奇心が隠しきれない様子で身を乗り出してくる。うんざりする。こういうのがあるから嫌だったんだ。まるで物珍しいおもちゃのように面白がられる。
「知らないよ、いつの間にかだよ」
「あきゆーに出会って本当の自分を知った、みたいな感じじゃないんだ?」
「違う。中学の頃にはもう自分がそうだって気付いてた」
体育の授業の着替えのとき、同級生の裸にドキドキしていた。股間を揉み合うじゃれ合いにも、どうにも意識してしまって参加することができなかった。初めて好きになったのは中学校の若い男性教師だった。もちろん思いを告げることなんてできず、気持ちを閉じ込めたまま卒業した。
「でもさあ、最近普通のドラマとか映画でも結構そういう人たちテーマになったりするじゃん? だからそんな躍起になって隠さなくてもーって私は思っちゃうんだけど」
「ドラマとかでやってるほど男同士って綺麗なもんじゃないよ。誰にも言えないような恋愛だからって純粋だなんてありえないから」
ゆっくりと口にしながら、まるで懺悔のようだと思った。一体何度頭の中で、秋津にひどいことをしてきただろうか。いつも欲望の吐き出す先は自責に直結していた。好きだと思っている相手を妄想で汚す罪悪感。
「まあでも、それは男と女だっておんなじじゃない? もうね、友達の話とか聞くとね、びっくりするくらいどろっどろなんだから」
どろっどろ、と言いながら空中で両手をこねくり回すような動きをする。その仕草と険しい表情がなんだかおかしくて、つい「ふっ」と噴き出してしまう。
「あっ、なに笑ってんの」
「いや、べつに」
「そんな悠長に構えてるけどねー、私と佐倉くんはライバルなんだからね?」
ライバル、とその言葉をぼんやりと復唱する。新藤はにやりと笑うと、スカートのポケットからスマホを取り出した。
「私なんてねー、あきゆーとライン交換しちゃってるんだから。もうね、しつこいくらい何度も交換お願いしたんだから」
ほらほら、とラインの画面を見せながら、アキという名前を指差す。結構まめに返事くれるんだからー、とはしゃいだ様子でスマホを揺らす。やたらと大きい新藤の吹き出しに対して、相手のそれは簡素だった。にこにこと嬉しそうに笑うその顔が滑稽で、鼻で笑ってやりたくなる。
「俺だってラインくらい交換してるよ」
「馬鹿だなー、あきゆーが女子とライン全然交換しないの知らないのー?」
そんなこと、当然知っている。雑な口調と粗野な態度で隠されているが、秋津は本当は整った顔をしている。それでも彼は自分に向けられた声や視線をすべてはねのける。俺のように異性に興味がないというわけではなく、もっと単純にそういったことを忌避しているように見えた。
「意外とさぁ、あきゆーって頭いいんだよねえ。なんか全然知らないような四字熟語とか急に言ってきたりしてさ。勉強になるっていうか。そういうギャップってさー、なんかぐっとくるよねー。野球一筋っぽいのに実は! みたいなさー」
嬉しそうに語る新藤に、俺は思わず返す。
「帰って秋津とラインしてりゃいいじゃん。俺と話なんてしてないで」
「えー。私と話すのいや?」
率直に尋ねられて、べつにいやではないけど、と口ごもる。異性と二人で並んで話すことにどうにも慣れない。小学生の頃はむしろ女の子とばかり仲良くしていたが、中学に上がると遊ぶことがなくなり、やがて話すこともなくなった。
「私、恋バナしたかったんだよねー」
「恋バナ?」
「ほら、あきゆー人気ないからさ。私があきゆー好きって言ったら、みんなあんな男やめときなよーとか言い出すからさ。鬱陶しいわけ。私としては、あきゆーがどれだけ好きかを語りたいだけなのにさ。アドバイスなんて求めてないのに、まったく」
だからね、と続ける。
「私、めっちゃ嬉しかったわけ。佐倉くんがもしかしたらあきゆーのこと、好きなのかもしれないって知ったとき。恋バナできるじゃんって。初めて、好きな人を好きだって思いっきり言えるじゃーん、って思って」
何言ってんだよ、と口を開きかけて閉じる。どんなに言葉を尽くしたところで分かってはもらえないだろう。俺が隠していかなければいけない思いと、君のそれはのしかかるものが全く違うということを。
ズボンの中でスマホが震えて、取り出して確認する。新藤が「王子様?」とにやにやと揶揄してくる。
「うん。帰るわ」
いいなあ、じゃあねー、と新藤が手を振る。鞄に本をしまいながら、「新藤さんはまだ帰んないの」と訊いてみる。
「んー、私はもうちょっといるー」
「一応女子なんだから、あんまり暗くならないうちに帰れよ」
「えー、なに優しいー。どきっとしちゃう」
はいはい、とあしらって手を振る。新藤も手を振り返してくる。ドアを開けると、廊下はいつものように暗く陰り始めていた。そういえば今日は、あんまり窓の外を見なかったな、とそのとき初めて気付いた。