今こそ、戦争を考える~令和の大学生が読んだ『総員玉砕せよ!』
文字数 2,981文字
私は日本近代史を専攻し、幕末期や明治期を中心に勉強している大学生だ。最近は主に幕末期のくずし字と戦っているが、一向に進まない。そんな自分にとって、昭和の戦中期はあまり親しみがないが、授業の課題の中で、戦時中の日記を時々読んでいる。
今まで読んだことのある史料は、一市民の記したものが多い。本土に残った学生、あるいは疎開した子供など、遠く離れた戦地に行った人と比べ、本土に残った人のほうが、その当時書き記したものが残りやすい。そのなかでも戦地にいくことのなかった若者の日記では、自分が国のため天皇のために何もなせなかったことを恥じ、苦しんでいた。あるいは自身は戦場に行っていないにもかかわらず、捕虜になるぐらいなら死ぬべきだ、一億総玉砕だと、当然のように当時の高潔な理想を書き記している日記もあった。
だから私は少なくとも戦争に行った人々は、みんな「一億総玉砕」を信じているのだと思っていた。しかし、この水木しげる氏の『総員玉砕せよ!』を読んで、当然ながら死ぬのは誰だって怖く、国のためなどといわれようと、やはり喜んで死ぬことなどできるわけはないのだと思った。
「生き残って捕虜になることは恥」という思考が、当時の日本の軍人のなかには存在していたのはたしかだ。まわりが戦いの中で死んでいく中、自分だけ生き残るぐらいなら自害するというのはわからないでもない。今作『総員玉砕せよ!』のなかのほとんどの軍人たちは、戦況をみた冷静な判断を下しているようにみえる。ただひとり、田所支隊長だけが理解しがたい論理の中に生きている。
田所支隊長は、出番は多くないながら、玉砕の命令を出した重要な人物である。まず彼は、楠木正成の名を出して「死に場所を得たい」「全員玉砕した方が死にがいがある」という。生き残るということを全く考えていない。死ぬのが当然、死んで一流と思っているのかもしれない。そんな田所は隊の玉砕を決め、反発する中隊長らに「ゲリラ戦は犬死だが、玉砕は犬死ではない」といい放つ。
この田所の発言は、全く納得できなかった。おそらく作中の中隊長や水本小隊長も納得できなかったに違いない。彼らは、劣勢とはいえまだ戦えるから、玉砕して死ぬ必要はないと進言をしているし、現実には玉砕だけでなくゲリラ戦も行われ、そちらに参加した兵は多数生き残ったという。ゲリラ戦と玉砕は、何がそんなに違うのか、むしろゲリラ戦の方が、より敵に被害を与えるためには、明らかに冷静な判断だろう。そもそも、上からも田所隊は「まだ戦えたはずだ。玉砕する必要はない」といわれている。そんななか、なぜ田所はひとり「玉砕」にこだわったのだろう。
ただ、田所にとってはごく自然な帰結なのだとも感じさせられる。水木しげるの描く田所の目は、狂気を孕んでいる。まだ戦える兵を死なせることにまったく揺らぎがない。普通は、「玉砕は犬死ではない」なんてことはありえない。なんの戦略もなくただ死ぬために突撃することが、犬死じゃなくてなんなのか。このように狂った論理にいる人間が指示をだして、失われた命というのは、多分にあるのだろう。別に田所が悪人であった、というわけではないことがまた考えさせられる。そういう考えになってしまったのは、きっとその時の社会とか空気感とか教育だとか、様々な要因によるのであろう。
そうして、田所の一声で田所隊は玉砕に向かい、悲劇の結末を迎える。
また、『総員玉砕せよ!』のなかで印象的な描写として、軍隊内の暴力がある。これはどうしても歴史史料としては残りづらいもので、実際に戦争に行った人々の語りとしてしか残らない。本作はそれが前面にでているのも特徴だ。水木自身がモデルである丸山が頻繁に殴られているのを見ていると、水木しげるが実際に体験したことだとわかる。
水木しげるはゴリゴリの戦中派だ。戦争に時間を奪われ学ぶ機会を失った学生、学徒動員で兵隊にいけばぞんざいに扱われる存在であった世代。水木しげるにはやはり少なからずその自負があったのではないか。
私は、この『総員玉砕せよ』をぜひとも高校生や大学生に手にとっていただきたい。現実に体験したことのない戦争を具体的に想像するには限界があるが、絵や具体的なエピソードが提示されることで、誰にでもわかりやすくその凄惨さが届くはずだ。水木しげるが戦争に行っていた時期は、今の私とほぼ同年齢である。私はぬくぬくと大学に通えているが、もし今戦争が起きれば、大学どころではない。私達と同年齢の学生が、戦争期にはこんな目にあっていたのだ。最初に戦争に駆り出され、軍隊の下っ端となっていくかもしれない。やはり戦争は起きてほしくない。
過去に起きた戦争を経験した方から聞く機会は、もう、そう多くはない。時が経つにつれてどんどんと遠くなっていく戦争体験を、『総員玉砕せよ!』は私たちの近くに引きよせることができる力がある。青春を戦争に奪われ、死ねといわれながら生き残った人が描く戦争体験。これが永遠に漫画として発信し続けられるのは本当に貴重なことだと思う。
仲摩明音
お茶の水女子大学在学中。専攻は日本近代史。
【あらすじ】
太平洋戦争末期の南方戦線ニューブリテン島バイエン。
米軍の猛攻で圧倒的劣勢の中、日本軍将校は玉砕を決断する。兵士500人の運命は?
著者自らの実体験を元に戦争の恐ろしさ、無意味さ、悲惨さを描いた傑作戦記漫画。
没後に発見された構想ノートを特別収録。
作品に込められた魂の決意が心に響く新装完全版!
【新装完全版の見どころ】
①未公開の構想ノートを20ページにわたり特別収録
②水木しげるさんの漫画に込められた決意が読める
③カバーイラスト・デザインを一新
④旧版になかったイラスト付き登場人物表を追加
⑤水木さんと親交が深かったノンフィクション作家・足立倫行さんの新解説
水木しげる(みずき・しげる)
1922年生まれ。鳥取県境港市で育つ。太平洋戦争時、激戦地であるラバウルに出征。爆撃を受け左腕を失う。
復員後紙芝居作家となり、その後、漫画家に転向。
1965年、別冊少年マガジンに発表した『テレビくん』で第6回講談社児童まんが賞を受賞。
代表作に『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などがある。
1989年『コミック昭和史』で第13回講談社漫画賞を受賞。1991年紫綬褒章、2003年旭日小綬章を受章。同年、境港市に水木しげる記念館が開館。
2007年、仏版「のんのんばあとオレ」が仏アングレーム国際漫画祭最優秀賞を受賞。2009年、仏版「総員玉砕せよ!」が同漫画祭遺産賞を受賞。2012年、「総員玉砕せよ!」がウィル・アイズナー賞最優秀アジア作品賞を受賞。
2010年、文化功労者顕彰。2015年11月、逝去。