「生きる」でも「生きろ」でもなく、「生きよう」

文字数 2,090文字

 この世界に存在しているけれどもまだ言葉にされていなかった感覚や感情を言葉にし、物語にくるんで送り届ける。第59回メフィスト賞受賞の『線は、僕を描く』でデビューした砥上裕將は、ある日突然「水墨画」の世界に足を踏み入れた主人公の青年の成長を追いかけることを通じて、その偉業をやってのけることに成功した。同作は刊行後たちまちベストセラーとなり、2020年本屋大賞第3位に選出されるなど幅広い読者層から支持を集めた。


 2年3ヵ月ぶりとなる待望の第2作『7.5グラムの奇跡』もまた、まだ言葉にされていなかった感覚や感情の小説化にトライしている。それは「目」という「人体の中でも際立って精密な器官」の不思議であり、「見える」という「この世で、最もありふれた奇跡」であり、「視能訓練士」という「目の専門の検査技師」の仕事だ。

 主人公は社会人生活一年目の視能訓練士、野宮恭一(「僕」)。第1話「盲目の海に浮かぶ孤島」は、街の個人病院・北見眼科医院で働き始めて1ヵ月半の頃の物語だ。自分は不器用だと認識している野宮は、対人コミュニケーションにおいて「瞳の光がなにかを語ってくれている」という感触から来る視機能への興味と、「たった一つのことを選べれば、なにかになれるかもしれない」との直感からこの道に進んだ。とはいえ先輩視能訓練士の広瀬さんからは日々「叱られっぱなし」で、「自分はこんなにも使えない人間なのか」と俯きがち。そんなおり、小学校1年生の女の子が、母親に連れられて病院へやって来る。視力検査を行うと、「見えにくい」という本人の主訴通りの結果が出た。次いで「視野」の検査を行うシーンで、本作の小説表現としての膨らみが炸裂する。



 視野というのは、盲目の海にポツンと一つ浮かぶ孤島に例えられる。

 なにも見えないのが海の部分で、見えているのが島の部分ということだ。検査のときに視野の島の上を通過する光を、僕は島の上空を飛ぶプロペラ機のようなものだと思っている。患者さんはその飛行機が見えた瞬間に「見えたよ!」と手持ちのボタンを押す。すると機械は「了解」というようにピッと音を立てる。その音を聞きながら、僕たちは島の輪郭=視野を計測するのだ。



 著者が前作=デビュー作においてモチーフに選んだ「水墨画」は、それ自体が「美」だった。作品を構成する要素や筆致のダイナミズムを具体的に記述し、「美」を追求する登場人物たちの姿をストレートに描き出すことで、文章にもおのずと「美」が宿り色気が漂うこととなっていった。しかし今回のモチーフは、重量約7・5グラムの眼球。なおかつ主人公はアーティストではなく、検査技師だ。ドライかつ即物的な記述の連打になりかねないところで、著者は前作ではほぼ用いなかった「比喩」を繰り出したのだ。これ以降も要所要所で繰り出される「比喩」がとにかく的確でイメージしやすく、メジャーかマイナーかで言えば“どマイナー”な知られざる視機能の世界を、読者にとって身近なものとして実感させてくれる。これは、まぎれもなく小説家の仕事だ。

 文体のみならず、ストーリー面に関しても前作から大きな変貌を遂げている。前作は「新本格ミステリーの登竜門・メフィスト賞受賞作なのに、ミステリーじゃない!」と驚きの声があがったが、今作はど真ん中のミステリーなのだ。いわゆる医療ミステリー、その中でもレアな「病名当てミステリー」だ。第1話における主人公の野宮はワトソン役であり、意外な視点からキャッチした情報をホームズ役の北見院長に伝え、「真実」を導くための手助けとして立ち回っていた。全5話の物語は、さまざまな事情を抱えた患者や同僚たちとのやり取りを通じて、野宮が視能訓練士として成長する姿を滑らかなグラデーションで綴る──その裏に常に張り付いているのは「仕事とは何か?」という問いだ──が、それは同時に、ワトソンだった野宮がホームズになる軌跡でもある。成長物語とミステリーの、これ以上ないほど幸福な融合がここにある。

 と、ここまでは前作との違いに着目してきたが、最後に記しておきたいのは共通点だ。前作ではクライマックス直前、重要人物が物語から去るエピソードにおいて、今作では最終第5話のクライマックス、「光への瞬目」という鍵概念が導き出される瞬間において、まったく同じ言葉が現れるのだ。それは、



 生きよう



 水墨画家や視能訓練士というマイナーな世界で活躍する人物を主人公にしながらも、彼らの人生を掘り下げることで辿り着いたのは、開かれた気持ちのいい場所だった。「生きる」でも「生きろ」でもなく、「生きよう」。この4文字の語感の中に、作家の真髄が宿っている気がしてならない。

 令和の世に現れた砥上裕將という「新人」は、常に新しく、常に普遍。ベストセラーとなったデビュー作を凌ぐ、大傑作だ。

Writer:吉田大助

ライター・書評家・インタビュアー。構成を務めた本に、指原莉乃『逆転力』などがある。







    

人気声優の鳥海浩輔さんによる、『7.5グラムの奇跡』スピンオフ掌編「一秒の景色」(著/砥上裕將)朗読動画はこちら!

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色