(4/4)『偏愛執事の悪魔ルポ』第一章試し読み
文字数 2,498文字
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「夜助、ココアも紅茶もおいしかったわね」
「ご主人様がお気に召されたのでしたらなによりです」
かくして、私とご主人様は何事もなく喫茶店を抜けだした。
私達は家路へと急ぐ。だが、後ろから追いかけてくる人がいた。
振り返れば、春浦くんである。
私はご主人様をかばって前に出た。春浦くんは足を止める。彼は勢いよく頭を下げた。
「あの、すみませんでした」
「あら、どうかなさったのかしら?」
ご主人様は涼やかに尋ねられる。
それに、春浦くんは震える声で応えた。
「本当、僕、頭に血が昇ってて……でも、そちらのお嬢さんに言われたことでやっと気づけたんです。僕には、本気で店長を殺す気なんてなかったんだって。人を殺すのって、本当は凄く怖いことですよ……そんなこと、僕、やらなくってよかったんだ」
「なんだかよくわからないけれども、迷いが晴れたのならばよかったわ」
ご主人様はおっしゃられる。
春浦くんは顔をあげた。彼は不思議そうに言う。
「迷い?」
「あなた、今はずっといい声をしてるし、きれいな目をしていますもの」
ふふっと、ご主人様は微笑まれた。全世界卒倒必至の笑顔である。私などはちょっと、いもしないお爺ちゃんが川の向こうで手を振っているのが見えた。
春浦くんは泣きそうに顔をくしゃっと歪めた。それから彼は決意を固めた声で言った。
「僕、店長と相談してから警察に行ってきます。誰も傷つけなかったけど、こういうことをしそうになったって、ちゃんと話してきます」
「すっきりするのならそれがいいでしょうね。行ってらっしゃいませ。どうか頑張って」
「はい!」
春浦くんは、しっかりとうなずく。
なるほど、その顔からは確かに迷いが晴れていた。
カウンターの中にいたときよりも、今の彼はずっと生き生きと輝いているのだった。
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「さて、夜助。今度こそ帰りましょう」
「……かしこまりました。参りましょう」
そう応えながらも、実は私は憂鬱であった。
すべて上手く解決しただろうと言われれば、そのとおりだ。
だが、ここで、いろいろと思いだしてもらいたい。
ご主人様は『犯罪被災体質』だ。
彼女の行くところ、必ず事件が巻き起こる。そのせいで、ご主人様は過去に様々な危険に晒されてきた。そして、成長なされた今となっては、それをはねのけるだけの力、と言っていいのかどうかわからない特技を身につけられた。
それこそが、この天使的解決法なのである。
ご主人様は身近で起きた事件を超善意的解釈をもって、事件でなくしてしまう。そうして、何もかもすべてを、天使の微笑みで収めてしまわれるのだ。
人間業とは思えない行動である。
実は、これには理由があった。
私のご主人様、春風琴音様は最高である。
至高である。
完璧である。
天使である。
実は──本当に天使なのである。
正確には、将来的に『天使となることを定められている人間』だ。
ご主人様は、その辺りの有象無象とは違う、神から選ばれし人間なのである。
それこそ、天使とは普段天の国からかたくなに出てこないが──悪魔を前にすれば一瞬で蒸発させ、神のあらゆる手伝いを行う──悪魔にとって脅威かつ憎らしい存在である。
天使になるため、ご主人様は神から理不尽な試練の数々を与えられ、あらゆる事件に遭遇する運命を課されているのだ。そうして慈悲の心を試されているのである。
ご主人様の『犯罪被災体質』はそのせいだった。
神とはかくも許しがたく身勝手な存在である。だが、その試練にも負けないご主人様の強さを、私は心底愛し抜いていた。と、同時に、これではちょっと困るのである。
ここでもうひとつ思いだして欲しい。
覚えておいていただきたいと言ったはずだ。
久遠殿のお言葉である。
『君ね、孝明様の代からの優秀な執事でなければ、クビにしているところだよ、本当に』
これに、違和感は覚えなかっただろうか?
簡単な疑問だ。
優秀な執事は椅子になどならない。
ならば、私はなにか。
ご主人様の執事。これは本当である。だが、私は孝明殿に仕えたことなどない。
私は、幻術で父上の代からの優秀な執事と思わせている、不逞の輩。
ようするに、悪魔なのである。
春浦くんに言った通り、『悪魔で執事』なのだ。
店長の記憶について、どうとでもなると言っていたのはこのためである。制約は多いが、短時間程度、記憶を混濁させることくらいならば、悪魔の力で可能だ。
そうして私のやるべきことは、いつか天使になってしまわれるのを阻止するために、ご主人様を悪堕ちさせることであった。これは悪魔としての役目である以上に、私の本能と願望にもとづく行動である。
ご主人様とずっといっしょにいるため。
何よりも、より完璧な女王様になっていただくためである。
そのためには、今の天使的解決法を次々と成功させていらっしゃる現状はまずいのであった。ご主人様にはぜひとも神の試練に心折れ、世を憎んでいただかなくてはならない。
だが、本日もご主人様は完璧に、華麗に事件を回避してしまわれた。
それは喜ばしいことだが、悩ましいことでもある。
さて、これからご主人様を悪堕ちさせるにはどうすればいいのか。ご主人様が人を信じられなくなる方法とは。私がそう悩んでいると、隣を歩くご主人様がふっとつぶやかれた。
「夜助、手を握ってもいいかしら?」
尊さに、私は爆発四散した。
第二章「混迷世界における、全人類ご主人様渇望論」では、屋敷の奥にしまわれていた琴音のアクセサリーが紛失。犯人はまさか――琴音の友人!?
天使と悪魔の推理、どちらが勝利するのか。
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2009年『B.A.D ―繭墨あざかと小田桐勤の怪奇事件簿―』(刊行時『B.A.D. 1 繭墨は今日もチョコレートを食べる』に改題)で第11回エンターブレインえんため大賞小説部門優秀賞を受賞し、翌年デビュー。主な著書に「異世界拷問姫」シリーズ、他多数。