(1/4)『偏愛執事の悪魔ルポ』第一章試し読み

文字数 3,973文字

「異世界拷問姫」シリーズの綾里けいしが、講談社タイガに初登場!


悪魔の夜助と天使候補の琴音の推理がせめぎ合い、事件は二つの顔を持つ。

夜助は最愛のご主人様・琴音を悪堕ちさせるべく、悪魔的に事件を解決――できるのか!?


最新刊『偏愛執事の悪魔ルポ』の発売を記念して、第一章「ご主人様とはいい匂いのするものだ」を特別無料公開!

元気が出ること間違いなしの新感覚ラブコメ×ミステリーをぜひお楽しみください!

ご主人様とは、いい匂いのするものだ。

 それは、実際の香りについての話ではない。

 私はご主人様の存在そのものについて語っているのである。理想のご主人様とは、独特の気配とでも言うべきものを放っているのだ。

 カリスマ性、女王様性、あるいはみなぎる自信、あふれる魅力、なんでもいい。

 簡潔に言えば、真のご主人様とは『私のご主人様』オーラをこれでもかとばかりにまとっているのである。具体的には遠くにおられればまばゆく感じ、近くにいらっしゃれば自然とひれ伏したくなるような、圧倒される気配である。

 明確に感じとれるそれらのオーラを総括して、私は『いい匂い』と称していた。たったひと目、わずかに見ただけでもわかるものだ。

 ご主人様とはいい匂いがする。

 つまり、私のご主人様、春風琴音様は、世界で一番いい匂いのするおかただった。

 さて、これより、くりひろげられる話はいったい何か。

 他でもない、私、執事の佐山夜助とご主人様の幸福な日々の記憶である。

 もっと詳しく説明すれば、そこには諸々の事件、私の葛藤、煩悶などが交ざってもいる。だが、それらの話は追々するとして、今はこれだけを覚えておいてもらいたい。

 私のご主人様、春風琴音様は最高である。

 至高である。

 完璧である。

 天使である。

 それだけ理解できたのならば、もう十分だ。

 あなたにも必ずや、天使の恩恵が降りそそぐことだろう。

 ***

 突然だが、私、夜助は椅子になっていた。

 厚手のドレープカーテンと壁面を埋める書棚、愛らしい純白の丸机と蜜色をしたガレの花瓶。そんなものたちで彩られた上品な一室にて、私は椅子の中に座している。紅い革張りの、居心地がいい逸品だ。居心地とはもちろん、椅子の内部についてのことである。

 ここはほどほどに狭く、ほどほどに息苦しく、みしっと詰まるにはいい感じであった。

 何より、上からかかる重みがすばらしい。

 現在、私の上には、ご主人様たる、春風琴音様がぽやっと腰かけていらっしゃる。

 ご主人様は、この世のものとは思えないほど美しいおかただ。

 長い黒髪は艶やかで、目は色素が薄く、まるで琥珀のように見えた。唇は小さく形よく、お人形を思わせる。それらの造作が白磁の肌に収まっているさまを拝見するたび、私は尊さのあまり悟りを開き、森羅万象の理解に至りそうになった。

 また、くつろぐために投げだされている手足は、ミロのヴィーナスのように完璧である。ミロのヴィーナスに手はないだろうがとか、笑止千万のツッコミだ。もしも、その腕があれば、それはご主人様のものと同じ形をしているに違いないのだから。

 椅子の中には私。椅子の上にはご主人様。

 問題は何もない。

 平和である。

 こうして、私とご主人様は午後のひとときを満喫していた。

 だが、不意に玄関でチャイムの音が鳴らされた。

 私とご主人様のひとときを邪魔する侵入者……もとい、お客様の訪れである。椅子の中で、私はもぞもぞと蠢いた。しかし、ご主人様は声を弾ませて応えられた。

「出なくとも大丈夫です。夜助……おひさしぶりの訪れですね」

 ご主人様は椅子から飛び降りられる。そうして、テレビモニターつきのインターフォンの子機に向けてだろう、お声をかけられた。

「おひさしぶりです。夜助は手が離せませんので、そのままいらっしゃっていただけますか?」

 ご主人様は椅子の上に戻られた。

 恐らく、ご自身が迎えに出られなかったのは、椅子の中の私を一人置いて行かないようにと考えてくださったのだろう。夜助、忘我の喜びである。

 しばらくして、誰かが居間に入ってきた。

「お邪魔します。ごきげんはいかがかな、琴音嬢」

「おかげさまで息災です。久遠様」

 そのやりとりで、私は相手が誰かを判断する。

 この家の合い鍵も持っている人物、久遠昭殿だ。

 ご主人様の一族は、曾祖父が明治期に起こした船舶産業を元手に、今や様々な分野へ事業を展開している。その親会社の代表取締役を務める人物であり、ご主人様のお父上、春風孝明様の元右腕でもあった人物──そしてお父上もお母上も亡くなられた後、ご主人様の未成年後見人を務められた人物こそ、久遠昭殿であった。

 ご主人様も御年二十二歳。もう成人されたため、未成年後見人の任務自体は終了している。だが、ご主人様は大学に通われている身の上であり、学業に専念されるためにも、引き続き、久遠昭殿に財産の管理を一任されていた。

 御年五十八歳となられる久遠昭殿は──見えないので想像だが帽子を取り、胸に当て老いを感じさせない整った顔にほほ笑みを浮かべながら──ご主人様に語りかけられた。

「少し時間ができたものでね。話でもと思いまして」

「それはそれは、ようこそいらっしゃいました。私も夜助も嬉しゅうございます」

 久遠昭殿は昔気質の人物で、ご主人様のお父上に非常な恩義を感じており、不届きな心は起こさず、財産管理を完璧に執り行われている。

 ご主人様の執事たる私からしても、恩義ある人物といえよう。

 彼は定期的にご主人様のお顔を直接見にこられる。だが、必要以上に親しくなりすぎないよう距離を空けているところがあり、ご両親を失われたご主人様が寂しく思っておられるのを、私は知ってもいた。そのため彼に対して、私は常にやや複雑な心持ちである。

「ところで、その夜助君はどこかな? 客が来たというのに忙しいとは、彼は一体……」

「夜助ならば、こちらにおりますわ」

 そうおっしゃられると、ご主人様は今度こそ私から降りられた。体にかかった適度な重みが離れる。大変に残念だが、ご主人様のお言葉は絶対である。

 私はバリバリと表面のマジックテープを引っぺがし、椅子から脱出した。簡単着脱仕様である。この家の家具はみんなこんな感じだ。実に便利である。

 そうして私は執事服の背中を伸ばした後、完璧な礼を披露した。

「大変失礼をいたしました、久遠昭様。夜助、こちらに」

「人間椅子!」

「江戸川乱歩ですか?」

 なんか、めっちゃ錯乱された。久遠殿は、あーとか、うーとかいう感じに、髪の毛を搔き乱される。それから、私をびしりと指さしつつ、彼はご主人様に向けて訴えられた。

「琴音嬢、こんなのの上に座っては駄目です! 断じて、断じて教育上よろしくない!」

「だって、こうすると夜助が喜ぶものですから……」

 それに夜助は暗いところが好きなのですと、ぽやぽやとご主人様はおっしゃられた。

 大変にかわいらしい。太陽ですら我が身を恥じて顔を隠すほどである。それがくりかえされた結果、世界には冬が訪れるのである。これは、私にとっては基本的な豆知識だ。

「そうよね、夜助?」

「はい、ご主人様のおっしゃるとおりです。夜助は暗くて狭くて、ご主人様の羽根のように軽い重みを感じられる場所が大好きでございますね」

「まあまあ、うふふ」

 多分、ご主人様は意味をあんまり理解しておられない。

 久遠殿はまた、あーとうめいて天を仰がれた。今度は彼は私に向けておっしゃられる。

「君ね、孝明様の代からの優秀な執事でなければ、クビにしているところだよ、本当に」

「ご主人様の下にお仕えすることを許されている栄誉を、日々嚙み締めております」

 そう、私はほほ笑みと共に語った。

 さて、ここの久遠殿の言葉をちょっと覚えておいていただきたい。

 まあ、それはそれとして、今は久遠殿のおもてなしが第一である。

 私は久遠殿にはコーヒーを、ご主人様には紅茶をおだしした。

 久遠殿は、学業や日々の生活についてなど、あたりさわりのない質問を重ねられた。ご主人様は笑顔で応えられる。適度な時間を過ごした後、久遠殿は腰をあげられた。

 そして最後に、彼は余計な言葉を口にした。

「お父上のことは本当に残念でした。しかし、気を落とすことなく、元気にすごされなければいけませんよ。それをお父上もお望みでしょうからね」

 この男、実は飽きることなく、毎回同じセリフを繰り返しているのである。それこそが、ご主人様を真にはげます言葉であると、彼はかたくなに思いこんでいるようだった。

 見る間に、ご主人様のお顔が曇られた。

 お父上のことを思いだされたせいであろう。

 ご主人様はご両親を深く愛しておられた。

 それこそ、今でも心の傷は深く、思い返すごとに痛みをともなわれるのである。それに気づくことなく、久遠殿、もとい、今は鈍感男で十分である──は帰宅の途についた。

 おかわいそうに、ご主人様はすっかり元気をなくしてしまわれた。

 とても恩義のあるお方だが、こうなっては、私の久遠殿への評価はフナムシに対するそれになるのである。この世の至宝たるご主人様を悲しませるとはふてぇ野郎だ。神が激怒し、天変地異が起こったらどうするつもりなのか。

「……夜助」

「はい、こちらに」

「少しね、疲れてしまったの」

「お気持ち、十分に、もう十っ分にお察しいたします」

「だから、出かけたいな」

「かしこまりました」

 気分転換には外出こそがふさわしい。

 ご主人様の決断に、私はもう賛成も大賛成であった。

 ルンルン気分で、私は支度をする。

 さて、ご主人様は今日はどこに行かれるのだろう。

 そこがどこであろうとも、ご主人様の行かれるところ、花が咲き乱れ、小鳥が歌い、事件が起こるに違いないのであった。

 ***

 かくして、私達は強盗に遭っていた。

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