(3/4)『偏愛執事の悪魔ルポ』第一章試し読み

文字数 5,884文字

 そう、以上が、私の悪魔的解決方法の、妄想、である。

 実行には移していない。

 その証拠に今、私はご主人様のお顔を眺めながら溢れでる涎を吞みこんでいる。春浦くんと店長の修羅場は継続中だ。長い。刺すのか刺さないのか、はっきりせいと言いたい。

 うーんと、私は悩んだ。

 勝算は十分にある。

 実際、妄想のとおりに動けもするだろう。そうして、店長が上手いこと春浦くんを始末してくれれば、我々の危険性はなくなる。そうでなくとも、春浦くんが満足に動けなくなればいいのだ。生き残ったほうの記憶については、どうとでもなる。

 ただ、包丁を渡したところがレジ付近にのみ設置された監視カメラに映るかもしれないが、そこは春浦くんが事前にスイッチを切っていることに期待したかった。だが、春浦くんのうっかり属性からして失念していることも十分にありうる。

 おのれ、どこまでも役に立たない。

 思わず、私がもう一度激怒しそうになったときであった。

「と、いうわけで店長、もはや逃げられませんよ! 覚悟を決めてください!」

「待って、謝るから、どうか命だけは助けてくれ!」

 春浦くんと店長は、実質何回目かのクライマックスシーンを迎えたらしい。

 さて、私はどうするべきか。

 悪魔的解決方法に従って動くべきか。

 そう、考えたときだった。

 不意に、私の袖を摑むものがあった。ご主人様の小さなお手てである。思わず、白く美しい指にちゅーしたくなる衝動に襲われ、私は舌を嚙むことで己の欲望を振りはらった。

 私は素数を数えて落ち着こうと試みた。その間にも、ご主人様は声を殺して囁かれる。

「あのね、夜助。話は全て聞かせてもらったわ」

「ああ、ご主人様、起きていらっしゃったのですね! それなのに事態の不穏さに気づかれて静かにしておられたとは、なんとご聡明な!」

 どうやら、ご主人様はお眠りになってはいなかったらしい。

 騒動に目を覚まされたものの、ご主人様は瞼を閉じたまま事態を観察しておられたのだ。なんという賢明なご判断であろう。時代が時代ならば賢者と称えられたに違いない。

 聡明なご主人様に栄光あれ!

 そんな私の興奮にはかまうことなく、ご主人様は内緒話のように続けられた。

「あのね、夜助。春浦くんに、店長さんを殺すつもりはないと思うの」

「えっ、えーっと、それは……うーん」

 ううん、それはおかしな話ではないだろうか?

 現在、修羅場は絶賛進行中である。だが、そのお考えをもとに、ご主人様は続けられた。

「だからね、夜助、お願いがあるの……こうして、ああして、ねっ?」

 むむっと、私は顔をしかめた。実は、私は事態解決のために動きたくはなかった。これにはとある事情が存在する。だが、ご主人様の頼みとあらばしかたがない。

 そのため、私はそっとボックス席を抜けだした。

 ぬるぬると床を滑り、私はカウンターのほうへと向かった。

 ***

「だから、店長、覚悟……あっ、あれ?」

 春浦くんが、不思議そうな顔をする。

 店長も、我が身の危機を忘れて首を傾げた。

 二人はカウンターから直接繫がっている厨房への入り口を覗きこみ、声をあげた。

「な、何をしてるんだ?」

「紅茶を淹れておりますね」

 涼やかに、私は応えた。

 何をしているかといえば、私はお湯を沸騰させていた。

 ここは喫茶店だ。首尾よく、必要なものはそろっている。春浦くんと店長は、突然現れて、厨房を使い始めた私に対して、呆気にとられていた。

 これぞ、ご主人様のオーダーである。

『紅茶を淹れて欲しいの』

 まずはカップとポットを温める。次いで、ポットに茶葉を入れ、私は沸騰したての熱湯を注いだ。選んだ葉はダージリンだ。この茶葉の大きさならば蒸らし時間は四分だろう。

 そこで、丁度よく春浦くんが動きだした。困惑を振り払って、彼は大声をだす。

「何が紅茶だ! ふざけるな!」

「ふざけてなどおりませんとも。私はあくまで執事なので、紅茶は淹れるものです」

 春浦くんはカウンターから厨房の入り口へ足を進める。

 さて、私のほうは四分間は自由の身だ。

 春浦くんのナイフが、威嚇のために私のほうを向く。

 瞬時に、私はある物をつかみ、春浦くんへとまっすぐに突きだした。

『それでね、春浦くんを傷つけずに、ナイフを取って欲しいの……そのためには』

 春浦くんのナイフがソレに突き刺さる。

 分厚い食パン一本だ。

 私はそのまま春浦くんの手首を軽く叩き、縦に長い食パンを捻じった。春浦くんの手からナイフが離れる。食パンに刺さったまま、それは春浦くんの指を抜けた。

 場を支配していた武器は失われた。

 空気が凍りつく。

 蒸らし時間が終わったので、私は紅茶のほうに戻った。

 ポットの中をスプーンで一搔きする。

 茶こしを使いながら、私は濃さが均一になるようにお茶を四つのカップへ注ぎ入れた。

 ゴールデン・ドロップと呼ばれる最後の一滴は、もちろんご主人様のカップへと。

 これで、準備は整った。

 そこで、店長が悲鳴と共に逃げだそうとした。

「お待ちください。いったい、どこへ行かれるのですか?」

 その前に、ご主人様がひょっこりと姿を見せた。

 その様、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花である。

 にっこりと、ご主人様は天使のほほ笑みを浮かべられた。その笑みには恐怖を払い、人の心を鎮める効果がある。パワーストーンよりも霊験あらたかであった。

 思わずといった様子で、店長は足を止めた。とまどったように、彼は言う。

「警察へ、警察へ行くのですよ」

「何をおっしゃいます。今からお茶の時間ですよ」

「お、お茶の時間?」

「さあさあ、こちらへどうぞ。春浦くんもごいっしょに」

 そう、ご主人様は歌うように囁かれた。

 店長と春浦くんは顔を見合わせる。まるで操られるかのように、二人はご主人様に導かれて歩きだした。そのすぐ後ろから、私は盆を片手についていく。

 私達はボックス席へ戻った。全員の前に、私は紅茶を並べる。

 お茶会の準備は整った。

 まず、ご主人様がカップを手にされた。

 一口飲まれて、ご主人様はほーっと息を吐かれる。

「おいしい、夜助」

「光栄です」

 そのさまを見て、店長と春浦くんも紅茶を飲んだ。

 二人は目を丸くして言う。

「あっ、おいしい」

「淹れ方がうまいな」

 こうして、場には平和が戻った。

 圧倒的、世界的平和である。

 にこにこと、ご主人様はほほ笑まれた。

 つられたように、春浦くんと店長も笑う。


 かくして、事件は天使的解決法を迎えた。


 さすが、ご主人様である。だが、話はここでは終わらない。

 ハッとした顔で、店長が机を叩いたのだ。

「そうだ、春浦。さっきのはどういうつもりだったんだ。私は警察に行くからな」

「て、店長」

 そう、このままでは、春浦くんが不幸になってしまう。

 自業自得とはいえ、殺人未遂事件だ。店長がそう訴えればただでは済まないだろう。

 しかし、そこで、ご主人様が続けられた。

「何をおっしゃるのですか、店長さん」

 完璧なほほ笑みを浮かべられて。

 完全にそう信じておられる表情で。


「殺人未遂事件なんて、起こっていないじゃないですか」


 かくして、お嬢様の天使的解決法が回り始めた。

 ***

「……はっ、アンタ何を言って」

「だって、先程のサバイバルナイフ、折り畳み式の多機能のものでしたよね?」

 ハッと、春浦くんは顔を強張らせた。

 実はその通りなのである。

 私は春浦くんが『凶器を持ち歩かなければ気が済まなくなった』と言ったが、職質でも受けたとき、問題になるようなものは気安く持ち歩けない。

 彼が選んだのは、その限界を見極めたものだったのだろう。折り畳み式の多機能なサバイバルナイフであった。横からドライバーや缶切りもでてくるタイプで、ギリギリ、鞄の中に入っていても問題がない。

 が、それゆえに別の問題も発生する。

「刃渡りが五センチくらいしかないですもの。それじゃあ、人は満足に殺せませんわ」

 まあ、私ならば刺して手首をひねって抜いて、出血多量を狙うとか、首を搔き切るとかの方面にいくので、使いかた次第だろう。だが、春浦くんにそうした適切な扱いができるとは私にも思えなかった。

 更に、ご主人様は壁を指し示された。そこには、カツサンドとホットケーキの手描きのイラストが貼られている。確か、このお店のオススメだったはずだ。

 胸を張って、ご主人様は高らかに至高のお声を響かせた。

「ここは喫茶店ですよ。カツサンドを作るための立派な包丁も、ホットケーキを切るためのナイフだってあります。バイトである春浦くんなら、当然知っていること! それなのに、その両方を、春浦くんは選びませんでした。だったら殺意が本物なわけがありません! 春浦くんは店長さんを驚かそうとしただけなのよね?」

 ご主人様の言葉には一理あった。現に、私は妄想の中で店長に肉切り包丁を手渡している。春浦くんが真に研ぎ澄ました殺意を持っていたのならば、それらの立派な凶器を見落とすことなど決してなかっただろう。

 指摘されて、春浦くんは目を左右に泳がせている。

 先に動いたのは、店長のほうだった。

「は、春浦、そうだったのか、君……」

「……はっ」

 そう、ここで春浦くんも気がついたらしい。

 ご主人様の超善意的解釈を受け入れれば、今ならば冗談で全てが済むのだと。

 強盗犯にも、殺人犯にもならなくていいのだ。

 そう、元はといえば、春浦くんはご主人様の『犯罪被災体質』に惹かれて突発的衝動に火を点けてしまっただけである。それをご主人様は自ら鎮火してくださろうとしているのだ。ここは受けておいたほうが身のためであると、この夜助、オススメする次第である。

 キラキラしながら、ご主人様は春浦くんをごらんになった。

 春浦くんは、二、三度何かを言いかける。

 そこで、ご主人様の天使のさえずりが炸裂した。


「それに、お二人は本当に殺し、殺されるしかない仲だったのかしら?」


 ご主人様の天使的解決法はここにきてさらなる冴えを見せ始める。

 そう、私の考えた、憎しみあう人と人に用意された解決法──『もうこの二人は殺しあうしかないのだ』という結論ですら、ご主人様は崩しにかかられたのだ。

「店長さんはバイトの夢野さんと、春浦くんの恋路の邪魔をした……でも、店長さんはそう春浦くんに迫られたとき、『それは君達が』って何かを訴えかけられていたわ。店長さんには店長さんの理由があったんじゃなくって?」

 ご主人様はそう首を傾げられた。春浦くんが切って捨てた言葉を、ご主人様は聞き逃されていなかったのである。なんという慈悲深さであろう。お心の深さを称えて、銅像が百体建つ。店長は首をすくませた。恐る恐るというように、彼は訴える。

「……二人が仕事をおろそかにすると困ると思って……ただお客様の前でいちゃついて欲しくなかっただけだよ。他のことまで邪魔するつもりは」

「……えっ?」

「それに、あなたと夢野さんが別れることになった決定的理由は店長さんのせいなの?」

 澄んだ瞳で、ご主人様は問いかけられる。それに、春浦くんは目を逸らした。

 私は春浦くんの言ったことを反芻する。『店長の邪魔だてが入ったことで、恋人の夢野さんは冷たくなったこと。それがショックで、色々と失敗が続いたこと。その過程で、バイクで自損事故を起こしてしまい、借金を負ったこと』。

 バイクで自損事故を起こしたのが、失恋の先か後か、春浦くんは言っていないのだ。借金を負った恋人を支えてくれる気が、夢野さんにはさらさらなかったのであろう。

 春浦くんの沈黙が、その事実を証明している。ご主人様はさらに囁かれた。

「それに、店長さんが、あなたのことを常々馬鹿にしていたと、いろんな人から聞いたのよね? それって本当に本当のことなの?」

「……それ、は」

「店長さんはさっきも言ったように、お客様の前でのイチャイチャを禁じられるくらい、仕事に対して厳しい人よ。いろいろな人から、逆恨みをされていたっておかしくはないわ。だから、春浦くんは噓を吹きこまれたのかもしれない」

 ご主人様は問われる。

 春浦くんは視線をさまよわせた後、店長を見た。店長は首を横に振る。

「言っていない……私は、本当に君の悪口なんて言ってないんだ」

「……そんな」

 春浦くんは愕然となった。ご主人様は続けられる。

「春浦くんに無茶なシフトを押しつけたのだって、きっと善意よ」

「なんでだよ、それだけはない!」

「だって、春浦くん、愛用のギターを質屋に預ける羽目になったのでしょう? なら、」

 ああ、と私は頷く。最早、それは明白な事実だった。

 春浦くんには、『お金がなかった』。

 そして、店内にギターを飾るほどに、店長もまた、音楽の愛好家である。ならば……。

 私達の視線が集中する。その先で、店長はか細い声で告げた。

「たくさん、働かなくちゃ、ギターは取り返せないだろう? それならって……」

「……店長」

「ほら、店長さんには憎まれる理由なんてなかった」

 にっこりと、ご主人様は花のごとき笑みを浮かべられる。

 そうして、彼女は歌うように続けられた。

「それに、春浦くんは悪い人ではないわ。恋に破れても、女の子のことを一度も悪く言ったりしなかった。バイトのシフトをいつも断われなかったのだって、とても心が優しいから。何より、この喫茶店の床は埃ひとつなくぴかぴかよ。春浦くんが毎日がんばって仕事をしてくれていたおかげだわ! そんな人は、人なんて殺しません!」

 力強く、ご主人様は言いきる。

 まるで、それが世界の真理ででもあるかのように。

「殺せません。そうよね、春浦くん!」

 心の底から、信じている瞳で。

 くしゃっと、春浦くんは泣きだしそうに顔を歪めた。目を伏せて、彼は何かを悩んだ。

 ぴかぴかの床を、春浦くんはじっと見つめる。

 そして、彼は店長のほうを向いて頭を下げた。

「店長……すみませんでした!」

「いいよ、いいよ、私も悪かったよ。夢野さんのこと……本当にごめんね」

 春浦くんは泣きそうな顔で言う。その肩を、店長が大きな掌で包んだ。

 思わず、私はひとり天井をあおいだ。

 完敗、である。

 私が殺しあうしかないと思っていた二人ですら、ご主人様の愛にかかれば、平和的解決を迎えるのだ。だが、これでこそ、ご主人様である。

 もちろん『とある理由』により、私からすれば事が思いどおりに運ぶことこそが一番であった。私は自分の悪魔的解決法が折られたことに涙しつつ、でも好き! と悶絶する。

 あわや殺人に至るはずだった事件は、こうして無事に解決、もとい消滅したのだった。

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