西川美和×六角精児『すばらしき世界』公開記念対談【後編】

文字数 5,059文字

小説『身分帳』から映画『すばらしき世界』へ。

■犯罪小説にはない日常の面白さ


西川 映画には入れられなかったけれど、小説『身分帳』には好きなシーンがたくさんあります。


六角 お見合いパーティの話が出てくるでしょう。


西川 そう! あのお見合いシーンを入れたくて、自治体がやっているお見合いパーティに私もスタッフで参加して取材したりしたんです。小説では、山川のところへ福祉事務所からお見合いの会の案内が来て、ケースワーカーが勧めるんですよね。「せっかくだから、参加したほうがいいと思います。いかなる境遇にあっても、幸福追求の権利はありますから」って。そんなふうに誰かが自分のことを思ってくれるなんてすごく心温まるシーンでしょう。でもケースワーカーの人に取材したら、今はそんなことは絶対してはいけない、個人のプライバシーにかかわるからと。


六角 小説では、そこで出会った女性と二人で会うことになるんだけど、会ってみたら宗教の勧誘だったんだよね。


西川 そうなんです。でも読みながら結構ワクワクして、この人はついに幸せになるのかって。


六角 そうしたら勧誘だった(笑)。佐木さんの小説には、そういうちょっと面白いところが入っているんですよね。


西川 たくさんあるんですよ。


六角 日常の中だけの話だけれども、日常から逸脱しないところでの面白さみたいなものがちゃんとある。それはなかなか、普通の犯罪小説には出てこない。


西川 そうなんですよね。一つ一つのことは小さいんだけど、すごくリアルでおかしみがある。


六角 山川が隣のアパートの大家の家の犬がうるさいと、大家の老人に怪電話をかけたりする場面もありましたよね。


西川 怪人二十一面相と名乗って、犬に「青酸カリ入りの肉ダンゴでも食わせてやろうか?」って脅すんですよね。でもすぐにバレてスーパーの店長に怒られる。あのシーンを六角さんと役所さんでやってもらったら面白かっただろうなあ。スーパーの店長とケンカして、「金持ち連中を枕を高うして眠らせるために温和しく生きるほど、俺らはお人好しじゃなかけん」って啖呵を切る、あれは大好きな台詞だったので、そのまま映画に使いました。


六角 小説では山川が就職のために免許を取ろうとして何度も技能試験に失敗して、試験場の窓口で揉めてたら、奥から出てきた警部さんが昔の事件で山川を担当した警察OBだった。あの人、いい人でしたよね。


西川 いい人なんだけど、「実は君とは、古い事件で付き合った」と呼びかけられた時に、山川の態度が豹変する。あの態度の変化も面白かった。権力を持っている人の前に行くと、急に態度を硬化させてしまう。相手は優しい言葉をかけてくれるのに、そういう言葉に対して素直になれない、「同情されるのは性に合わない」と書かれていたのも、すごく印象的でした。山川はなかなか思うように立ち直ってくれないし、役人にも隣人にも、冷たくされることもあれば意外な情をかけられる瞬間もある。それが社会の複雑さであり、生きていることの難しさと楽しさでもあるんですね。


六角 ちょっと聞きたいんですが、映画の中で、主人公が昔の仲間である博多のヤクザの親分のところに行くシーンがあるでしょう。警察の家宅捜索で家に入れなくなって、ヤクザのおかみさん役のキムラ緑子さんが祝儀袋を渡しながら、「娑婆は我慢の連続ですよ。我慢のわりにたいして面白うもなか。やけど、空が広いち言いますよ」っていう台詞があるじゃないですか。あの言葉って、『身分帳』の中にあったんですか?


西川 あれはたしか、私のオリジナルですね。


六角 あれさあ、すごいよ。僕は、あの言葉がこの映画の中で一番好き。


西川 そうですか? やっぱりあの台詞が人に引っかかるんですね。そこから英語タイトルも「Under the open sky」と付けられました。


六角 僕は「すばらしき世界」というタイトルはあの言葉に通じると思うし、それとは全然逆の、「人は人を救えない」っていう言葉にもつながってると思う。人は人を救えないと思ってるんですよ、僕はね。だから、「すばらしき世界」というのは、ものすごく逆説的な感じがするところはあるけれども、あの言葉があることで、「捨てたもんじゃない」ってところにもつながってくる。希望にもなるし、ちょっとした絶望にも感じるし、どっちでもある。


 僕は、あの博多に行くシーンが全部好きなんです。夜に飛行機で行くじゃないですか。主人公がポーンと空に飛んで、夜景が広がって、親分に歓待されて、最後に家宅捜索で追い出されて、そこであの台詞。うわあ、いいなって。あんなシアトリカルな台詞を佐木さんが書いてたかなあと思ったんだけど、映画のオリジナルだったんだ。何処から出てきたんですか?


西川 いやあ、それがどうして出てきたのか自分でも思い出せないんです。たぶん、そのままズバリじゃないけど、刑務所から出てきた人の話を何人かに会って聞いたんですよね。今の生活とか仕事の内容とかも聞いて、まあそりゃあ刑務所のほうがよっぽど楽ですよ、って皆さんおっしゃる。昔、暴力団にいた人は、刑務所の中でも威嚇すればそれが力になって事が片付いていたけれど、出所したら、そんなことをしたら本当に居場所がなくなるのが一般社会だと。自分たちがそれで通用すると思っていたことが全部崩れちゃうから、生き方が分からないし、肩身が狭いって言う。でも、「刑務所に戻ったほうがいいと思いますか?」と聞くと、「いやあ、娑婆がいいですよ」って言うんですよ。矛盾してるでしょう。なぜそんなに生きづらい、窮屈な思いをして、責任も負わされて、それでも外の世界がいいのかというと、「やっぱり娑婆は自由ですから」と言うんです。あなたの今の状況は自由じゃないんじゃないの? と思うけど、そこはほとんどの人が同じことを言っていた。


六角 そこでしか生きられない人の自由だな。そういうものがきっとあるんだ。僕たちはあまり自由だと思って生きてないですもんね。


西川 そうなんですよね。非常にレンジの狭い自由かもしれないけど、私たちが見てるこの空よりも、空が広く見えるんだろうな、と。そんな感覚からなんとなく生まれてきた台詞なのかもしれない。


六角 分かる気がしますよ。それは。


西川 そうですね。でも「Under the open sky」っていう英語のタイトルを聞いたとき、ちょっと怖い言葉だなとも思いました。晴れ晴れしたようなタイトルでもあるけど、何となく寄る辺がないというか、ちょっとだけ怖さを感じる。意味的には「すばらしき世界」というタイトルの両義性に通じるところもあって、いいタイトルを付けてもらったなと思います。

■何でもない人間の苦悩と喜び


ーー佐木さんの『身分帳』が「群像」に発表された一九九〇年はバブルの最中で、文学の世界でも様々な新しい小説や批評が出てきていた時代でした。そんな中で、元戦争孤児の男が社会と葛藤していく本作には、ある種、時代遅れ感があった気がします。その小説を今、映画化されたのは、逆に現代に通じる普遍性を感じられたのでしょうか。


西川 まさに生まれた時から遅れていた小説なんでしょうね。たしかに、七〇年代頃に書かれた小説のようなタッチを感じます。


六角 僕が読んだのは九〇年代後半でしたが、やっぱり七〇年代くらいの話のような気がしていました。ちょっと歴史ものみたいな感触というか。僕が子どもの頃には、戦争の傷跡はほぼ残ってなかったですから。ただ古さそのものが作品のテーマでもあるから、そのまま古いものとして受け入れたという感じでしたね。


西川 でも、もしかしたら、『身分帳』と同じ時代の最先端であった作品のほうが、今読むと古さを感じてしまうかもしれないですよね。九〇年前後の時代感が強い分だけ余計に。


六角 そうかもしれない。


西川 ただ、映画化するのは結構勇気が要りました。こんな話をいったい誰が観たいんだろうと。ヤクザ映画もなくなって、はぐれものがカッコいいという時代ではまるでなくなってるし、中年の男が刑務所から出てきて、ただ単に何でもない日常が続くだけでドラマがあるわけでもない。そんな話を誰かが観てくれる映画にできるだろうかと思いながら作っていたんですけど。


六角 たしかに誰が観るんだろう、という気がしますよね。すみません、監督。

ただ……、僕は映画が完成して試写を観た時に、この作品に出てほんとに良かったと思った。


西川 うれしい! 


六角 だから、佐木隆三さんという作家を知ってて良かったし、佐木さんの小説を読んでて、この映画に出て、それを観た時に、こんなに面白かったということが単純にすごくうれしいんです。この映画の面白さはどこにあるんだと聞かれたら、ひとりの男の苦悩と喜びの日常を描いているところにあると言いたい。それが何だ? と言われたらそれまでだけど。人間ってものが精一杯に生きている姿を見て、自分がどうやって生きてるのか、それぞれが振り返ってくれればいい、そうやって観れば楽しめると思うんです。世間的にピンとくるキャッチフレーズはないけど、だからこそ映画にする意味がある。映画ってそういうものだと思うんですね。


西川 ええ。一言にまとめられないものだから、映画にしているんです。



ーー佐木さんは『身分帳』の単行本のあとがきで、「法律に触れたことが〝マイナスの営み〟であっても、その人に固有の価値観は揺るがない。ステレオタイプでない価値観に出合うために、わたしは生きているのだ」と書かれています。固有の価値観で生きている人を描いたのがまさに『身分帳』だったし、映画からもそれを強く感じました。


西川 佐木さんがこの映画を観て、どう思われたのかって感想を聞きたかったですね。


六角 だけどさ、昨今いろんなものが映画になるでしょ。これは僕のイメージだけで言うんだけど、原作と映画がずいぶんかけ離れてしまったり、どこかを強調したいがために原作を大きく歪曲してしまったり、そのことで果たして面白いのか面白くないのか分からなくなってしまっているものが結構ある気がするんですよ。でも映画『すばらしき世界』は、『身分帳』を読んだイメージとあまり変わらなかったんです。時代設定もエピソードもこれだけ原案と変えているのに、小説の皮膚感覚みたいなものがちゃんと残っている。こういう映画も珍しいと思う。それはやっぱり監督がしっかり時間と手間をかけてリサーチをして、違和感のある部分は除いて、そのうえで現代にしっかりと映し込んだ結果だと僕は思います。


西川 そう言っていただけると、四年間が報われます。本当に。


六角 それだけしっかりと吟味していかないと、きっとどこかに落とし穴ができちゃう。僕はこの映画を観て、本当に噓がないというか、噓にしてないところが素晴らしいと思った。


西川 ありがとうございます。現場では六角さんと多くはお話ししませんでしたけど、この作品のテーマに共感してくださっていることが心の支えになっていました。


六角 やっぱり役を自分の心に落とし込まないと始まらないんだけど、ちゃんと落とし込める状況を作ってくれていたのが脚本の力だったと思います。


西川 これまで私は原作ものをやっていなかったので、長い小説を二時間の映画に落とし込むための技術もないですし、作者の佐木さんは亡くなっていて主人公のモデルも分からない。すべてゼロからのスタートだったんですが、何しろこの小説は面白いと思ったのが最大のモチベーションでした。もちろん苦労はしましたけど、全体的にはやっぱり楽しくてしょうがない作業でしたね。だからこんな面白い小説を書いてくださった佐木さんにすごく感謝していますし、佐木さんの書かれた台詞の面白さを、映画でも俳優さんに言ってもらってスクリーンに活かせたのは、「やった!」という気持ちです。




テキスト起こし:小林芽以(ブラインドライターズ)

(二〇二〇年十二月二日、都内にて)

映画『すばらしき世界』

二月十一日(木・祝)より全国公開

出演:役所広司 仲野太賀 橋爪功 梶芽衣子 六角精児 北村有起哉 白竜 キムラ緑子 長澤まさみ 安田成美

脚本・監督:西川美和

原案:佐木隆三著「身分帳」(講談社文庫刊)

配給:ワーナー・ブラザース映画

https://wwws.warnerbros.co.jp/subarashikisekai/

「群像」2021年3月号より

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