遠藤彩見『二人がいた食卓』インタビュー 「食」と「料理」と「人間関係」と。

文字数 5,952文字

「給食のおにいさん」シリーズ、『キッチン・ブルー』など、食にまつわる著書で知られる遠藤彩見さん。「食の検定」1級の持ち主であり、最新作『二人がいた食卓』に出てくる料理はどれも美味しそうで、作中には食に関する知識もちりばめられています。食の好みの違いによる夫婦のすれ違いを描いた最新作。執筆のきっかけや、食に対して日々抱いている思いなどを語っていただきました。

【聞き手・構成】瀧井朝世 【写真】村田克己

◆「料理をテーマにした小説」のイメージを、覆す作品


──新作『二人がいた食卓』は、結婚して半年になる夫婦が、食の好みの違いという壁にぶつかる話です。読みながら身につまされたり、はっと気づかされたりする場面が多くて。遠藤さんはこれまでにも「給食のおにいさん」シリーズや『キッチン・ブルー』などを発表されていますが、食は興味のある題材なのでしょうか。


遠藤 私は幼い頃太っていて、小学生の頃からダイエットを意識する一方、食べることが大好きで、食に対して抗えない力を感じていて。とても悩ましかったのを憶えています。

大人になり働くようになってからは好きなものを食べまくるようになったのですが、三十代で食物アレルギーが分かったんですよね。赤身肉やジビエ系の肉が一切駄目になったんです。それまでは真夜中の叙々苑サイコー! という人生だったのに(笑)。そこからマクロビや漢方なども取り入れていった時、食というのは楽しみである一方で、生きていくためのツールなんだと実感しました。それに、人間関係も少し変わってしまったんですよね。アレルギーで食べられないと言うと、心無いことを言う人もいて、いろいろ考えてしまうようになって今に至ります。


──そうだったんですね。それで、また食をテーマにした小説を書こう、という話になったのでしょうか。


遠藤 『キッチン・ブルー』を出した後に、講談社の担当編集者から食で恋愛関係を描かないか、という提案があったんです。若いカップルが恋愛して、結婚して関係が変わっていく様子を食を通じて描くのはどうか、と言うので面白そうだなと思いました。そこで自分が抱えてきたモヤモヤも書けるかなと思ったんですよね。なので、今回はわりとダークな部分が出ました。


──そうですね、料理が題材の小説というと美味しいものを食べて幸せになる展開を想像しがちですが、これはまた違う切り口なのが新鮮でした。主人公の泉は二十六歳で会社の同僚の旺介と結婚。半年が経っている。泉はもともとあっさりした味が好み。旺介のコレステロール値が高いこともあり健康的なメニューを作りますが、「ファミレス舌」だという旺介はあまり嬉しそうではないという。


遠藤 私と泉は共通点があって。料理する時に相手の反応がめちゃめちゃ気になるタイプなんです。料理が下手でも全然気にしないで堂々としていられる人と、美味しくできなかった時に「ごめんなさいごめんなさい」と言う人と、二通りに分かれると思いますが、私は後者で、失敗した時は土下座ものです(笑)。なぜそうするかというと、どこか美味しいものを作ってテストにパスしないといけないと思っているんですよね。料理が上手だということと自分の価値を結び付けている。泉も、認められたい気持ちがあるんです。

旺介は明るくてほがらかで食べたいものを食べたい人。恋人としては最高に楽しいんですけれど、結婚してからは、食の力には抗えずに「だって食べたいんだもん」という部分が出てくる。


◆泉と旺介、ここがダメだよ!


──旺介の食生活を変えようとする泉の奮闘が描かれますが、前半を読みながら、もしもこれが、妻が手料理で夫を満足させて幸せになるという展開だったらやや古風な話だな、と思ったんです。でもそうではなく、それぞれが自分と向き合う話になっているのがものすごくよかったんです。


遠藤 泉はもともと、自分に自信がないんですよね。旺介との恋愛のきっかけが食だったし、食を通じて関係を作っていったということも大きい。最初から食を道具として使ってしまったんですよね。


──ああ、恋人時代、職場に内緒でつきあっていた二人が公認の仲となるきっかけが、泉が作ったドライカレーの匂いで……。あれは、泉はなかなかの策士だなと思いました。


遠藤 自分もあの場面は「嫌だなあ」と思いながら書きました(笑)。ただ、泉はそこまで策を練っているというより、必死でもがいて、思いついたことはなんでもやってみる、という人だと思います。それも全部、自分のことを認めてもらいたいだけなんですよね。


相手が「今は調子悪いから放っておいて」という態度の時に踏みとどまれる人と、そんな時でも相手に存在を認められている手応えがほしい人がいると思いますが、泉は後者ですよね。自信がないから視野が狭くなっているともいえます。


──旺介に対する評価はどうですか。個人的には、泉が作った料理をこっそり捨てていたと分かった時には「ひどい」と思ってしまいましたが。


遠藤 食べ物を捨てる場面は私も抵抗がありましたが、実際にインターネットの掲示板を見ていると、作ってもらったお弁当を捨ててコンビニで食べた、といった話を見かけるんですよね。旺介もあれだけ追い詰められたら、そうするかなとも思います。

本当は、泉にガツンと思っていることを言えばいいんですよね。でも優しいからそれができなくて、「バレないように捨てればいいや」と思ってしまった。旺介が泉の自信のなさをもう少し理解して、彼女の作った料理を食べないからといって彼女を愛していないということにはならない、それはまったく別のことだと伝えて、泉は泉で聞く耳があればいいんですけれど、なかなかそうならない。


──泉があの手この手で旺介に手料理を食べさせようとする姿は、どうかすると夫を食によって支配し、コントロールしたがっているようにも見えます。


遠藤 料理は権力であるとともに、相手の満足度が目に見えるんですよね。食べたかどうか、美味しそうかどうかはっきり分かる。そこにとり憑かれると「もっともっと」となって、手料理という名の権力を追求してしまう。

食べる側が権力を握ることもできるんですよね。何を作っても文句を言う人もいる。「まずい」と言うと簡単に相手の上に立てるから、それで権力を握ろうとするんでしょうね。


──ああ、旺介が珍しく調理してくれた肉が固くて、泉がアレンジしてその肉を調理し直す場面がありますよね。なぜそれで旺介が気分を害するのか、一瞬理解できなくて、そんな自分を反省しました(苦笑)。


遠藤 泉にしてみれば、あれは「美味しいものを作ってあげる人」という自分の立場を死守するための行動だったんですよね。あそこで見せつけた、というか。あれはやっちゃいけなかったなあと思います。

◆印象的に描かれる、それぞれの家庭における「食卓」


──「料理が上手いほうが女として上」とか、「男を落とすなら胃袋をつかめ」といった考えは古いと思いますが、まだまだそういう刷り込みがあるように思います。


遠藤 私も昭和の女なのでそういう価値観で育てられてきました。もちろん料理が上手いのはいいことだけれど、今はスーパーのお惣菜やUber Eatsなど便利なものもあるのに。少し前にツイッターで、スーパーで子ども連れの女性がポテトサラダを買おうとしたら、そばにいた男性に「それくらい作ったらどうだ」と言われているのを目撃したというツイートが話題になって「ポテサラ論争」が起こりましたよね。別に買ったっていいのに。


──本当にそうですよね。それにしても、食も含め生活スタイルも価値観も多様化するなかで、他人同士が一緒に生きるって難しくなっているのかもしれません。


遠藤 基本的には心と心の問題だと思いますが、それを取り巻くツールも環境も多様すぎて、それらを整えていくのは大変なんだろうなと思います。そのなかでも食は一日三回と、数が多いので、お互いの違いが表れやすいんじゃないでしょうか。

食材が限られていた江戸時代が舞台だったら、この小説は成立しなかったと思うんです。今は食材を選ぶのも、種類が多くて大変な時代。料理だって、昔は十品でもうまく作れるメニューがあれば料理上手と褒められましたが、今は何でも作れないと言われない。実際、ポピュラーな料理の種類は昔と比べて五倍くらいだと聞きますし、これからもどんどん増えていくと思いますし。


──そんななかで印象的なのが、旺介の実家です。義母が振る舞ってくれる料理が、あまり美味しくない。泉は内心愕然としますが、他の家族はなんとも思っていなそう。


遠藤 あれは友達のお姑さんがモデルなんです。お義母さんは料理上手ではないけれど、自信満々で料理を出すので、友達は義実家にいくのが辛いと言っていました。でもそういう話を聞くと、食事って三六五日三食全力で味わって食べるわけでもないんだし、自分が食事を作るたびにテストを受けている気分になるのは、自分で自分を縛っていることになっているんだなと感じます。


──義実家では、お義父さんがずっと隠していることがあって、お義母さんはそれに気づいているけれど知らないふりをしている。お互いに気遣う関係が微笑ましかったです。


遠藤 あれぐらい許しあえていればいいんでしょうね。きっと長い年月のなかには、それでケンカしたこともあっただろうし、我慢も必要だったんでしょうけれど、それを乗り越えてきたんですよね。


──一方、泉の実家は、父親がとても厳しくて、どこにいっても威張り腐っていますね。あのお父さんは強烈でした。


遠藤 わりと自分の体験を踏まえて。実家に住んでいると、たいていの時間は自分の部屋にこもっていたとしても、食事の時は家族が食卓に揃う。親として、食事の時間って権力を発揮する時間なんですよね。それで子どもはますます息苦しくなってしまう。


──だからこそ、泉は幸せな食卓への憧れが強いのかもしれませんね。本作では、二人の現在の様子の間に、過去にさかのぼって恋人になる前から結婚を決めて……といった過程が挿入されていく。現在の彼らと過去の彼らがあまりにも対照的。


遠藤 編集者さんから「映画の『ブルーバレンタイン』みたいな感じで」と言われたんです。恋愛中は盛り上がっているけれど、結婚してこの二人は食べ物によって距離ができていく。作中にも書きましたが、おいしさは恋で栄養は愛、ですよね。


◆人間関係についての小説をこれからも書いていきたい


──二人が勤務する会社が、コンビニのお弁当などのプラスチック容器を作っている、という設定も面白かったです。泉がお弁当の容器のプロジェクトに関わったり、会社で不要な食材を集めるフードバンクを行ったりといった様子もあって。


遠藤 使い捨て容器に惹かれたのは、対象となる消費者のことをものすごく考えて作られているなと思ったからです。どんな時に、どれくらいの量をどこで食べるのか考えて工夫がなされている。そういうものを作る人たちは、丁寧に人間観察しているのではないかなとも思いました。

衛生上の問題で工場は見学できなかったのですが、プラスチック容器製造会社三社に取材しました。印象に残っているのは、こんなに人の役に立っているのに、「自分たちはゴミを作っている」とおっしゃっていたこと。でも、食という幸せを味わうためには器が必要で、かりそめの器であったとしてもそれによって栄養を摂った事実は残る。やりがいのある仕事じゃないかなと感じます。


──会社では気を遣って、泉はあえて旺介にそっけなく振る舞っているなど、職場の同僚や、自宅マンションの住人との関係やその心理もすごく生々しかったです。


遠藤 これまではちょっと変わったシチュエーションであったり事件が起きたりと山のある話を書いてきましたが、今回は本当に二人の地味な「食べられるか食べられないか」という話なので、話を進めていくためにいろんな人のエピソードを入れていきました。


──職場で、独身女性が幼い子どもがいる同僚の女性について、「友達と言えばいいのにわざわざママ友って言う」と陰で言いますよね。そこに違和感を持つ人もいるのか、という驚きがありました。


遠藤 あれは実際にそういうことを言っている人がいたんです。私も、「友達」ではなく「ママ友」と言うのは、微妙に気づかいがいる相手だという意味合いを含ませているんだなと思っていたので、人によって感じ方の違いってあるんだなと新鮮でした。


──そういう違いって、意外と多いんでしょうね。身近だったり大切だったりする相手が、なにかしらの考え方や好みが決定的に違う時、どうつきあえばいいと思いますか。


遠藤 相手の好みや希望に対して「えー(驚)」とか「あー(残念)」とか言わないことでしょうか。たとえば私の場合、肉の代用品として大豆の食品があるという話をすると、「えーそれってさみしー」とか、「肉食べられないなんて長生きできないよ」とか言われることがあって、「ふう……(溜息)」となります。私も、たとえば食べないにしても赤身の肉は調理する時に匂いが強いのが気になりますが、そういうことは言いませんし。


──今後も料理をテーマにした小説は書いていきますか。


遠藤 料理って、材料を手にするまでにもドラマが生まれるし、そこからもマラソンと一緒で、食べるというゴールに向かって走る途中にいろんなことがあるので、きっとまた書くと思います。ただ、ほのぼのしたものを書こうとしても、私の場合はどこかひねくれてしまいそうです(笑)。


──料理以外でも、いろいろと書きたいことはありますか。


遠藤 そうですね。私はやっぱり人間関係を書くのが好きです。痴情のもつれとか、大好きなんですよ(笑)。こんなことがあって人と人がバトルになるといった話や、サバイバル番組や、アイドルのバックステージものの映画のような、舞台裏で人間関係がごちゃごちゃしている話も、大好きです。そうした人間関係についての小説を書いていきたいです。

遠藤彩見(えんどう・さえみ)

東京生まれ。1996年、脚本家デビュー。1999年、テレビドラマ「入道雲は白 夏の空は青」で第16回ATP賞ドラマ部門最優秀賞を受賞。2013年、『給食のおにいさん』で小説家としてデビュー。同作はシリーズ化されている。他著に、『キッチン・ブルー』『イメコン』『バー極楽』など。

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