本読みのプロはこう読んだ! 傑作親子小説『レペゼン母』の魅力とは?

文字数 2,955文字

第16回小説現代長編新人賞を受賞した宇野碧『レペゼン母』が大好評!


梅農家を営むおかんが、偶然再会したダメ息子とラップバトル親子喧嘩をする――という異色の本作。その魅力を、本読みのプロ藤田香織さんが読み解きます!

知る楽しみ、生きるための闘い

 意味がわからなかった。


「レぺゼン母」である。「レぺゼン」ってなんだ? 聞いたことがないな。プレゼン、じゃないのはわかる。レ・ペゼン? レペ全?


 もちろん「知ってる」人はいるだろう。でもそれは、私の生活圏で日常的に使われている言葉じゃないのは明らかで、「知りたい」と思ったことさえない世界の用語だと想像できた。知らないままでもまったく問題なく生きて来られたのだから。


 本書の主人公である深見明子も、「知らない」側のひとりだった。和歌山の田舎町で梅農園を経営する明子は、結婚してわずか五年八ヵ月で夫の五郎を亡くし、以来、約三十年間半径十キロ圏内の山間部に点在する十の梅畑、五千本はある梅の木を管理し六十四歳になるまで生きてきた。


 梅農園は収穫時期の梅雨時が一年で一番忙しい。ところが、多くの臨時のアルバイトを雇い、今年もどうにか乗り切ろうと奮闘していたところへ、ひとつ屋根の下に暮らし、明子を「おかあさん」と呼ぶ沙羅が突然、思いがけぬことを言い出した。


「バトルに出たい」


 バトルとは〈ラッパー同士が、即興のラップで相手を「ディス」り合う──つまり罵倒し合う、ラップバトル。MCバトルともいう〉もので、高校を中退した頃からヒップホップのミュージシャンへの憧れを抱いていた沙羅は、諦めきれぬ想いを胸に、自分なりの目標を掲げて行動に移すことに決めたという。

 ヒップホップもラップバトルも、明子にとっては無縁の世界である。働き手として頼りにしている沙羅が仕事を抜けるのは一日だって痛い。しかし、明子は沙羅の気持ちを快く受け入れたのみならず、行きがかりで大阪の会場まで自らも付き添う、と申し出る。


 人生で初めてのライブハウス。初めてのラップバトル。


 まずは明子の「初」を通して、読者にも物語にとって重要な「用語」を解説していく流れが巧い。

「サイファーて何? ラップのクラブみたいなもん?」と明子が訊けば、「まあね。そんなかっちりしたもんじゃなくて、輪になって順番にラップし合う練習というか遊びというか、修行場みたいな感じかな」と沙羅が答える。ラップバトルの評価ポイントとなる「パンチライン」とは決め台詞のようなもので、「フロウ」は、歌い回しや聞き心地、リズムにいかに乗れているかというような意味。「バイブス」は雰囲気や情熱、その場の空気を支配しているかというようなこと。「アンサー」とは、相手の言ったことに強い返しができているか。「韻も甘いし、使い古されたようなパンチラインだし。強いて言えば、後攻の方が若干フロウはスムーズで、バイブスもあったかな。(中略)まあ、お互い全然アンサーはできてなかったですね」といった意味不明な言葉を、明子が「知る」と同時に多くの「知らない」読者も自然に理解していく。


 知らない世界の扉を開くことが、読書の大きな愉悦であるとはわかっていても、興味の欠片もない物事について知りたいと思うことはなかなかない。正直、個人的に「ヒップホップ」や「ラップ」には、ガチャガチャ汚い言葉でYOYO言ってるやつだよね? 程度の認識しかなく、耳を傾けようという気になったことさえなかった。だから本書を手に取ったのは、これが昨年度の小説現代長編新人賞受賞作だったから、という理由一択でしかなかった。


 ところが。読み始めて二十分も経たぬうちに、作中でいえば「韻を踏むってどういうことですか?」と訊いたアルバイトの佐久間春馬に、沙羅が「春馬君は、名前自体が韻を踏んでるよ」と教えたあたりから、頭の中に物語の世界が凄まじい勢いで広がり、集中して言葉を操るラップの面白さに惹かれていった。


 あかさたなはまやらわ、いきしちにひみいりい。漠然としか知らなかった韻を踏む=なるべく母音を同じ

にするってことなのか、と納得し、沙羅が「『昼休み』と韻を踏む言葉考えて」と言えば、つい「春休み」は弱いかな。じゃあ「まくわうり」? などと思案してしまう。なぜラップバトルは基本、罵り合うのか。ヒップホップの原点とは何か。知りたいと思ったことさえなかったのに、知ることが楽しく、発見と興奮と納得が繰り返されることで、心が躍りだした。


 やがてそのラップバトルをもって、明子が失踪中の息子・雄大と対決する場面が、いわば本書の山場だ。


 三十五歳になる雄大は頭痛の種でしかない「クソバカ息子」で、幼い頃から悪戯や悪事をはたらいては事後報告&隠蔽を繰り返し、高二で鑑別所送りになり、高三で彼女を妊娠させた。紆余曲折の末結婚したものの一年後には妻と一歳直前の息子を置いて勤め先のバイト女子と失踪。どうにか離婚が成立し再婚したのに三年と持たず再び離婚。当時十九歳だった沙羅と三度目の結婚をしたと思ったら三年前にまた明子の前から姿を消していた。〈数え上げればきりがない。雄大はいつも安易に何かに憧れて大きなものを目指しては、地道な努力ができずにすぐ挫折した〉。追い打ちをかけるように雄大が作った借金の督促状が届き、明子の怒りは頂点に達する。


 なぜ、どうして、こんなふうになってしまったのか。自分の育て方が間違っていたのか。その怒りが、嘆きが、哀しみが「私はおかんをやめる さよならや」と明子に叫ばせるのだが──。


 勝つためには相手を理解することが大切だと教えられ、雄大の誕生からを改めて思い起こす明子に訪れる気づき。長い長い歳月、「バカ息子」雄大が上手く伝えられず抱えていた屈託。三十五歳にもなるまで、どうしてそれが言えなかったのか。明子もなぜ思い至らなかったのか。


 でも、だけど。どちらの気持ちも「わかる」と胸が痛む。


 読みながら、知りたい。もっと知りたい。知っておきたいことが自分にもある、と思いが込み上げてくる。聞いて、応えて、訊いて、答えて。ヒップホップもラップも、親の気持ちも、子の気持ちも、そして自分の気持ちもまた然りだ。

この書評は「小説現代」2022年9月号に掲載されました。

藤田香織(ふじた・かおり)

1968年三重県生まれ。書評家。文芸誌や新聞、ウェブメディアなど、様々な媒体で執筆。著書に「だらしな日記」シリーズ(幻冬舎文庫)、『ホンのお楽しみ』(講談社文庫)、『東海道でしょう!』(幻冬舎文庫、杉江松恋との共著)などがある。

第16回小説現代長編新人賞受賞作!

『レペゼン母』(宇野碧 著)


マイクを握れ、わが子と戦え!


和歌山県の山間の町に住む深見明子。穏やかに暮らす明子の唯一の心残りは、女手一つで大事に育て上げた一人息子の雄大のこと。女手一つで大事に育て上げたのに、二度の離婚に借金まみれ、あげく妻を置いて家を飛び出すダメ息子に。いったい、私の何がいけなかったのか。

そんな時、偶然にも雄大がラップバトルの大会に出場することを知った明子。

「きっとこれが、人生最後のチャンスだ」

明子はマイクを握り立ち上がるーー!


読むと母親に会いたくなること間違いなし! 笑えて泣けてグッとくる、親子小説の大本命!

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