「ラランド」のニシダはこう読んだ! 傑作親子小説『レペゼン母』の魅力とは?

文字数 2,622文字

第16回小説現代長編新人賞を受賞した宇野碧『レペゼン母』が大好評!


梅農家を営むおかんが、偶然再会したダメ息子とラップバトル親子喧嘩をする――という異色の本作。その魅力を、お笑いコンビ「ラランド」ニシダさんが読み解きます!

マイクとビート。 ディスるためじゃない。 分かり合うために。

 人は多面的な存在だ。居る場所や接する人が変われば、振る舞いも言葉遣いも、そして思考ですら使い分ける。こんなことはわざわざ書かれなくても経験から分かるはずだ。けれどわたしたちは他人に相対するとついつい想像力をはたらかせることなく、一面的に評価を下してしまいがちだ。勝手に期待をして裏切られたと失望したり、自分の鑑識眼はたしかだったと鼻高々に誇ったりする。


『レペゼン母』の主人公、明子は三十年前に夫を亡くし、梅農家の経営を引き継ぎ暮らしている。一人息子の雄大は二度の離婚をし、多額の借金と三人目の妻の沙羅を残して消息不明となった。母から見ればとんだ馬鹿息子だ。血は繫がらないながらも、一人娘のように思っていたHIPHOP好きの沙羅にMCバトルの大会に出たいと打ち明けられ、付き添うことになる。しかし、明子の前で沙羅は惨敗。男社会のラップシーンで、相手MCの鬼道楽に下品にあしらわれた沙羅を見て、明子は憤る。沙羅は次の大会にエントリーするが不運にも初戦の相手はまた鬼道楽であった。緊張と体調不良で出場できない沙羅の代役として六十四歳の明子はマイクを握る。その明子の姿が関係者の目に留まり、大きな大会への出場を打診される。戦う理由がないと一度は断る明子だったが、消息不明だった雄大が大会に出場すると分かり、明子は出場を決意し、雄大とステージで相見える。


 明子は実に多面的な人なのだと思う。梅農園では性別年齢の様々なバイトたちを率いて陣頭指揮を執り、仕事ぶりの芳しくない働き手には非情な決断を下す、経営者としての顔。仏壇を前にして亡き夫について物思いにふける妻としての顔。その地域に暮らす一人としてコミュニティに溶け込む地元住人としての顔。描かれてはいないだけで、場所や相手によっていくつもの顔を使い分け、空気を読む女性なのだとわたしは感じた。今思うことを相手に伝えて良いのだろうかと悩む明子の姿は随所に見られる。


 けれどその多面的な人格の根底にあるのは母としての顔だったのだろう。息子を思い、健やかな成長を願う母としての顔。夫を亡くし、自分一人で雄大を守らなければ、育てなければという強い母としての一面。ステッカーに書かれた一九九五年という年を見て、「年代が、自分の年齢ではなく息子のそれと結びついている。まだ母親年表を生きているのだと、明子はぼんやり思う。」と表現されたのが印象的だった。明子は現在でもまだ母として生きている。


 雄大とのフリースタイルバトルに向けて、明子は雄大と過ごした時間に向き合う。雄大の産まれた助産所に向かい、アルバムをめくり、古い思い出の品々を引っ張り出して、親子の日常を回想する。


 印象的だったのは雄大が四歳の頃の、百貨店での記憶だ。梅を物産展で取り扱ってくれると大きな街の百貨店に出向いた明子は、約束の時間ギリギリで焦っていた。車に忘れ物をしたことに気付き、ここで待っていてと雄大に言いつけ明子は急いで車に戻る。元の場所に戻ると、雄大はいなくなっていた。百貨店中を探し回り、館内放送を流してもらい、必死に探した挙句、雄大は車の助手席に座っていたのだった。心配から明子は雄大を怒鳴る。けれど回想の主、明子は気が付くのだ。どうして褒めてやらなかったのか、迷う前に車に戻った機転と冷静さを。泣かずに待っていた気丈さを。四歳の男の子、頼れるのは母しかいないはずなのに。なぜ良い所に気が付いてあげられなかったのか。


 明子は母として一面的に振る舞い、思考は母として形作られていたのだ。少なくともわたしからはそう見えた。母と子という一面的VS一面的な構図が意識に形作られ硬直してしまっていたのだ。勿論愛ゆえのことだ。父のいない息子を一人前に育てなければという自覚もあっただろう。けれど愛は同時に強い執着として子供を縛りつけている。その気付きによって初めて雄大を我が子ではなく一人の人間として、多面的な独立した人格として見ることができるようになり、母と子は観客の前で言葉をぶつけ合う。雄大の多面性を認め、明子は母としての一面性から解放される。


 最後にビートが鳴り止むともはや母と子ではなくなっている。最後のバース、明子は『さよなら 雄大』で締める。母から解放される明子の悲しさが『さよなら』に凝縮されている。ラップがなければ、二人はきっと向かい合えなかった。胸の中で乱雑に湧いては消える思いが、限られた小節という制約の中で言葉になっていく。分かり合えない母子は分かり合おうと努める二人の人間になる。


 私事で恐縮なのだが、『レペゼン母』を読んだわたし自身も両親と仲違いをしている。借金を肩代わりしてもらったこともある。わたしは雄大に自分自身を重ね合わせて読み進めた。そう読むより他になかったのかもしれない。わたしにとって、そしてわたしの両親にとってマイクロフォンとビートに代わるものはなんだろうか。否応なく考えさせられた。

この書評は「小説現代」2022年9月号に掲載されました。

ニシダ

お笑いコンビ「ラランド」のツッコミ。1994年7月24日山口県宇都市生まれ。最終学歴は上智大学外国語学部中退(退学後面接を受けて再入学するが、履修登録ミスのため再び退学)。趣味は読書で年間純文学を中心に100冊以上を読む。最近では小説家デビューを果たすなど芸人をしながら執筆活動も積極的に行なっている。

第16回小説現代長編新人賞受賞作!

『レペゼン母』(宇野碧 著)

マイクを握れ、わが子と戦え!


和歌山県の山間の町に住む深見明子。穏やかに暮らす明子の唯一の心残りは、女手一つで大事に育て上げた一人息子の雄大のこと。女手一つで大事に育て上げたのに、二度の離婚に借金まみれ、あげく妻を置いて家を飛び出すダメ息子に。いったい、私の何がいけなかったのか。

そんな時、偶然にも雄大がラップバトルの大会に出場することを知った明子。

「きっとこれが、人生最後のチャンスだ」

明子はマイクを握り立ち上がるーー!


読むと母親に会いたくなること間違いなし! 笑えて泣けてグッとくる、親子小説の大本命!

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