短編黄金時代よ、再び 『爆発物処理班の遭遇したスピン』 /前編

文字数 7,519文字

大長編『テスカトリポカ』で山本周五郎賞&直木賞をW受賞した佐藤究が、キャリア初となる短編集『爆発物処理班の遭遇したスピン』を発表した。作品ごとにまるで異なる世界が創出された全八編は、連作ではない「独立短編集」として至高の完成度を誇る。いわばオリジナルアルバムでありながら、ベストアルバム。著者自身による全作セルフレビュー形式で、本書の軌跡を振り返ってもらった。(前編)


聞き手:吉田大助

撮影:森 清

本インタビューは、「小説現代」2022年8月号にて掲載されました。

Intro コンセプトは「捨て曲なし」



──江戸川乱歩賞受賞の『QJKJQ』(二〇一六年)、大藪春彦賞&吉川英治文学新人賞をW受賞した長編第二作『Ank: a mirroring ape』(二〇一七年)、そして『テスカトリポカ』(二〇二一年)と既刊三作は全て長編であり、佐藤究=ゴツい熱量を封じ込めた長編作家というイメージがあったと思います。でも、実はデビュー直後から短編を書き継いでいたんですよね。

 書き継ぐというより、あくまで雑誌のオーダーに応じてなんですが(笑)。もともと短編のファンなんですよ。最初に小説の面白さを教えてくれるのは短編ですよね。原稿用紙一〇〇〇枚の大作を入口にする人って、あんまりいない。たとえるなら長編は都会の大劇場で、それこそスターも出演しているような大掛かりな芝居、短編は地元の町の小さなハコで観た芝居。ハコは小さくても、初めて表現に触れた驚きはずっと残りますよね。そういう感覚を新たな読者に提供できたらな、という思いはあります。


──短編が、小説という広大な世界の入口になった。自分の短編集も、誰かにとってそうなり得るかもしれない。となると……生半可な気持ちでは出せなかった?

 一冊にまとめるとしても、当分無理だなと思っていました。もう少し弾を集めたところで、厳選するつもりだったんです。例えば音楽のアルバムって、気に入った曲が二つあれば割とおトクだったと感じるじゃないですか。「捨て曲がなかった。全部良かった」となるものって相当珍しいです。小説の短編集を読む時も、同じ感覚がありますよね。ただ、その感覚を作る側に回った時に当たり前のように適用してしまうと、二つ三ついいものがあれば他は質が落ちていてもいいよね、というスタンスになってしまう。自分としては、出すなら「全部良かった」と感じてもらえるものを目指したかったんです。そんな感じで、のんびりしていたら、講談社から「短編集を出します。企画はとっくの昔に動いています」と言われ、このタイミングで強制的に出さざるを得なくなってしまった(苦笑)。まあ、二度もデビューさせてもらった(※二〇〇四年に「佐藤憲胤」名義で群像新人文学賞優秀作を受賞したのが一度目のデビュー)恩を返す機会が来た……と思うことにしました。


──収録作の半分は『小説現代』および同誌のムックが初出ですが、残り四編の発表媒体はバラバラです。内容は本当にカラフルで、長編に比肩する熱量満点の短編もあれば、ほどよい軽みを持った短編もある。傑作揃いでした。

 さすがに傑作揃いは言いすぎだと思いますよ(笑)。怪作揃いくらいにしておいてください。六年前に書いたものもあるので、今の自分からすると思うところがないわけではないんですが、読み返してみて水準は超えていると判断したんです。一度デビューに失敗しているので、「外したら次の仕事は来ない」ということは身に沁みて分かっていたんですよね。その気持ちは短編を書く時も同じで、毎回毎回、全力投球せざるを得なかった。それが良かったみたいですね。

1st track 「爆発物処理班の遭遇したスピン」



──『QJKJQ』の文庫版巻末解説で、同作は島田荘司さんが提唱した「21世紀の本格(ミステリー)」の系譜にあると書かせてもらいました。「21世紀の本格」はものすごく簡単に言うと、エドガー・アラン・ポーやアーサー・コナン・ドイルが生きた時代にはなかった現代科学の知見を盛り込めば、前世紀までのミステリーをアップデートできる、という考え方です。『QJKJQ』で導入されていたのは、脳科学の知見でした。本短編集の冒頭に収録された表題作「爆発物処理班の遭遇したスピン」は、量子力学です。まだ誰も読んだことがないミステリーに挑戦しようとされたのではないでしょうか?

 もともと量子力学には興味があって、独学で勉強していました。フィクションでも量子力学、量子論を取り入れた作品はいろいろあるにはあるんですが、パラレルワールドものになりがちだなと思っていたんです。小説で、多世界解釈ではない形で量子力学のインパクトを出すならどこに注目すればいいか。いろいろと考えた結果、出てきたのがこのアイデアでした。そういう意味では、確かに、まだ誰も触っていなかったところかもしれないですね。


──鹿児島県の小学校に爆破予告が入り、爆発物処理班の宇原らが現場に駆けつけたところ、黒い箱を発見する。宇原は四三・五キログラムの防爆服に身を包み、後輩の駒沢と組んで処理に当たったが……。爆発物処理班は、名前だけはニュースでよく耳にします。その知られざる任務を臨場感たっぷりに綴る冒頭部で、いきなり引き込まれました。

『ハート・ロッカー』という映画はアメリカ陸軍の爆発物処理班を題材にしているんですが、有名なわりにあまり注目を浴びる存在ではないですし、表立った資料もほとんど公開されていないんです。ただ、かっこいいなと思っていたんですよね。根っこには、宇宙服への愛があるかもしれません。防爆服って、宇宙服に似ているじゃないですか。失敗が即、死に繫がるところも、宇宙飛行士が船外活動などで抱える緊迫感に限りなく近い。爆発物処理をする場面は、「地上の宇宙飛行士」というイメージで書いていきました。


──小学校に仕掛けられた爆弾は処理に失敗し、手酷い事態が引き起こされます。すると犯人から、歓楽街のホテルに設置された酸素カプセルに新たな起爆装置を設置したという連絡がきます。カプセルの中には、睡眠中の官僚が入っていた。そして全く同じ爆弾が、沖縄の米軍基地にある酸素カプセルにも仕掛けられていた。二つの爆弾は、どちらかのカプセルの蓋を開けた瞬間、どちらかは必ず爆発する状態にあるというんです。ここに、量子力学が関わってくる。

 パワーリフティングをやっている友人に「酸素カプセルは疲れが取れるよ」と言われて、ハマった時期があったんです。SF好きとか映画好きって、カプセルが好きじゃないですか(笑)。事件の匂いがしますよね。ある時ふと、ここに爆弾が仕掛けられていたら最悪だなと思ったんです。無防備で、完全にリラックスした状態で入った場所が、棺桶になるわけですから。そこから、量子力学の議論と以前から興味があった爆発物処理班のイメージが、結びついていった感じです。彼らにとっては、「犠牲者は出たけど、別の宇宙がありますから」では済まされないじゃないですか。それがいいな、と思ったんです。要は、フィクションといえど小説の中に「死の一回性」が欲しいんですよ。死んでも転生するとか別の世界があるよってことになると、差し迫った感じが出ないんです。


──作中、〈爆発物処理班の職務は、赤や青のコードを一か八かで切るといったようなものではない。それはあくまでフィクションの世界だ〉という主人公のモノローグがあります。〈そんな賭けで人命を危険にさらすよりは、回収した爆発物を安全な場所で爆破する方がはるかに理にかなっている〉と。ただ、面白いのは後半部で「赤のコードか青のコードか」という究極の二択が、これまでにない形でバージョンアップして出てくるんです。究極の二択という感触自体は懐かしいと言えるものなんだけれども、二択の項目のセッティングと、何より解決の仕方が新しい。度肝を抜かれました。

 小説の核に量子力学を据えることで、できることはまだまだあるだろうなと思っています。SFの世界では、『ブレードランナー』の延長線上の未来像がいまだにまかり通っていますが、正直見飽きちゃったんですよね。メタバースだなんだと言ってネット上の仮想空間に飛び込むのもいいんですが、量子力学の視点に立てば現実自体がスリリングだし、面白いんです。だって、物質が実在するかどうかすら確定できないんですから。言ってみれば、現実そのものが「特殊設定」なんですよ。そこに注目すれば、新しい「特殊設定ミステリー」ができるかもしれない。量子力学をエンタメ化する、新しい世代が現れることを心待ちにしています。

2nd track 「ジェリーウォーカー」



──翻訳家・書評家の大森望さんが編者を務める文庫書き下ろしSFアンソロジー『NOVA』二〇一九年春号に発表した短編です。SF映画のクリーチャーを題材にしよう、という着想から始まったのでしょうか?

『Ank: a mirroring ape』のスピンオフをやる案もあったんですが、独立短編派としては、それは避けたかったんです(笑)。何を書くか考えながら、他の仕事もやっているうちに、本当に時間がなくなってきて、一行も書いていない状態のまま、残り二週間くらいになって。やばいな、企画からもう降りようかな、とも思ったんですが(笑)、プロレスラーの鈴木みのる選手が言った「プロに『できません』はナシ」という名言を思い出して、一度引き受けたからにはやるしかない、と。ハリウッドの特撮に出てくるような、クリーチャーの造形は昔から好きで、その概念や哲学を執筆の参考にしているので、いつかその分野を小説にしようと思っていて、それだと決めました。ハリウッドのトップクラスの造形家で、最近は映画監督もされている片桐裕司さんの造形セミナーに参加したこともあるんですよ。目の前で、あっという間にドラゴンやエイリアンが粘土で造形されるのを見せてもらったりして。最初にお会いしたときは、「小説家の参加者は初めてだね」と言われたんですけど(笑)、今では親しくさせてもらってます。


──架空のクリーチャーの造形を専門とするオーストラリア人CGクリエイター、ピート・スタニックは、その独創性からポップスターとして崇められていた。二〇代後半まで凡庸な背景専門画家だった青年が、わずか数年で成功者となったのは何故か? 冒頭、クリエイターの卵からの質問に答えるという形で、主人公の放つ言葉がヒントとなっています。「自然界を観察せよ」と。

 全てのクリーチャーの基礎に動物があるんです。例えば、ウルトラマンのバルタン星人のデザインはセミから来ていますよね。これは片桐さんがセミナーでおっしゃっていたことですが、完全に新しいものを大衆は受け入れられない、どこかで見たことがある部分もあって初めて新しいものだと感じることができる。つまり、先人たちが必死に自然界を観察し、そこに想像力を加えた「キメラ」が映画のクリーチャーなんです。ただ、この世界ではH・R・ギーガーが造形したエイリアンがトップで、それを超えるクリーチャーって出てきていない。それを見てみたい、という願望からできたお話ですね。


──登場するクリーチャーたちが全て魅力的です。後半の「ハリウッド級」と表現する以外ないアクションシーンも含め、読者の脳裡にくっきりとイメージを叩き込んでくる文章がキレッキレでした。

 基本的にどの話も、「この話が好きな人はとことん好き」ってところを目指して作っています。「ジェリーウォーカー」は特にその思いが顕著だったかもしれない。マニアがヘンなものを作って大騒ぎになる話って、一九八〇年代のハリウッドっぽいというか、ちょっと懐かしい感じがするじゃないですか。子供の頃、夏の終わりにポップコーンを食べながら観たような、バカげた話がやりたかった。ある先輩作家さんから「自分も本当はこういう話が書きたかった」と目の前で熱弁されました(笑)。こういう話は意外とみんな大好きなんだけど、懐かしすぎて誰もやらないんですよね。

3rd track 「シヴィル・ライツ」



──江戸川乱歩賞受賞第一作として、『小説現代』二〇一六年九月号に掲載された短編です。歌舞伎町に事務所を構える弱小やくざ団体のお話です。

 北野武監督の映画では『アウトレイジ』が大好きで、加瀬亮のインテリやくざがスタイリッシュでかっこよくて。いまだに『仁義なき戦い』路線のファンタジーやくざが人気ですけど、もっと現実に根付いたやくざの話が書いてみたかったんです。調べてみると暴排条例(暴力団排除条例)の大変さを描いたエンタメ小説が当時ほとんどなかったので。やくざには銀行口座を作らせないし、家も借りられません、という状況についてです。決して彼らに味方するわけではないですが、彼らは僕らの鏡映しでもあるじゃないですか。僕らがどういう世の中を生きているかは、アウトローの視点に立つことで理解できる部分がある。


──経済的に困窮する彼らの姿は、長引く不況にあえぐ中小企業そのものですよね。余裕がなくなった時、暴力に突っ走ってしまうという違いはありますが……。クライマックスの展開は納得感のある驚きでしたし、伏線の張り方も周到でした。

『アウトレイジ』の第二作(『アウトレイジ ビヨンド』)で、バッティングセンターのピッチングマシーンの前に男が固定されて、頭にボールをガンガンぶつけられるシーンがあるんです。『アウトレイジ』をオマージュしている身としては、新たな拷問を考える必要があると思ったんですよね。それで、ああなりました(苦笑)。終盤の展開は、アウトローの人たちが実際にやっているイリーガルな行為をアレンジして、トリックとして使っています。乱歩賞受賞第一作だったこともあり、賞のイメージに応えるというか、ミステリーっぽさを一番意識して書いたものではあるんです。


──本作に限らず、今回の短編集は動物がいっぱい出てきますよね。

 誰かが気付いてくれないかなと思っていたのですが、やっときましたね(笑)。今回の短編集は、個人的に『裏シートン動物記』と呼んでいるんですよ。哲学者のドゥルーズがフランツ・カフカの作品を分析した本で、カフカの短編は基本、動物が出てくる話なんだと指摘しているんですね。『変身』の毒虫を筆頭に、ヘンな猿やコウノトリが出てきたりする。その伝統を、勝手に受け継いでいます。


──振り返ってみれば長編第二作の『Ank: a mirroring ape』も猿の話でしたが、佐藤さんの作品の中に動物が出てくると、人間だけの世界とはちょっと違う地平が開かれていくというか、リアリティの次元が歪んでいく感触があります。

 人間とは全く違う進化の過程が、それぞれの動物たちに宿っているわけじゃないですか。その結果がフォルムに現れていて、動物たちのデザインってよく見てみると謎に満ちているんです。何があってそういう形状に進化したのか、考え始めるとキリがないし面白い。本の中にタコが出てくる短編もありますが、タコも人間と同じ宇宙の中にいると思っているけど、こいつら自体が宇宙の外なんじゃないかって気がしません? 動物たちの存在と、表題作で書いた「自分たちが知っている宇宙は、外宇宙に匹敵するくらい謎なんじゃないか」というテーマは繫がっていると思いますね。

4th track 「猿人マグラ」



──怪談専門誌『幽』の夢野久作特集に寄稿した、都市伝説ホラーです。プロフィールに明記されている通り、佐藤さんは福岡県出身。夢野久作と同郷です。物語は大人の「私」が幼少期に地元で耳にした、「猿人マグラ」の噂話を思い出すことから始まります。小説の冒頭、福岡の風景描写に郷愁を誘われます。長編を含めこれまでの作品では感じたことのなかった、書き手自身のプライベートな部分が出ている感触がありました。

 冒頭は、夢野久作先生が地元福岡で重んじられていない怒りが出ていますよね(笑)。福岡に対する僕の失望が出ちゃっている。書店でこの本を手に取る福岡人は、だいたい納得してくれると思います。だといいけど(笑)。内容的には、久作と言えばやっぱり『ドグラ・マグラ』じゃないですか。他の作家さんもそこを狙ってくるだろうと思ったので、ワードは流用しつつ意味をガラッと変えました。


──一九歳の「私」にサブカルチャーについて教授する那珂川さんという三〇代の男性が、「猿人マグラ」の正体に迫る手伝いをしてくれるようになる。やがて意外な真実の扉が開いていく。

 那珂川さんにはモデルがいて、僕が福岡にいた若い頃、お世話になった先輩です。小説の中にも出した幻想文学とか、松岡正剛さんが編集長を務めていた『遊』という雑誌とか、プログレッシブ・ロックなんかも先輩に教えてもらったんですよね。レイ・ブラッドベリの小説も推してくれて、そこからゴールデンエイジの海外SFを少しずつ読むようになったんです。昔のSFに必ず入っているノスタルジア、どこか故郷を思わせる空気感が、「猿人マグラ」にはあるし「ジェリーウォーカー」にも出ていると思います。そこをフックの一つに取り入れておくと、作中でどんなに異常なことが起きても、現実と地続きになっている感覚を読者に提供できる可能性が持てますよね。

後編に続く!

第165回直木賞作家 異次元レベルの最新短編集


爆発物処理班の遭遇したスピン…鹿児島県の小学校に、爆破予告が入る。急行した爆発物処理班の駒沢と宇原が目にしたのは黒い箱。処理を無事終えたと安心した刹那、爆発が起き駒沢は大けがを負ってしまう。事態の収拾もつかぬまま、今度は、鹿児島市の繁華街にあるホテルで酸素カプセルにも爆弾を設置したとの連絡が入った。カプセルの中には睡眠中の官僚がいて、カバーを開ければ即爆発するという。さらに同時刻、全く同じ爆弾が沖縄の米軍基地にも仕掛けられていることが判明。事件のカギとなるのは量子力学!?

他に、日本推理作家協会賞短編部門候補「くぎ」、「ジェリーウォーカー」「シヴィル・ライツ」「猿人マグラ」「スマイルヘッズ」「ボイルド・オクトパス」「九三式」を収録。

吉田大助(よしだ・だいすけ)

1977年生まれ。「ダ・ヴィンチ」「STORY BOX」「小説 野性時代」「週刊文春WOMAN」など、雑誌メディアを中心に書評や作家インタビューを行う。@readabookreviewで書評情報を発信。

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