川中島の戦い完全ガイド⑤『戦百景 川中島の戦い』/矢野隆 ブックレビュー

文字数 3,794文字

全国の合戦好きの皆様、歴史をもっと深く知りたい皆様。お待たせいたしました!

日本の歴史に残る有名な合戦を活写&深堀りして大好評の矢野隆さんの「戦百景」シリーズ

第4弾は、最強武将対決の戦い「川中島の戦い」を描いた『戦百景 川中島の戦い』です!


「戦百景」シリーズとは…

第1弾『戦百景 長篠の戦い』は「細谷正充賞」を受賞!

第2弾『戦百景 桶狭間の戦い』

第3弾『関ヶ原の戦い』

と、有名な合戦を深堀りしてリアルタイムで描く、矢野隆さんの人気シリーズ!

最新刊の『戦百景 川中島の戦い』に、ブックジャーナリストの内田 剛さんが入魂のレビューをよせてくださいました! 

これから読む方にも、読んだ方にもおすすめの、物語をより楽しむための作品ガイドです!

 本書は人口に膾炙した戦国合戦の表と裏を、圧倒的なリアリティで再現した人気シリーズ「戦百景」の一冊だ。これまでに「長篠の戦い」「桶狭間の戦い」「関ヶ原の戦い」の三作品があり、この「川中島の戦い」が第4弾となる。「戦百景」というシリーズタイトル通り、戦場の活き活きとした描写だけでなく戦に関わった人物たちの心情が生々しく伝わり、戦にまつわるあらゆる角度から俯瞰した視線が新鮮で驚きに満ちている。


 戦国武将に詳しくはなくとも武田信玄上杉謙信の名前は誰もが知っていると思う。そして日本史にそれほど興味のない方でも「川中島の戦い」はご存じであろう。総大将という立場にあった信玄と謙信が、激戦の大舞台で一騎討ちしたという信じがたいエピソードは、バーチャルなゲーム世界の出来事のようでもある。そもそも川中島とはどこにあるのか?信濃と信州の国境とは分かるのだが、迷わず地図を指差せる者の方が少ないに違いない。そう、川中島の戦いの実態は意外なほど知られていないのだ


 その理由はいくつか考えられる。まずは長篠、桶狭間、関ヶ原のように短期決戦ではなかったこと。いわゆる「川中島の戦い」は1553年から1564年にかけて約12年にも及ぶ甲斐・武田家と越後・上杉家の対決の総称で、実際に対峙したのはなんと5回もあるのだ。第一次から第五次まで長期にわたって睨みあいを続けた川中島の戦い。先ほど挙げた両雄の一騎打ちがあったとされるのは最も激しく激突した第四次のことである。


 こうした構造の複雑さが分かりにくい印象を与えてしまっているのだろう。さらには織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった天下人たちが直接的に関わっていない。この点も合戦の核心が曖昧な印象に拍車をかける。さらにいえば生きるか死ぬか二者択一の時代ながら、一体どちらが勝ったのか評価が定まっていないというのも不思議でならない。局地戦で勝っても対局的には破れる戦もある。真の勝者は誰であったのかを推理しながら読み進めるのも一興だ。


 読みどころの最大のポイントは登場人物たちの個性、たまらない人間臭さである。その素顔や偽らざる本音に心を鷲づかみにされるだろう。ストーリーは8人の男たちの視線で紡がれている。ラストはもちろん主役の上杉政虎(謙信)に武田晴信(信玄)の両雄だが、ここでは信玄の懐刀・武田信繁と希代の軍師・山本菅助(勘助)の2人に注目したい。


 まずは武田左馬助信繁だ。信玄の四歳下の弟であり有能な家臣でもある。仁義なき骨肉の争いを繰り広げていた時代にあって、極めて近しい血縁関係にある存在だからこその人知れぬ葛藤もあった。凄みある描写が身に迫る。「少しでも気を抜けば、この兄は躊躇なく弟を突き殺すのではないかと思う」「兄と対峙する時は、焦りは禁物だ」戦場の最先端にあって信繁の抱えたストレスははかり知れない。まさしく内なる敵との戦いに明け暮れた人生だったのだろう。


 幼少期から兄と喧嘩しても一度も勝てず。「悔しければ強くなれ」の教えのもとに成長する日々。どんなに逆立しても敵わない偉大すぎる存在と間近にあって鍛えられた特別な武将が信繁だった。いつしか二人は互いを補いあう関係性を築き上げていく。突き放しても信玄がもっとも頼っていたのが自分の分身ともいえる弟であったのだろう。孤独な英雄を陰ながら支える存在である信繁。兄のためならその身を捨てる覚悟を持って生きていた弟。彼の目から信玄を眺めればその人間性がより浮き彫りとなるのだ。


 もう一人の注目人物は山本菅助だ。戦国時代有数の策士として名高いが「勘助」の名前で記憶している読者も多いだろう。「諸国を流浪し武芸百般を習得し、四十代半ばで武田家に拾われた」という前半生にまずは興味をひかれる。厳しすぎる修練の結果、左目と右足が思うままに動かなくなり、傷だらけの醜悪な外見になってしまうとは。並はずれた心意気を持った男は文字通り鬼気迫るような人物であったのだろう。そんな彼がたどり着いた先が甲斐源氏という貴種の流れをくむ武田信玄その人と「この世は醜い」という境地である。    


 欲に塗れた人間たちが引き起こすあまりにも理不尽な殺し合い。世の中の真実を知り過ぎた山本菅助が身を投じたのが川中島の激戦であった。信玄から全幅の信頼を寄せられて信繁とともに副将格として武田軍を率い、上杉謙信と真正面からぶつかった。しかし菅助にとって最大の敵とは眼前に立ちはだかる謙信ではなくて己自身であったように思うのだ。自分を拾ってくれた信玄の「負」の要素を背負い込み、自らを鼓舞し命の閃光を輝かせるに最も華々しい舞台を創りあげる。それが後半生の最大のミッションだったのではないか? 百戦錬磨の菅助が見たかったのは、毘沙門天の化身であり戦国最強といわれた謙信の素顔だった。静寂からの喧騒が大地を揺るがす。壮絶な戦闘シーンから軍神と謳われた上杉謙信の本当の強さが明らかにされる。


 この作品からは先祖伝来の土地と家を守り抜くために、それぞれの正義を背負って命懸けの戦いに挑む武士たちの姿が、むせ返るような体温や血と汗と涙の臭いまで感じられる。敵味方まったく異なった感情ながら伝わってくるのは不思議な一体感。抗うことのできない運命の綾で刃を向けあっていても所詮は同じ時代に生まれ、同じような境遇で生きる人間である。血塗られた戦闘が激しければ激しいほど、戦い終えた後の万感の想いが全身に染みわたるのだ。


 日本の歴史に燦然と輝き「虎」と「龍」に例えられた2人の名将は、なぜ仁義なき権謀術数を繰り広げ、「生きる道は敵中にある!」というまで憎しみあわねばならなかったのか。読み進めていて背負った十字架の重たさと人知れぬ懊悩が切実に迫ってきた。群雄割拠の川中島の戦いを描いた小説作品の中でも圧倒的な存在感を放つこの一冊は、歴史通の方はもちろんビギナーでも大いに楽しめる。ぜひこの物語から壮大な歴史のページを紐解いてもらいたい。戦争の無常だけでなく、人間の無力さと力強さを知る群像劇の向こう側に、武士たちの熱き魂の叫びと無限に広がる絶景がきっと見えるはずだ。

内田 剛(うちだ・たけし)

ブックジャーナリスト。本屋大賞実行員会理事。約30年の書店勤務を経て、2020年よりフリーとなり文芸書を中心に各方面で読書普及活動を行なっている。これまでに書いたPOPは5000枚以上。全国学校図書館POPコンテストのアドバイザーとして学校や図書館でのワークショップも開催。著書に『POP王の本!』あり。

あらすじ

父・信虎を追放して甲斐国主となった武田晴信(のちの信玄)は信濃への侵攻を繰り返す。晴信は次々に信濃の国人衆を従えていくが、北信濃の村上義清が立ちはだかる。だが武田軍の圧力に抗しきれず、義清は越後の実質的支配者・長尾景虎(のちの上杉謙信)を頼る。景虎は義清ら国人の要請に応え北信濃に進出。武田軍と対決する。天文22年(1553年)の第一次川中島の戦いである。その後両者は二度対峙し、また景虎は関東管領職に就き上杉政虎と改名するが、二人が直接干戈を交えることはなかった。信州進出でほぼ無敗を誇る晴信と、戦神・毘沙門天を名乗る政虎。戦国最強の二人の勇将は互いに雌雄を決することを欲するようになる。そして永禄4年(1561年)、ついに決戦の時が訪れる。晴信を屠ることを決意した政虎が川中島の南部に位置する妻女山に13000の兵で布陣し、晴信はその意図を察したように武田の橋頭保・海津城に全軍20000を集めた。10日ほどの対陣ののち、濃霧が出る前夜に武田軍は二手に分かれて出陣。それを気取った上杉軍も密かに妻女山を下るのだった……。

矢野隆(やの・たかし)

1976年福岡県生まれ。2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞。その後、『無頼無頼!』『兇』『勝負!』など、ニューウェーブ時代小説と呼ばれる作品を手がける。また、『戦国BASARA3 伊達政宗の章』『NARUTO-ナルト‐シカマル新伝』といった、ゲームやコミックのノベライズ作品も執筆して注目される。また2021年から始まった「戦百景」シリーズ(本書を含む)は、第4回細谷正充賞を受賞するなど高い評価を得ている。他の著書に『清正を破った男』『生きる故』『我が名は秀秋』『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』『大ぼら吹きの城』『朝嵐』『至誠の残滓』『源匣記 獲生伝』『とんちき 耕書堂青春譜』『さみだれ』『戦神の裔』『琉球建国記』などがある。

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