戦国随一の戦 川中島の戦い/矢野 隆

文字数 1,257文字

「戦百景シリーズ」と題して刊行している今シリーズ、第4弾は「川中島の戦い」です! 


武田信玄上杉謙信……戦国武将として根強い人気を誇る2人が戦った、有名な川中島の戦い。

その川中島の戦いに対する思いを、著者である矢野隆さんが語ってくださいます!

 武田信玄と上杉謙信という武将は不思議な男たちである。


 信長、秀吉、家康の天下統一への道程に多少の影響は与えつつも、彼等は天下取りのメインストーリーに主要人物として登場することはない。故に、教科書で教えるほどのボリュームを歴史のなかで有している訳でもない。


 しかし、二人とも人気がある。戦国武将のなかでは天下統一トリオといえる前述の三人を除けば群を抜く知名度ではないだろうか。


 繰り返し言っておくが、信玄と謙信は戦国時代を終息に導くような働きはしていない。なのに、である。戦国時代最強の武将は誰であるかという議論になると、決まってこの二人の名が俎上に載せられる。謙信はいまの新潟である越後の国、信玄はいまの山梨である甲斐の国の大名である。地方大名に過ぎないのに、二人は最強という話題の常連なのだ。


 その原因のひとつが、川中島の戦いにあると私は思う。


 信濃と越後、いまの長野と新潟の境に近いところに位置する川中島という場所で、二人は五度も戦った。その記録が、江戸時代の軍略書【甲陽軍鑑】に記され、武士の間で甲州流軍学として大変流行した。これによって信玄と謙信の鎬を削る戦いが侍たちの間で学問として浸透し、その後、江戸の町人たちにも川中島の戦いのことが伝わってゆき、錦絵に描かれ、詩吟の代表的な題材となった。こうして二人の名前は、戦国時代を代表する大名として人口に膾炙していったのである。


 戦国時代の戦において、大将同士が直接戦うというケースは少ない。総大将を殺されたら終わりという戦いのなかで、敵味方の大将が相見えるなど考えられない状況である。


 だが、四度目の川中島では、信玄と謙信の対決があったと【甲陽軍鑑】には記されている。これについては【甲陽軍鑑】の資料的価値などの論争などとともに、いまも熱心に議論が繰り返されているのだが、すくなくとも多数の資料に二人の対決は記されている。


 軍配を構える信玄に、太刀を抜いた謙信が馬上から斬りかかるという絵面を、頭に思い描ける人は多いのではないだろうか。実際に川中島古戦場にも、二人のこの時の姿を象った巨大な銅像がある。


 天下統一トリオの覇道のなかにも、数多くの魅力的な戦がある。しかし、ひとつの戦によってその首謀者たちが民衆にまで名を知られる存在になった戦といえば、川中島をおいて他にないのではないだろうか。


 今回の作品は、戦国随一の戦である!


 私はその想いを抱き、筆を取り、その決着まで駆け抜けた。今回ほど、熱く走れた戦はなかった。


 近年、寒々としたニュースばかり目にするようになった。

 

 信玄と謙信の戦によって、皆様の心にわずかでも火が灯ってくれれば、これほど嬉しいことはない。

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