➂想像上の鬼と歴史的実在としての鬼
文字数 1,621文字
それには、と崇は答える。
「まず『鬼』をきちんと分けて考えることが必要になる」
「分けるって、『良い鬼』と『悪い鬼』ということ?」
違う、と崇は首を横に振った。
「『鬼』と一括りにしてしまわず、分類して考えなくてはならないという意味だ。そうしないと、朝廷の貴族たちが仕掛けた罠にはまってしまって『鬼』どころか『神』も『妖怪』も分からなくなる」
「神も妖怪もって、どうしてここで神や妖怪が出てくるの!」
大地の質問に、
「民俗学者の折口信夫は」
崇はゆっくりと答えた。
「鬼と神は同体だという『神鬼同義説』を唱えているし、鬼と妖怪は、かなりの部分でベン図のように重なり合っているんだ」
崇はノートに図を描いた。
「はあ……。ゴチャゴチャだ」
それを見て嘆息する大地に向かって、
「いや、逆だよ」崇は言う。「むしろ、とてもすっきりする」
崇は表情一つ変えずに大地を見た。
「古典や能にも造詣の深い歌人の馬場あき子という人は『鬼』を5種類に分類している。それは、
・日本民俗学上の鬼。
・修験道、山伏系などの鬼。
・仏教系の夜叉、獄卒などの鬼。
・賤民、盗賊などが、後に鬼となった。
・怨恨、憤怒などから、鬼に変身してしまった。
とね」
「何となく……分かるような分からないような……」
「でも俺は、鬼も神も妖怪も一括りにして、根本的に2種類に分けるべきだと思っている」
「2種類って、それは?」
「単純だよ」
崇はノートを取ると、大地の目の前で書きつけた。
1.「実在していなかった」鬼や神や妖怪。
2.「実在していた」鬼や神や妖怪。
「えっ」大地はそれを眺めて声を上げる。「実在していたって!」
「ちなみに、民俗学者で文化人類学者の小松和彦という人も鬼を分類している。それは、
・想像上の鬼。
・歴史的実在としての鬼。
の2種類だ」
「タタルさんと似てるね」
「一見似ているように見えるが、本質的に全く違う」
「そうなの?」
「小松和彦の言う『想像上の鬼』は、地方の伝説に登場する鬼や伝統芸能で演じられる鬼のことで、一方『歴史的実在としての鬼』というのは鬼と呼ばれていた、あるいは自らそう名乗っていた人々のことだとしている。もちろん間違っていないんだが、この分類方法だと大きな誤解を招いてしまう」
「じゃあ、タタルさんの分類は?」
「言葉通りの意味だ。『鬼』という形で実在はしていなかったけれど、人々の想像の中に存在していた鬼。『疫病』や、天変地異――日照りや大洪水や地震などの『天災』だね。妖怪で言えば『狐火』や『かまいたち』などの自然現象や、あるいは年月を経た器物が化けたという『付喪神【つくもがみ】』などだろう。あとは馬場あき子の言うような、仏教の中の鬼だ」
「じゃあ『実在していた鬼』って――」
とまで言ったとき、大地は「ああ」と気がついた。
「ぼくらの祖先ということ……」
そう、と崇は応える。
「たとえば、さっきの酒吞童子というわが国の鬼を代表する鬼は、頼光に退治される直前に『鬼神に横道なきものを』――つまり、鬼は卑怯な振る舞いをしないぞ! と吐き捨てたと言われている。というのも、頼光たちはある『卑怯な』手段を用いて酒吞童子を討ったからだ。しかし『鬼』が、疫病や想像上の生き物だけだったとしたら、そんな言葉は残らないんじゃないか」
(④ 4月26日公開へつづく)
高田崇史(たかだ・たかふみ)
1958年東京都生まれ。明治薬科大学卒業。
『QED 百人一首の呪』で第9回メフィスト賞を受賞しデビュー。
怨霊史観ともいえる独自の視点で歴史の謎を解き明かす。
「古事記異聞」シリーズも講談社文庫より刊行中。