①『鬼』って一体何? 何者?
文字数 1,915文字

早朝からしつこく鳴り続ける電話に出ると、聞き慣れた声が返ってきた。
「起こしちまってすまん」
長年の悪友・小松崎良平だ。
「ちょっと頼みたいことがあるんだ」
「それは残念だった」桑原崇は欠伸をしながら答える。「風邪が流行っていて、薬局も忙しい。お断りだ」「今日は休みだろうが! 話くらい聞け」小松崎は電話の向こうで笑った。「実は息子、大地の件なんだがな」
大地は、小松崎の10歳の子供だ。この春、5年生になるはず。
「最近、真剣に悩んでる様子なんだよ。ちょっと気になって沙織が聞いたら、変なことを言ったらしい」
「変なこと?」
ああ、と小松崎は答えた。
「『鬼』について考えてるんだと」
「鬼……」
「世間で色々あるように、たとえで言う鬼じゃなく、『鬼』そのものについてらしいんだ。その分野は、タタルが良いだろうってのが、わが家の結論だ」
タタル――というのは、崇のあだ名。
大学のサークルに入会する際に「桑原崇」と記入したのを、当時の部長に「くわばら・たたる」と読み間違えられて以降、「たかし」ではなく「タタル」に決定し、小松崎や沙織たちはいまだにそう呼んでいる。「相変わらず、勝手な奴らだ」
「そういうわけで」小松崎は崇の言葉を無視して続けた。「ちょっと大地と話をしてやってくれねえか。頼む」
「それは一向に構わないが……果たして大地くんが俺の話で満足できるかどうか」
「大丈夫だよ、きっと。まあ、とにかく奴の話だけでも聞いてやってくれ」
その日の午後。
2人は、崇の地元の古い喫茶店で向かい合って座っていた。
もじもじとオレンジジュースのストローをくわえる大地を目の前にして、崇は普段と違って(ビールではなく)ブラックコーヒーを1口飲む。
沙織は大地と一緒にやって来たものの「どうしても外せない用事があるので、どうかよろしくお願いします!」と頭を下げて帰ってしまったので、テーブルには2人きり。
自分から切り出さない大地を見て、崇は口を開いた。
「大地くんは『鬼』について知りたいんだって?」
すると大地は、無言のままコクリと頷く。
「学校の宿題かな」
大地は俯いたまま首を大きく横に振る。
「自由研究?」
再び首を振って否定する。
そういうことではないらしい。ただ、大地なりに真剣に知りたがっているらしいことだけは感じる。
そこで、
「分かった」崇は言った。「何でも聞いて良いよ」
すると大地は顔を上げて崇を見た。
「タタルさん」大地は小声で尋ねる。「『鬼』って一体何? 何者?」
ああ、と崇は答えると、
「とても単純な話だよ」コーヒーカップを持ち上げた。「ちょうど、もうすぐ節分だ。そんな話からしようか」
今度は首を縦に振った大地に、
「じゃあ、逆に尋ねるが」と崇は問いかける。「大地くんは『鬼』と聞いて、何を想像する?」
「桃太郎とか一寸法師とか、『泣いた赤鬼』や『こぶとりじいさん』に出てくる悪者」
「『鬼』は悪者?」
「うん」
「『泣いた赤鬼』の鬼も?」
「あれは……ちょっとだけ例外」
「では、大地くんは節分で豆をまくかな」
「どっちでも良いんだけど皆が、まくって言うから」
「何のために、まく?」
「鬼を追い払うため」
「なぜ、鬼を追い払うんだ?」
それは……と大地は唇を尖らせた。
「鬼は人に害を与える悪いモノだから、それを家から追い出すんだって聞いた」
「『追儺』だね。文武天皇の慶雲3年(706)に始まったといわれる宮中の年中行事のひとつで、大晦日の夜に鬼に扮した舎人たちを追い回すことによって鬼を祓う、という。もともとは中国の行事だったが、わが国に入ってきて徐々に変化して『追儺』となった。でも見てごらん」
崇は言って、目の前に広げたノートに「追儺」と書いた。
「これで『ついな』と読むんだけれど、この難しい『儺』という漢字を漢和辞典で調べてみると『おにやらい』などの他に、こうあるんだ。
・歩く人に節度があること。
・節度ある歩き方。
・節度正しく歩む貌。
とね。つまり、立派な人のことだ」
(②4月22日公開へつづく)
高田崇史(たかだ・たかふみ)
1958年東京都生まれ。明治薬科大学卒業。
『QED 百人一首の呪』で第9回メフィスト賞を受賞しデビュー。
怨霊史観ともいえる独自の視点で歴史の謎を解き明かす。
「古事記異聞」シリーズも講談社文庫より刊行中。