『傷モノの花嫁』第1話の試し読み(1/4)
文字数 2,647文字
小説版がついに10/13(金)に発売!
なんと原作者の友麻碧さんによる書下ろしです。
皇國の鬼神と猿面の少女。
傷だらけな二人の婚姻譚の始まりを特別にお届けします。
極東の島国・大和皇國。
人と、あやかしと呼ばれる異形の者たちが開国を巡って争った時代から、約五十年。
暦の数え方が太陰暦から太陽暦に変わり、人々は西洋文化を取り込みながら、めくるめく文明開化を謳歌する。
華やかな皇都を魑魅魍魎から守護するのは、陰陽五家と呼ばれる五つの一族が編み出した〝五行結界〟だ。
その、陰陽五家の一角である白蓮寺家──
白蓮寺家は五行の【木】を司る一族で、皇都よりずっと北の神聖な山々に囲まれた広大な土地に、一族の人間だけで〝白蓮寺の里〟を形成している。
私、白蓮寺菜々緒は、里の外れにあるボロ小屋にたった一人で住んでいた。
まだ薄暗い早朝から起き出して、裏の泉で沐浴する。水の冷たさにガタガタと震えながらも、体を隅々まで洗って清めるのだ。
小屋に戻るとツギハギだらけの古い着物に着替え、前掛けとたすきをかけて、長い黒髪を今にも千切れそうなボロボロの紐で結う。
「そういえば、今日から三月だわ。朝餉の献立は三月のものにしなくては……」
ポツリと呟き、一度だけ大きく深呼吸。
早春の朝は、まだ、冬の匂いが残っている。
私は内側にお札を貼りつけた〝猿面〟を顔に当てて、頭の後ろで紐を結んで固定した。
この猿面をつけなければ、私は人前に出ることを許されない。
この猿面をつけたならば、一言も、言葉を発してはならない。
里の外れのボロ小屋を出て、坂を下り、小川にかかった橋を渡って、里の中心部を足早に抜ける。そして本家のお屋敷の、その裏口を叩いた。
戸を開けて出てきたのは、ぶっきらぼうな本家の女中・槙乃だ。
「お前か、傷モノ」
「…………」
「本当はお前の拵えたものなんて、穢らわしくて本家の方々には食べさせられないんだけどさ。若奥様がどうしても、あんたに食い扶持を、って言うから。お優しい若奥様に感謝するんだね」
槙乃が冷たい目をしてそう言い放ち、私を台所にあげる。
私は台所に貼られた『三宝荒神』と書かれたお札に向かって手を合わせ、火と竈の神に祈りを捧げ、食材を洗って朝餉の調理を始めた。
陰陽五家の人間にとって朝餉とは──これ即ち【儀式】である。
この国に住まう男は〝陽の霊力〟を宿し、女は〝陰の霊力〟を宿している。
陰陽五家にはこの理に則った様々な慣わしがあり、そのうちの一つに、朝餉を拵える人間は〝陰の霊力〟が高い女性が良い、というのがある。
朝餉を拵えた女性の霊力が高ければ高いほど、その朝餉には多くの霊力が含まれ、食べた者のその一日の質を変えるからだ。
白蓮寺家の本家でも朝餉は〝陰の霊力〟が高い女性が拵えることになっていて、基本的には嫁いだ花嫁の役目なのだけれど……
私は若奥様に命じられ、日々、秘密裏に本家の朝餉の準備をしているのだった。
朝餉の調理を終えた私は、女中の槙乃に握り飯を二つ貰う。
「今日は紅椿家の新しいご当主がこの白蓮寺の里に訪ねてくるらしい。お前、目立つところには絶対に出てくるんじゃないよ」
紅椿家の……?
紅椿家といえば、陰陽五家の序列一位に君臨する一族だ。悪鬼悪妖を退治する退魔の一族として皇都の防衛を担っている。確か、百の鬼を〝式神〟として使役しているとか……
とりあえず私はコクンと頷いた。
「何でも紅椿家の新しいご当主は、兄君を引きずり落としてその地位に立った冷酷無慈悲なお方だそうだ。だが退魔の腕は一流で、百鬼を従える姿から〝皇國の鬼神〟とも呼ばれているんだとか」
皇國の……鬼神……
「皇都に現れるあやかしの大半は、この方が斬り殺しているって話さ。その様は修羅のごとく恐ろしいって。……お前、あまりの猿臭さに猩猩と間違われて斬り殺されないといいね」
斬り殺される想像をして、ぶるるっと身震いしてしまう私。
意地悪なことを言う槙乃は、ニヤニヤしながら話を続けた。
「しっかし序列一位の紅椿家が、序列四位の白蓮寺家にわざわざ挨拶に来るってことは、嫁探しでもするんだろうねえ。開国以来、霊力を持つ女が生まれづらい時代になっちまった。うちはまだ、そこそこ霊力のある女が生まれるから」
槙乃はそう言いながら、チラッと私を見る。
「まあ……傷モノのお前には関係のない話だよ。傷モノに嫁の貰い手はないからね」
私は握り飯を胸に抱え、厨房を出る。
その時、本家のお屋敷の縁側に若様と若奥様の姿を見た。赤ん坊に夢中の若様に若奥様が寄り添っていて、絵に描いたような仲睦まじく幸せそうな夫婦だ。
そんな時、若奥様が私に気がついて少しだけ目が合う。
彼女は私に向かってクスッと笑った。
「…………」
ザワザワと湧いて出る、落ち着きのない感情。
これにひたすら耐えるように、私は胸元をギュッと押さえて本家の屋敷を後にした。
「傷モノだ」
「猩猩の嫁だ」
「嫌だねえ、こんな朝っぱらから」
「ああなんて穢らわしい」
「山へ帰れ! 猿臭いんだよ!」
もうこの時間になると一族の人間たちが里中で活動し始める。
可能な限り人通りの少ない道を選んでも、いつも何人かに見つかって、誰もが私を見るや否や嫌悪感を露わにする。
私に石を投げつけ、怒鳴りつけ、棒を持って追い立てて……
里の人間の中には私の両親もいたけれど、私が虐げられる様を見ても、両親は見て見ぬ振りをしていた。
これが、私が〝傷モノ〟になってから三年近く続いている仕打ちだ。
握り飯を抱えたまま、急いでボロ小屋に駆け込む。
「はあ、はあ、はあ」
走って逃げてきたので、しばらく呼吸を整える。さっき投げつけられた石が腕に当たって、血が滲んで腫れているようだ。痛い。痛い……
そうしてやっと、「人前では決して外してはならない」と命じられている猿面をとる。
ぐ~とお腹が鳴ったので、ボロの茣蓙の上に座って、朝餉の報酬に貰った握り飯を頰張る。とてもとても、お腹が空いていた。
ポタポタ……ポタポタ……
気がつけば涙が溢れて、零れて、私の膝を濡らしている。
この、里での仕打ちは仕方がない。だって私は〝傷モノ〟だから。
仕方がない。仕方がない。仕方がない……
だけど、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
昔はみんな優しかった。父も母も。里の人たちも。
暁美姉さんも、本家の若様も───
三年前のあの日、私の人生は大きく狂ってしまった。