隣人の当たり前/パリュスあや子

文字数 1,356文字

小説現代長編新人賞の受賞作である『隣人X』が8月26日(水)に発売しました。

それを記念しフランス在住の著者・パリュスあや子氏にエッセイを寄稿していただきました。

コロナ禍における「隣人」との関わり方について。

お楽しみください。

書き手:パリュスあや子

『隣人X』で第14回小説現代長編新人賞を受賞。

今年もフランスにヴァカンスがやってきた。このコロナ禍のしわ寄せで、日本では夏休みを短縮する学校もあるようだが、夏休みがなくなったらフランス人は暴動を起こすに違いない。


かくして夫は七月末、例年恒例の男友達たちとのヴァカンスに旅立っていった。コロナウィルスの感染者数などを比べれば、フランスは日本より危機的状況なのだが、良くも悪くもポジティブなラテン気質である。


私は一週間、ひとり存分に引き込もった。昨年のまさにこの期間に、急き立てられるように初めての小説を書いたことを思い出す。それが今年、運よく書店に並ぶという。とてつもなく嬉しいことだが、実感がない。移動制限で帰国もできず、本当に本になるのだろうか、読んでくれる人がいるのだろうかと不安ばかりだ。


私とフランスの関係を、少し書いてみたい。最初にやって来たのは大学時代。旅行で空港に降り立つとスーツケースは紛失しており、初っ端から散々だった。パリの街並みには惚れ惚れしたが、足元に見をやれば至る所に吸い殻と犬の糞が落ちていて、驚くほど汚い。こんな国には二度と来るかと思ったのに、三十歳を目前にワーキングホリデービザを取得して舞い戻ってしまった。


一年間のパリ暮らしは同時多発テロの衝撃で始まり、空き巣にあったりカードを不正利用されたり、やはり散々であった。日本の治安の良さと行き届いたサービスが、いかに素晴らしいものか身をもって知った。だが不思議とフランスを嫌いにはならなかった。余暇を大切にする人々の大らかさ、開かれた文化。こちらで出会ったフランス人と結婚して、また戻ってきてしまった。今度は期間限定ではなく、生きていくため「移民」として。


滞在許可書をもらうためには、移民局主催の二日間に及ぶ「フランスについて学ぶ講義」受講が必須である。「重婚は禁止されている」という至極当たり前と感じる説明に対し、アフリカ人女性が「私の母は父の第四夫人である」と発言し、愕然とした。


その後もロシア正教からイスラム教に改宗したロシア人美女や、穏やかで料理上手なアフガニスタン難民青年など、バックグラウンドが大きく異なる移民仲間と出会い、自分のなかの「当たり前」が壊されていった。それはむしろ清々しい。この地で何度も目を見開かされた。


私の頭のなかにはいつも物語の切れ端が詰まっていて、昨年「惑星難民を世界中で受け入れる」という突拍子もない設定が閃いたとき、この壮大な嘘のなかなら、外国で働く難しさや日本で抱えていた様々な鬱屈をエンターテインメントとして書けるのではないか、と思った。一見SFだが、女性三人の日常の話。気楽に読んで「おもしろい」と思って頂けたら一番嬉しい。意外と知らない「隣人」についても、思いを馳せるきっかけになったらと願いつつ。

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色