第2回/野﨑まど『タイタン』を読みました。

文字数 2,367文字

「オモコロ」所属の人気ライター【ダ・ヴィンチ・恐山】としての顔も持つ小説家の品田遊さんに、”最近読んで面白かった本”について語っていただくこの連載。


第2冊目は、全てが巨大なエンタメ小説、野﨑まどさんの『タイタン』(講談社)について語られます!

『サイバーパンク2077』に熱中している。


約8年の開発期間を経て2020年末に出た大作ゲームだ。2077年の「ナイトシティ」は、高度なテクノロジーと超格差社会が同居する犯罪都市である。街は煽情的な広告で溢れかえり、路地裏ではギャングが抗争を繰り広げている。脳に直結するデバイスを埋め込む人体改造が一般化した代償として、市民は行動から思考にいたるプライバシーの隅々まで大企業に見透かされている。


そんな退廃的な世界の住人として生きることが、なぜか気持ちいい。いや、不快ではある。高解像度で描画されたゴミの山や添加物まみれのジャンクフードは吐き気がしそうなほどリアルだが、それゆえか。没頭してしまう。


『サイバーパンク2077』の舞台が典型的な「ディストピア」であることは、多くの人が同意するだろう。ではディストピアとは何なのかを考えてみると、これを明確に定義するのは難しい。なぜなら、ディストピアは人々がイメージする「理想社会」の対極にある概念であり、基となる「理想社会」自体がそもそも曖昧なものに思えるからだ。


野崎まどの長編小説『タイタン』では、2205年の世界が描かれる。その世界設定は『サイバーパンク2077』とは対称的に、一種の理想社会、ユートピアといって差し支えない。


なにしろ、この時代では誰も働かなくていいのである。


人工的な知性を統合する巨大AI「タイタン」の登場により、製造・物流・サービスなどあらゆる労働をロボットが代理してくれるようになった世界。ここにおいて「労働」とは、歴史の授業で学ぶ史実でしかない。経済活動も現代のそれと全く異なり、店舗で欲しい物を手に入れることは<ショッピング(買い物)>と呼ばれず、<コレクト(収集)>と呼ばれる。「職業」も消滅しているので、人々は一日の大半を思い思いの趣味に費やす。


主人公の内匠成果(ないしょうせいか)は「趣味」で心理学を研究する善良な市民だったが、謀略により人生初の労働を押し付けられる。12基に分割されたタイタンAIのひとつ「コイオス」が急激に機能低下した原因を探るため、AI相手に心理カウンセリングを行う「仕事」だ。成果とコイオスの交流は、世界を生かす知のインフラの存亡を左右することになる。


以上が『タイタン』序盤のあらすじだ。内匠成果が生きる2205年は理想的なユートピアのようだが、どこか不気味なディストピアにも感じられる。誰もが働かずに生きていける一方で、人類は生活の全てをタイタンに依存し、喜んで情報を差し出している。恋人ですらタイタンが紹介する相性度の高い人間とマッチングするのが一般的な価値観はどこか異様に映る。一種の超管理社会なのだ。


しかし、近未来ディストピア物の作品群によくある偏執狂的な閉塞感は、この作品においてあまり感じられない。高度な知性に統御された社会の意義や自由の所在を問うことは主題ではないようだ。理想の裏の欺瞞を暴いていく反体制的な空気も濃くはない。


AIとの対話を繰り返して不調の原因を探る過程は緊張感に満ちているし、中盤からの奇想天外な展開は読者の予想を大きく裏切ってくれる。とある発想を現実化する大胆なアイデアには笑いすら漏れた。


そんなSF的想像力を働かせることによって、「労働」という普遍的な概念についての問いが浮き彫りになる。私たちにとって働くとはいったいどういうことなのか。働かなくてもいい時代の労働はどんな意味を持つのか。長い旅を通じ、内匠成果はこの問いにひとつの答えを出してみせる。


『タイタン』は大スケールの物語だが、フォーカスされているのは社会のありかたや自由や正義よりもっと個人的な「人生の甲斐」のようなものである。この切り口は、「個人 vs 社会」の構図から外れたところから視野をひらく可能性を感じさせてくれた。そこからものを見ることは「ユートピア」や「ディストピア」という言葉の曖昧さをときほぐすことにもつながるだろう。


理想郷もその逆も、おそらくはっきりと定義することはできない。なぜなら、人が生きるうえでの甲斐は、人が生きる世界の内部において動的に実現される作用であって、世界のありかたとは別の水準にあるからである。そして、この甲斐を実現するもののひとつが「労働」なのだ。誰も働かなくていい世界においてさえも、人は別のしかたで「仕事」をしている。『タイタン』のラストでは、それが端的に示されている。


『サイバーパンク2077』の世界に戻る。


この退廃した薄汚いディストピアは、なぜここまで人を惹きつけるのだろうか。それはマップを開けばすぐにわかる。地図上には数え切れないほど「?」マークがひしめいていて、そこに行けばクライアントから仕事を任され、トラブルに巻き込まれるのだ。それを面倒くさがりながらも受け入れるとき、私は「仕事」の楽しさを噛み締めている。

書き手:品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)

小説家・ライター。株式会社バーグハンバーグバーグ社員。代表作に『名称未設定ファイル』(キノブックス)、『止まりだしたら走らない』(リトルモア)など。

【Twitter】@d_v_osorezan@d_d_osorezan@shinadayu

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